2006/04/24

インスタントラーメン屋さんへの法的基礎工事

インスタントで全“麺”戦争…全国から百種以上 ラーメン激戦区・中野 (zakzak)
「一見、普通の小さなラーメン店と変わらないのれんをくぐると、壁や棚にインスタントラーメンがズラリと並ぶ。店主の竹中さくらさん(40)は「今のところ100種ちょっとぐらい。もうすぐ、棚を作ってもっと種類を増やす。お客さんは行列ができるほどではないが、結構入ってます。特に夜が忙しい」と評判は上々のようだ。販売網が西日本中心で関東地方ではなかなか手に入らない徳島製粉(徳島市)の「金ちゃんラーメン」を注文すると、あっという間に煮タマゴとほうれん草、メンマがトッピングされたアツアツのラーメンが出来上がり。少年時代に食べた懐かしい味がそのままに再現された。」

(社)全国公正取引協議会連合会による表示に関する公正競争規約 A-31、即席めん類等の表示に関する公正競争規約6条をご覧下さい。

第6条(不当表示の禁止)

「事業者は、即席めん類等の取引に関し、次の各号に掲げる表示をしてはならない。

(1) 客観的な根拠に基づかない「ナチュラル」、「天然」、「自然」、「生」、「フレッシュ」等当該商品の品質が優良であることを意味する表示

(2) 客観的な根拠に基づかない「最高級」、「最優良」、「スペシャル」、「特選」、「高級」等当該商品の品質が優良であることを意味する表示

(3) 客観的な根拠に基づかない「手打風」、「熟成」等製造方法の優良性を意味する表示(以下略)」 

公正競争規約とは、事業者団体が公正な競争の確保と消費者の利益の保護のため、不当な表示による顧客の獲得競争を規制するため自主的に定めているルールです。

業界団体をとりまとめる(社)全国公正取引協議会連合会は苦情の処理や規約不参加事業者の規約への加入促進、関係官公庁との連絡や関係団体との連絡・調整等を行います。

公正競争規約は公正取引委員会の認定を受けることが必要で、これにより独占禁止法上の概念である「不公正な取引方法」との整合性との担保や、公的権威が付与されています。

公正競争規約はたとえば食品には事業者の住所・氏名や原材料名、添加物、期限表示を表示させ、その業界における原材料を強調するような”最高級”などの特定の用語の使用基準を定めています。

乾燥麺類においても、たとえば6条で「ナチュラル」「天然」「自然」「生」「最高級」「特選」「手打風」「熟成」「元祖」などのキャッチフレーズを客観的根拠なく表示する行為を禁止しています。

(以上参照:(社)全国公正取引協議会連合会ホームページ

憲法上、一般的に経済活動における表現の自由は、精神的なそれよりも大きな制約に服すると考えられています。

(これを二重の基準の理論と呼びます。)

体にいいと信じて「天然」表示のあるインスタントラーメンばかりを選んで買っていたあなたが不当表示によって体をこわしてしまう事態を避けるため業界全体で表現方法の自制が許されるのもそれがゆえです。

また営利的視点に立っても、虚偽表示による不当誘引が横行すれば業界全体のパイを結局は腐らせてしまう(信用を失ってしまう)ことにつながりますから、公正競争規約はまさに自主的に設けるにふさわしい規約といえます。

中野にナイス・アイディアなインスタント・ラーメン料理店ができたのだとか。

都内ではなかなかお目にかかれない地方のものもあるということなので、その点にまずお店でインスタントラーメンを食べることに対価を支払う価値を見ることもできそうです。

しかしそれ以前に平成12年に設けられた乾燥麺類に対する公正競争規約が、ニュー・ビジネスに対する信用を基礎工事として厚くしている点も見逃せません。

 

 

