2009/12/17

皇族と民主主義:GHQインジェクション

あいまいな「公的行為」 象徴天皇性と政治利用
「中国の習近平国家副主席との特例会見設定で、にわかにクローズアップされた天皇陛下の「公的行為」。明文化はされておらず、国事、私的両行為との境界は長く論議の的になってきた。議論の核心は、戦後の象徴天皇制と天皇が非政治的であることの両立にある。しかし、建前と現実の乖離(かいり)があるのも事実。今回の問題も戦後、あいまいにされてきた難問が噴出した形ともいえそうだ。」(東京新聞)

 

旧憲法の第四条をご覧ください。

大日本帝国憲法

第4条

「天皇は国の元首にして統治権を総攬し此の憲法の条規に依り之を行う」

 

天皇の国事行為とは、天皇が国の機関として行う行為のことです。

しかしそれは俗称であり、正確には憲法上「国事に関する行為」として表現されます。

憲法は国事行為をその4条2項・6条・7条で、13種類揚げています。

具体的には、

・単なる儀礼的行為であり、かつ、法的効果を伴わない事実行為であるものとして

(1)外国の大公使の接受(7条9号)

(2)儀式の挙行(7条10号)

・天皇が「認証」だけを行うとされることによって天皇の行為が儀礼的・名目的なものとなっているものとして

(3)国務大臣および法律の定めるその他の官吏の任免ならびに全権委任状および大公使の信任状の認証(7条5号)、

(4)恩赦の認証(7条6号)

(5)批准書及び法律の定めるその他の外交文書の認証(7条8号)

・もともと国政に関する行為でありながら、実質的決定権が他の国家機関に付与されていることによって天皇の行為が儀礼的・名目的なものになっているものとして

(6)内閣総理大臣の任命(6条1項)

(7)最高裁判所の長たる裁判官の任命(6条2項)

(8)憲法改正、法律・政令及び条約の公布(7条1号)

(9)国会の召集(7条2号)

(10)衆議院の解散(7条3号)

(11)国会議員の総選挙の施行の公示(7条4号)

(12)栄典の授与(7条7号)

・以上とは異なる特殊なものとして

(13)国事に関する行為を委任する行為(4条2項)

以上が指定されています

 

国事行為には,7条10号儀式の挙行のような儀礼的なものもありますが、国会の召集・衆議院の解散のように、政治的なものも存在しています。

しかしながら天皇が国事行為を行うには、内閣の助言と承認を必要とされており、自己の意思で単独に行うことはできません。

したがってその責任は内閣が負うことになり、天皇がこれを負うことはありません。

さらにいえば天皇が国の機関として行うことのできるのはこの国事行為だけであって、国政に関する権能はこれをもちません。(憲法4条1項)

 

戦中まで使用されていた旧憲法第四条を見れば、かつての天皇は統治権の総覧者、つまり全ての権力を掌握する立場にありました。

しかしながらわたしたちの国が戦争に負けた後、連合国によって大幅に民主主義を注入されることとなった現行憲法では、天皇のもとには国政に関する権能を置かないこととされ、その行為の政治責任も内閣が取ることとなりました。

これゆえ現行憲法下では、天皇は13種の国事行為のみを行うものとされているのです。

 

天皇を巡る憲法論争は、常に天皇という存在そのものに対する解釈を、陣営の見えざる背景として争われています。

そしてそこには”注入された民主主義”という起源が横たわり続けています。

それはせっかくの民主主義に、構造力学的モーメントを与え続けているのではないかと長年疑わせているのです。(私見)

 

 

|

2009/11/26

脳死:究極の想像力

“脳死”女性が5年ぶり覚醒、犯人像を供述 (news24)

