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2005/03/13

宗教としての法律を切り裂く一発の弾丸

判事ら3人射殺の男を逮捕 逃走中さらに1人殺害の疑い(CNN)

「レイプ事件の公判に出廷途中のブライアン・ニコルズ被告(33)が保安官代理の銃を奪い、判事ら3人を射殺した後、逃走した事件で、警察当局は12日朝、アトランタ北郊のドゥルースのアパートでニコルズ被告を逮捕した。」

法廷等の秩序維持に関する法律の第2条をご覧下さい。

第2条(制裁)

「裁判所又は裁判官が法廷又は法廷外で事件につき審判その他の手続をするに際し、その面前その他直接に知ることができる場所で、秩序を維持するため裁判所が命じた事項を行わず若しくは執つた措置に従わず、又は暴言、暴行、けん騒その他不穏当な言動で裁判所の職務の執行を妨害し若しくは裁判の威信を著しく害した者は、二十日以下の監置若しくは三万円以下の過料に処し、又はこれを併科する。」

本条の保護法益は裁判の威信です。もちろん人の命を殺めるのはそれ以前の問題として処罰されますが、ここ日本でも刑事司法の現場である裁判所を愚弄する行為は許されません。

何故ならそもそも裁判どころか、国家や法律という観念そのものが、国民全員の静かな合意の上に成立しているからです。

国家と法が人をないがしろにするとき、いつでもそのハリボテは覆されることを歴史は証明しています。

元来、何故ルールによって人が人の命を奪えるのかという問題の根源的な回答さえ我々は未だ手にしていません。

それでも現実の国家秩序の運営のため、あたかも法という絶対判断方法が”あるがごとく”われわれにはふるまう必要があります。

それは”信頼に値する”というレベルではなく、”絶対価値である”とまで幻想を高めておかなければ、最悪の場合、自らの命の処分まで任せることはとてもできません。

乱暴者にいちいち刑事裁判をツブされる可能性を残しておくと、法廷と判例の権威が失われます。

そして共同幻想を失うことで我々が直面するのは現実生活の危険なのです。
 
 

法理メール?

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