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2006/04/23

冷凍みかんの憲法成分表

「冷凍みかん」に熱~い歓声(スポーツニッポン)
「22日に静岡エコパスタジアムで行われたJリーグ「清水エスパルス―浦和レッズ」の直前イベントで「冷凍みかん」というユニークな曲が演奏された。同県出身の大倉沙斗子(24)がリーダーを務める女性3人組バンド「GTP」が登場し、エスパルスと同じ“みかん色”のTシャツ姿で「冷凍みかん 冷凍みかん 冷凍みかん4個入り」と元気よく熱唱。3万人以上集まった客席からも手拍子が鳴った。」

学校給食法の第6条をご覧下さい。

第6条(経費の負担)

「学校給食の実施に必要な施設及び設備に要する経費並びに学校給食の運営に要する経費のうち政令で定めるものは、義務教育諸学校の設置者の負担とする。

2 前項に規定する経費以外の学校給食に要する経費は、学校給食を受ける児童又は生徒の学校教育法第22条第1項に規定する保護者の負担とする。」 

わたしやあなたが暮らす国の憲法の26条1項には、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と規定されています。

これを抽象的に「教育を受ける権利」と呼んでいます。

そして教育を受ける権利の具体的内容の1つとして、26条2項には義務教育が無償で受けられる権利が定められています。

ところでこの義務教育の”無償”という言葉の範囲には学説上の争いがあります。

ひとつにはそれは授業料の無償を意味するのだと考える説、今ひとつには文字通り一切の費用を無償とすべきなのだと考える説です。

世界的な流れとしては、教育に関する費用は一切を無償としているのが主流なのだといわれます。(それどころか、学生はほとんど医療費を払わなくてよい国もあります)

我が国の最高裁昭39年2月26日判例によれば、26条2項にいう義務教育の無償の意味は、保護者から国が義務教育を提供することに対価を徴収しないという意味なのだという解釈を明らかにしています。

つまりそれは純授業料の不徴収を意味し、その他経費は親が負担しても憲法には違反しないのだということです。

国家以外に、親にも一定範囲の教育の自由を肯定する以上、教育のコストも一定程度負担してもらうことには合理性があるというのがその根拠のひとつです。

学校給食法もその6条で、学校給食における施設やその経費、学校給食の運営に要する経費のうち政令で定めるものは、義務教育諸学校の設置者の負担とし、それ以外の学校給食に要する経費は、学校給食を受ける児童や保護者の負担とするのだと費用を分担しています。

学校給食は明治22年、山形県で貧しさに苦しむ子どもたちに小学校が昼食を与えはじめたのが日本におけるそのはじまりだといわれています。

敗戦後の日本中が飢えに苦しんだ焦土の時代を耐え、昭和29年には国会で「学校給食法」が成立、公布されています。

給食といえども教育に関わることが法律で決められるのは重要な意味を持ちます(これを教育法律主義と呼びます)。

それがなければこどもたちの教育は、国家の中枢に座った人達の思惑次第になりかねないからです。

学校給食の定番デザート、冷凍みかんを歌った歌が、印象的リフレインをもって全国的な流行の兆しをみせはじめています。

それを口の中で一生懸命とかしていた当時は気がついていませんでしたが、実はその冷たい房の片割れは国家が、もう片割れは親が分担していていくれたことにも今のわたしたちなら思い至ることができるのです。

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2006/04/02

ロボットスーツと野口健さんが見せる強い未来

ロボットスーツで日帰り登山 障害者背負いアルプスへ(朝日新聞)
「アルピニストの野口健さん(32)=東京都在住=を隊長とする登山隊が8月上旬、歩行が困難な障害者2人を背負って、スイスアルプスのブライトホルン(約4160メートル)に日帰り登山する。隊員の体力消耗を抑えるため、モーターの力で歩行を支援する「ロボットスーツ」を一部の行程で使う計画だ。ロボット工学が専門の山海嘉之(さんかい・よしゆき)・筑波大教授が協力する。 」