「韓国で、何者かに首を絞められて脳死と診断された女性(34)が5年ぶりに覚醒(かくせい)して犯人について証言し、容疑者が起訴された。この事件は04年7月、韓国南部・光陽で、女性が自宅アパートで何者かに首を絞められて脳死と診断されたもの。韓国の検察当局によると、女性は最近、覚醒し、催眠療法による事情聴取に対して、犯人像を供述した。」

 

臓器移植法の6条1項をご覧ください。

「臓器の移植に関する法律」

第六条(臓器の摘出)

「1 医師は、死亡した者が生存中に臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当 該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないときは、この法律に基づき、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から 摘出することができる。」

 
法律上、人は死亡をもってその終期となります。

ただし学説上、何を持って人の死亡とするのかは争いがあり、脈搏が不可逆的に停止した時期とする脈搏停止説、呼吸が不可逆的に停止した時期とする呼吸停止説、呼吸・脈搏の不可逆的停止および瞳孔散大の三徴候を基礎として総合的に判定するとする三徴候説、脳機能の不可逆的喪失の時期とする脳死説が存在しています。

これまでの日本では、三徴候説が学説上有力でしたが、近年においては脳死説がむしろ優勢になりつつあります。

いずれの学説を採用するかにおいて、法学上、また医学上の裏打ちの強さはもちろん必要です

しかしながら、人が亡くなることには重大な社会的意味があるので、その認定基準は社会通念上納得できるものでなければなりません。

この観点から考えてみると、医学界においては確かに現時点で脳死説が通説化しつつありますが、社会通念上は脳死が人の死とすでに承認されたとはいいがたいため、死の判定は依然として心臓死を基準とする三徴候説が妥当だと通説では考えられています。

一方でこと臓器移植においては、脳死説を基礎として「臓器の移植に関する法律」が平成9年に制定、同年10月16日から施行され、既に脳死体からの臓器移植も実際に数多く実施されています。

そしてその臓器移植法6条は、脳死状態にある人がドナー・カードを有している場合であって、その遺族が臓器の摘出を拒まないとき、または遺族がいないときは、脳死を判定して死体あるいは脳死した人の身体から臓器を摘出することができると規定しているのです。

この法の創設によって、少なくとも臓器移植に関する限りは脳死説が法的に容認されたというわけです。

結果的に現在、法律上臓器移植がある場面と、それ以外の場合の死において、判定方法に二つの判断基準が生じてしまってはいます。(参照:大谷實 刑法講義各論

 
韓国で脳死と判定されていた女性が、本当に脳死状態だったのか、実はいわゆる植物状態だったのではないかなど、もちろん慎重な議論が必要です。

しかしながらそれ以上に今もっとも要求されているのは、死という社会的判定の向こう側に明白な意識のまま閉じ込められる可能性があるのは、明日のわたしやあなたかもしれないという想像力かもしれません。

 

 

|

2009/10/10

殺しの季節が終わり、大樹は豊かな影を揺らした

「無罪主張は悪あがき」ウィニー裁判でNHK記者“暴走”(iza)

「《弁護側がいわば的外れな見解を繰り返している間に、検察側は着々と犯罪事実の立証に足る、最低限の条件をクリアしていっています》《「悪あがき」をすればするほどあなた(=金子氏)の評価は下がる一方です》《NHKのインタビューに応じて、その行動にいたった動機を正直に話せば、世間の納得は得られる》《仮に有罪判決になってもインタビューに出て世間に本音をさらしたことで執行猶予がつくのは間違いありません》《無罪を主張し続ける限り、減刑の余地はない》壇弁護士はブログで、記者の行為を「露骨な弁護妨害」とし、地裁判決後の記者会見で、「何食わぬ顔で最前列に構えていた」ことにも不快感をあらわにしている。」