刑法の211条第1項をご覧下さい。

第211条〔業務上過失致死傷等〕

「1 業務上必要な注意を怠り,よって人を死傷させた者は,5年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も,同様とする。(以下略)」 

誰もが知っているように、登山はとても危険を伴うスポーツです。

山を目指す人はこれを納得ずくで山に登りますが、このことを危険引受の法理と呼びます。

これを踏まえて、登山における事故は他の事故と別な法的判断がとられるのだといわれます。

つまり,故意又は重大な過失による行為でない限り、登山事故に関わった行為は容認されるという考え方です。

しかし如何に危険を納得ずくといえども、同意できない危険というものは存在します。

たとえばリーダーのいい加減な状況判断やその他通常の注意を払えば当然わかりきった危険を不注意のために予測できず危険に陥ったのだとしたら、危険引受の法理を乗り越えてリーダーは責任を問われることになります。(参照:高みへのステップ 登山と技術 文部省刊

身体能力が一般よりも欠けてしまった方々を山に連れて行くなら、リーダーには尚一層の注意義務が課されるといえるでしょう。

刑法の211条はその業務上の注意義務違反で人を死傷させたときに問われる責任です。

業務といってもなにも山岳ガイドでなくともよく、人の普通の活動は大抵業務であると呼ばれます。

登山の引率指導者には上記注意義務が要求されます。

いかにトレーニングを参加者全員で積み、さらに危険引受の法理が適用される山だとはいえ、歩行が困難な方を引率すれば過大に課されることになる注意義務をあえて背負って、野口さんと障害を持った方々は新しい挑戦に挑みます。

社会的なリスクを負うことがあっても、あらゆる境遇の人の目線を山の上にまで運ぼうという野口さんのパワーは考えれば考えるほど並のものではありません。

そしてもしこうした人が存在しなければ、明日不測の事故で歩行が困難になるかもしれない誰もがその後非常に狭い世界を強いられることになるのです。

いつも野口さんがメディアに出演されると、その壮絶な登山の現場の話に耳をそばだてずにはいられません。

わたしたちはアルピニスト(哲学的登山家)、野口健さんという人の本当の偉大さをもっとよく理解すべきなのかもしれません。

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2006/03/27

薬事法68条は意思の力のデッドエンド

人類、肥満と戦う (MSN news)
「サプリメント大国のアメリカでは、この止め難い食欲を止めてしまう抗肥満薬が販売されている。脳に働きかけ、食欲そのものを抑制するのだ。「オベスタット」や「リダクティル」が代表だ。肥満の原因となる脂肪の吸収を抑える薬もある。脂肪分解酵素のリパーゼの働きを抑制する。「ゼニカル」がその代表だ。服用すると約30%の脂肪が吸収されずに排出される。さらに現在開発中の新薬は発想がまったく違う。脂肪細胞そのものを殺してしまうのだ。特殊なペプチド(アミノ酸の集まり)を使って、脂肪細胞に血液を送る血管だけを塞いでしまう。血液が流れなくなった脂肪細胞はほどなく死滅し、その分体重も減るのだ。マウスでの実験では、体重が通常のマウスの2倍もある肥満マウスに新薬を投与した。するとほぼ1カ月で肥満マウスの体重は標準に戻ったという。 」

薬事法の第68条をご覧下さい

第68条(承認前の医薬品等の広告の禁止)

「何人も、第14条第1項又は第23条の2第1項に規定する医薬品又は医療機器であつて、まだ第14条第1項若しくは第19条の2第1項の規定による承認又は第 23条の2第1項の規定による認証を受けていないものについて、その名称、製造方法、効能、効果又は性能
に関する広告をしてはならない。」 

1958年、イソミンという名前の睡眠薬が日本で販売されました。

しかしこれを妊婦さんが飲むと生まれてくる赤ちゃんの手足などに不幸な症状があらわれることが徐々に分かり始めました。

製薬メーカーと当時の厚生省は、すでにその成分の危険性を察知した世界からの忠告を無視しつづけ、大人たちの怠慢の間にたくさんの負わなくて済んだハンデを負わされてしまった被害児たちが生まれました。

これがいわゆるサリドマイド薬禍事件です。

医薬品は、治療や予防に欠かせないものですが、同時に生体にとっては異物であり、その薬理作用は往々にして副作用を発現させる場合があります。

それどころか厳密にいえば、どのように優れた薬にも副作用は存在しています。

よって生きていく上で不可欠な薬をより安全に用いるために、わたしたちから権力を付託された国家は十分に効能と副作用が衡量された医薬品だけを市場に供給するようコントロールする必要があります。

これが薬事法の法理です。

近年、国内にはない健康関連のユニークな外国製製薬を入手するため、個人輸入代行サイトが密かな人気を集めています。

記事中の食欲抑制剤、オベスタットやリダクティルなども、現実的にはその入手をインターネットを通じて個人業者からの輸入代行に頼ることになります。

輸入代行業務自体は、薬事法に基づく許可等が必要な業務には当たりません。

しかし、日本で未承認の医薬品・医療用具等の広告を行うことは、薬事法の68条が禁止しています。

国家がリスクバランスをとっていない薬剤である以上、それを経口投与することは丁半博打と本質的には変わりがないからです。

薬剤が体にとって不可逆の悲劇を起こしてしまったとき、事実上どこにもその損害賠償を請求する筋道がつけられていないというリスクを十分飲み込むことを、最近では「自己責任」と呼んでつきはなしています。

サリドマイドの不幸からこちら、わたしやあなたは薬事行政が厳正に執行されるようになったと信じこんでいましたが、製薬メーカーと薬事行政の眠い関係は薬害エイズ問題においても全く同じ構図を見せました。

わたしたちの意思の力は、それが民主制で運営されるはずの国内行政にあっても、いまだ十分なコントロールを発揮できる段階を迎えていません。

それが海外の名も知らぬ土地の工場から、顔も知らぬ代行業者を通して送られてくる薬剤であれば、資本の論理がわたしたちの意思の力をあっけなく切断していることは推して知るべきです。

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2006/03/26

「価値のない命だ」とナチスは安楽死を量産した

富山・射水安楽死疑惑、外科部長は尊厳死を主張
「男性外科医(50)による患者7人に対する「安楽死疑惑」が浮上した射水市民病院(富山県射水市)の麻野井英次院長が25日午後会見し、外科医は人工呼吸器を外したことについて「患者本人の直接の同意はないが家族の同意があった。患者のためにやった。尊厳死だ」と説明していることを明らかにした。」

刑法の35条をご覧下さい。

第35条(正当行為)

 法令又は正当な業務による行為は,罰しない。 

たとえば刑法上、人を殴ってケガをさせたりすると傷害罪に問われるはずですが、ボクサーがいちいちしょっぴかれるという話は聞いたことがありません。

これはボクサーが殴り合ったりすることは、わたしやあなたの一般社会観念で正当だと判断できることから、見た目は危険でも「違法でないから罰しない」というルールが適用されるからです。

そのルールのことを刑法学で違法性阻却事由と呼んでいます。

他におまわりさんが現行犯人を拉致すること、お医者さんが人のお腹を刃物で開くことなども正当行為の範疇に入ります。

安楽死とは、傷病者が激烈な肉体的苦痛に襲われ自然の死期が迫っている場合に、傷病者の嘱託に基づき苦痛を緩和・除去して安らかに死を迎えさせる措置をいいます。

これに対して尊厳死とは、回復の見込みのない末期状態(死が間近に押し迫った状態)の患者に対し、生命維持治療(延命措置)を中止し、人間としての尊厳を保たせつつ、死を迎えさせることをいいます。