刑事訴訟法の30条1項をごらんください。

第30条

「1 被告人又は被疑者は、何時でも弁護人を選任することができる。」



もしわたしたちが何かの手違いで身に覚えのない罪の被告人とされてしまったとき、わたしたちには自己の利益を防禦する権利が与えられています。

これを弁護権といいます。

ふつう被告人になってしまった人は法律上の知識や訴訟上の経験が豊かなわけでもありません。

それどころか普通は訴追されているというだけで心理的に相当の打撃をうけています。

そして普通の素人が、国家機関である検察官の攻撃に対し、みずからの法的権利・利益を守れるはずがありません。

まして勾留されている場合は活動の自由が奪われていますので、一層その法的立場はどんどん追い込まれていきます。

だからこそ、被告人の利益擁護にあたる弁護人制度が必要となるのです。

憲法の37条3項では、「刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる」とされています。

また同じ憲法の34条では、さらに「何人も、理由を直ちに告げられ、且つ直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない」としていて、被告人及び身体を拘束された被疑者の弁護人依頼権を憲法上の権利にまで高めています。

これを刑事訴訟法ではさらに一歩すすめ、その30条1項が身体の拘束・不拘束を問わずすべての被疑者は弁護人を選任することができる、としているのです。

実は旧刑訴時代には、起訴されて被告人になるまで、弁護人を選任する権利は認められていませんでした。

戦後にできた現行刑事訴訟法が、被疑者になった段階から弁護人による保護を与えたことは、基本的人権という大樹が、長い年月をかけてのばした豊かな枝葉だといえます。

こうした現行刑事訴訟法における弁護人の立場を解釈すれば、弁護人は単に被告人の意思に従属してこれを補助するにとどまらず、自己の判断にしたがって被告人の正当な利益を擁護しこれを弁護する役目をもっているとまで言えるのです。

(以上参照:光藤景皎 刑事訴訟法 1

 

わたしたち人間は、誰しも一端権力を与えられればこれを極限まで行使しようとする性質を持ち合わせています。

そしていつの日か誤った手続きで起訴をなされ、処罰感情という刃の前に立ち震えるかもしれないのもまた、わたしたち自身なのです。

 

 

|

2009/09/16

事件単位の原則と振る舞いの美学

酒井被告の保釈決定 保釈金500万円(iza)

「覚せい剤取締法違反(所持、使用)の罪で起訴された女優の酒井法子被告(38)について、東京地裁は14日、保釈を決定した。保釈保証金は500万円。弁護人が同日付で保釈を請求していた。酒井被告は8月3日に東京都港区南青山の自宅マンションで、覚醒(かくせい)剤0・008グラムを所持した罪で同月28日に起訴された。さらに7月30日に家族で訪れた鹿児島・奄美大島のホテルで覚醒剤を吸引したとして、使用罪で9月11日に追起訴された。」

 
刑事訴訟法の89条4号をご覧下さい。

89条

「保釈の請求があつたときは、次の場合を除いては、これを許さなければならない。

4 被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき。」
 

 
保釈とは、保証金を納付させ、不出頭の場合没収するという条件で威嚇し、被告人を暫定的に保釈する制度のことです。

保釈された人も、法観念的には勾留が維持されています。

刑事訴訟法の89条は、裁判所に対して”保釈を許さなければならない”と定めており、この形態の保釈のことを、保釈のなかでも権利保釈と呼んでいます。

権利保釈といっても、そこにいう権利は当然ながら憲法34条にいうところの”正当な理由なく拘禁されない権利”のことではありません。

なぜなら保釈とは、そもそも勾留の理由と必要性があることを前提に行われる処分であって、その拘禁にははじめから正当な理由が存在しているはずだからです。

ただしだれもが被告人を保釈することのリスクとして思い当たるように、罪証隠滅が疑われる場合には、権利保釈することはできません。

これが89条4号ですが、その罪証隠滅の対象は公訴事実に限定して解釈すべきであると考えられています。

なぜならばもしあらゆる証拠隠滅を防ごうとすると、その解釈範囲は際限なく広がることになってしまい、保釈制度が無実化するからです。

そもそも勾留の要件・手続は、被疑事実を単位にして定められています。

そのため、その効果も勾留状に記載された事実についてのみ及ぶことになります。

したがって勾留の理由とされていない余罪の罪障隠滅を憂慮して、保釈を否定することはできないのです。

これを事件単位の原則と呼びます。

酒井容疑者は、自宅での覚せい剤所持、および奄美大島での覚せい剤使用の両容疑についての両公訴事実についてのみ罪障隠滅の可能性などを考慮され、保釈という一定の自由が与えられたというわけです。