安楽死は楽に死なせることを目的とするのに対し、尊厳死は「品位ある死」の確保を目的とするという点で質的な違いはあります。

しかしどちらにしろまだ命のある患者を医者が奪うことに変わりはありませんので、その行為に違法性阻却事由が認められるのか、つまり殺人や同意殺人に問われないのかが問題となります。(参照:刑法総論講義案 裁判所書記官研修所監修 司法協会)

学問上は、死ぬほどの苦痛をやわらげる利益なら例外的に医学上明確に短いと判断された生命の利益に優越し違法性が阻却される、つまり正当行為になるのだと考えています。

かつて横浜地方裁判所は、平成7年3月28日という有名な判例で、安楽措置が違法性を阻却される要件として、

①患者が耐えがたい肉体的苦痛に苦しんでいること
②患者は死が避けられず,その死期が迫っていること
③患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし他に代替手段がないこと
④生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること

という要件を提示しています。

そしてこれら要件が充足すれば、積極的に死期を早める安楽死も例外的に許容されうるのだとしています。

ただしこの判決、よくよく読めば事実上の末期治療における安楽死を否定したものだということがわかります。

なぜならば、もはやそのような段階では患者は意識を失っているか、少なくとも有効な意思表示を行う状態にはないからです。[参照:刑法判例百選1 総論 有斐閣]

事実、判例は要件を定立したものの、安楽死による正当化をこれまでほとんど認めていません。

司法は違法性阻却事由の向こう側で守られて、日常的に人の生死を業務として扱う医師に対して裁量権を与えてしまうことの意味を警戒しているのです。

彼個人の哲学次第で致死量の薬液の投与が許されるほど、わたしたちは生命の尊厳の意義を解釈し切れておらず、またこれからもそんな予定はないからです。

 

 

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2005/09/22

認知症という呼称に知る社会成熟の歴史

認知症患者の脳機能が改善 アザラシ型ロボと触れ合い(河北新報)
「アザラシ型ロボット「パロ」と触れ合うことで、認知症の高齢者の脳機能に改善効果があったと、産業技術総合研究所が16日、発表した。」

民法の858条をご覧下さい。

第858条(成年被後見人の意思の尊重及び身上の配慮)

「成年後見人は、成年被後見人の生活、療養看護及び財産の管理に関する事務を行うに当たっては、成年被後見人の意思を尊重し、かつ、その心身の状態及び生活の状況に配慮しなければならない。 」

手元にある「アルツハイマー病・認知症(痴呆症) 吉岡充 主婦の友社」という本の中に、認知症の呼び名の歴史についてとても興味深い記述があるので以下引用させていただきます。

その昔、アイヌ民族は、認知症になった人を「神様の友達」と呼び、困った行動をしてもしかたがないのだと受け入れたのだそうです。

しかし、明治以後、西洋医学が盛んに採り入れられるようになると、認知症は治療回復の困難性から一転、老耄狂、老耄痴狂、老耄性痴呆と名付けられ、終末期には失神性痴獣とまで呼ばれたのだとか。

獣呼ばわりです。

つまりそれまで神の友達と自然に受け入れていた認知機能の低下という症状に対して、西洋医学の導入は、ただ患者の役割だけを与えて厄介者にしてきた歴史があったのだそうです。

そこには優性思想に支配されようとしていた、当時のただ未熟な社会意識があったとしかいいようがありません。

現在では痴呆症という呼称もつい昨年末に認知症と呼ばれることに改善されました。

ちなみに痴呆という言葉は、手元にある古い国語事典によればそのままで「バカ」を表現してしまいます。

これでは実際に認知機能が低下したお年寄り、あるいは若年認知症の方々から感情的な反発があって当然です。

たとえ認知機能が低下しようとも、感情機能は低下することがないからです。

感情機能が存続しているとは、その症状をもとに不当に扱われれば理由は理解できなくとも、屈辱感だけはずっと胸に残ってしまうということです。

私やあなたにも年老いたときにやってくるかも知れない認知機能の低下という世界に対して、私たち自身よりセンシティブな対応が当然用意されていることを望んでいます。

呼称も徐々に人間的になっていったように、法制度も徐々に成熟していき、現在では民法の成年後見制度が、認知能力が低下した現在の人達、また将来の私たちを保護しようとしてくれています。

そのひとつとして858条も、たとえ看護する人であろうとも、認知能力の下がった人の誇りを傷つけるような扱いをしてはならないことを定めています。

これからも法や社会の制度は数々の失敗を糧にしながら、より成熟していくことでしょう。

いざ自分がその病に足首を掴まれたとき、自分としてはどういった制度や法が準備されていたいのかを我が事として現実的に描ければ、私たちは道を間違えません。

その能力は古来、デリカシーと呼ばれています。

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2005/07/31

アスベストで決算書を内装せよ

JR西、94%の駅で石綿使用 ホーム屋根や駅舎内装

「JR西日本の管内計1216駅のうち、約94%にあたる1147駅のホームや駅舎で、アスベスト(石綿)を屋根材や断熱材などとして使用していることが30日、わかった。同社は飛散防止措置をしており問題はないというが、使用状況の詳細な調査を進めている。」

石綿障害予防規則の第一条をご覧下さい。

第一条(事業者の責務)

「事業者は、石綿による労働者の肺がん、中皮腫その他の健康障害を予防するため、作業方法の確立関係施設の改善、作業環境の整備、健康管理の徹底その他必要な措置を講じ、もって、労働者の危険の防止の趣旨に反しない限りで、石綿にばく露される労働者の人数並びに労働者がばく露される期間及び程度を最小限度にするよう努めなければならない。(以下略)」

石綿とは平たく言えば、石に含まれる極細の鉱物繊維のことです。

それは丈夫なうえに加工しやすく、しかもコストが安かったため、建材等にこれまで幅広く用いられてきました。

しかしそれが人体に吸い込まれて石綿、いわゆるアスベストの耐久性が裏目に出てしまうとそれは肺組織につき立ったままいつまでもそこに留まり、癌や悪性中皮腫の原因種ななってしまいます。

石綿障害予防規則はこの7月 1日に施行されたばかりの法律で、吹き付けアスベストが原則1975年に禁止されているため、現在もっとも危険な作業として想定される解体時の安全性を確保するため、独立制定されました。

安価で、加工しやすく、しかも施工後は丈夫で形状を変えない・・・これほど建築業・製造業にとって魅力的な素材はめったにないといってよいでしょう。

そのためアスベスト問題の本質は、実は「現在もアスベストか、それに似たような問題をもつ性質の代替品が密かに、しかも大量に使われ続けていることだ」ともささやかれています。

確実に利益が出るからです。

今後も今現在合法的に使われている資材の中に、実は非常に危険な物質が含有されていることを、科学が発見することがあるかもしれません。

アスベストだけに限って対処法を立法するだけでは、問題を生んでいく本質に迫れたとはいいきれません。

法が考慮すべきなのは、今月の売り上げばかりを追って決して従業員や顧客の10年後、20年後の健康問題を考えない、事業者の態度の正し方です。

より本質的な解決のためには、いかにJRといえども、危険物質と認識しながら放置する態度を何十年も続けた時には、商いがし難くなる法や規則や判例を積んでいくという、社会の側の努力が必要なのだと考えます。
 

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2005/06/21

メメント・モリと安部がいう

過剰摂取は有害の恐れ コエンザイムQ10(東京新聞)

食品衛生法の第4条をご覧下さい。

第4条

「この法律で食品とは、すべての飲食物をいう。ただし、薬事法に規定する医薬品及び医薬部外品は、これを含まない。」

食品衛生法の目的はその1条によれば、食品の安全性の確保のために公衆衛生の見地から必要な規制その他の措置を講ずることにより、飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止し、もつて国民の健康の保護を図ることとなっています。