保釈中のそのほかの余罪についての振る舞いは、彼女に一任されています。

彼女がこれからまた真の自由を獲得し直せるかどうかは、刑事訴訟法というとても慎重な法の思想の意味を、彼女の人生の転機においてどう捉えられるかという点にも、一面かかっているのかもしれません。(私見)

 

 

(以上参照資料)

|

2009/09/03

全てを蔑ろにしてリヴァイアサンを呼び出そう

自転車事故で1300万円賠償命令 パート女性の後悔(産経関西)

「一方、被害女性は治療費のほとんどを自己負担し、後遺症などで仕事もできなくなり廃業。当然、加害者の対応は不誠実と映り、刑事告訴とともに損害賠償を求めて民事訴訟を起こした。パート女性は事故の約1カ月後、罰金刑を受けて15万円を納付。民事訴訟では地裁から出頭を2度命じられたが、「勤務先はぎりぎりの人数で交代できない。休んだら迷惑をかける」と放置したという。ところが今年7月21日夕方、パートから帰ると被害者の代理人弁護士から電話があり、「今日判決が出ました。賠償額は1300万円」と聞かされた。愕然(がくぜん)として「とてもじゃないけど払えない」と訴えたが、「法的には支払い義務がある」と告げられた。パート女性はすぐに弁護士に相談し、裁判期日に出頭しないと相手の言い分を認めたことになることを初めて聞かされたという。」

民事訴訟法の158条をご覧下さい。

158条(訴状等の陳述の擬制)

「原告又は被告が最初にすべき口頭弁論の期日に出頭せず、又は出頭したが本案の弁論をしないときは、裁判所は、その者が提出した訴状又は答弁書その他の準備書面に記載した事項を陳述したものとみなし、出頭した相手方に弁論をさせることができる。」

 
 

民事訴訟において、当事者の一方がもし口頭弁論期日に欠席すると、その欠席の直接の法的効果として、出席した当事者の主張だけに基づいて欠席当事者に不利な内容の判決が言い渡されることも認められています。

これを欠席判決といいます。

裁判所から送られてくる訴状には、注意書が添えられており、それには、答弁書の提出期限と、答弁書の提出を怠り、期日に出頭しないと、欠席判決がなされることが書いてあります。

よって事の重大さは、受け取った人が誰であれ理解できるようになっています。

とはいえわたしたちの憲法は、その82条で、裁判の対審および判決を公開法廷で行うことを保障してはいます。

よって一方が欠席したまま不利な判決が出てしまうのは、一見重大な憲法違反のようにも見えます。

しかしながら対審という双方を審じんする機会は、法解釈条、呼出状を送達して与えればよいと解されています。

よって呼出送達を二度も受け取っている以上、欠席判決という残酷な状態も憲法に反することはないのです。

判決への控訴という道は残るものの、今回のような送達の事実を十分理解して無視した人にまで、わたしたちの法が進んで救済する道を作ろうとはしないでしょう。

わたしたちの法の容れ物は思いの外固く仕上げられているのです。

なぜならば、もし民事裁判という、わたしたち自身が同意した利害調整の仕組みに、わたしたち自身がないがしろにしてしまう態度をとるなら、それはとりもなおさずかつての剥き出しの権力による統治の時代への逆行を、不承不承許していくことにほかならないからです(私見)。

 

 

(以上参照資料)

|

«うさぎを深追いして猟師は血塗れになった