食品衛生法の11条では、食品の製造や使用、保存方法についての基準や成分規格を定められるとし、その規格または基準に合わない食品、添加物に対する製造、使用、輸入、販売などの禁止しています。

これをもとに現実に動くのは、東京都の場合保健所になります。

たいして薬事法の目的は1条によれば、医薬品、医薬部外品、化粧品及び医療機器の品質、有効性及び安全性の確保のために必要な規制を行うとともに、医療上特にその必要性が高い医薬品及び医療機器の研究開発の促進のために必要な措置を講ずることにより、保健衛生の向上を図ることとなっています。

薬事法の2条では医薬品や医薬部外品、化粧品などの定義を定めています。

これをもとに動くのは東京都の場合、薬事監視課になります。

さて医薬品ですが、薬事法で厳密な審査を受けて承認、許可されたもの以外は製造、販売を原則禁止されています。

これは憲法学で通常、警察的規制と呼ばれる性質の法律です。

一方、それが食品であるときはよりゆるやかな扱いとなり、性質に応じた規制のみが志向されています。

これは通常、政策的規制と呼ばれる性質のものです。

つまりもしその商品に薬事法にひっかかる成分が一切含まれていなければ、扱いは政策の範疇に入り、非常に業者まかせのゆるやかなものになるというわけです。

薬事法の定義次第で、同じく私たちの口に入るカプセルの扱いはキツくなったり、急に緩くなったりするわけです。

しかし食品の定義が、食品衛生法の4条で「医薬品でない全ての口に入るもの」とイチロー並の広い守備範囲を見せているため、コエンザイムQ10の監視は基本的にはゆるやかな保健所の仕事になっています。

同じ都の部署である以上、怪しげな商品に関してはちょっとくらいかぶっていても両部署が同時に動いてもよさそうなものですが、丹下健三の手による巨大な塔を見れば想像に難くないように、同じ庁舎の中でも従う法律系統が変わればそれぞれの部署が全く異なる視点で仕事をしています。

食品衛生法の広すぎる守備範囲は、限りなく薬品に近いサプリメントもキャッチしてしまい、食品には薬に用いられる薬効表現ができないことが、逆に混乱を招くような表現を用いる原因となり、普通にお勤め帰りに薬局に立ち寄るあなたや私のような消費者の体に不要なばかりか場合によっては有害な”食品”を先を争って購入する事態にもつながっています。

薬局に並んでしまえば食品であるとか医薬品であるとかは事実上わからないからです。

これがいわゆる縦割り行政の弊害と呼ばれる問題です。

この問題は過去、HIV薬害問題などで何度も大きくクローズアップされました。

しかし、庁の通達などによる局所的な手当以外、抜本的な改革は未だ成功していません。

この問題の解決にはあらゆる関係者や、また私たちひとりひとりの問題意識の継続が不可欠です。

そしてそれを突き動かしうるのが、HIV薬禍の際に私たちが見たのは単なる行政派閥の勝敗でなく、たくさんの人々の死だったという記憶への社会的再定義です。
 

 
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2005/03/05

憎しみを数値化する勇気

「入所者に憎しみ」3割 介護施設職員調査(東京新聞)

老人福祉法の第11条をご覧ください。

第11条(老人ホームへの入所等)

「市町村は、必要に応じて、次の措置を採らなければならない。
1.65歳以上の者であつて、身体上若しくは精神上又は環境上の理由及び経済的理由により居宅において養護を受けることが困難なものを当該地方公共団体の設置する養護老人ホームに入所させ、又は当該市町村以外の者の設置する養護老人ホームに入所を委託すること。(以下略)」

特別養護老人ホームは11条をうけて同20条の5によって定義されている、普通の家庭や施設では介護が困難になった認知症の方を受け入れる施設です。

その意味で、そこにお勤めの方には通常以上のご心労があるのだと思います。

今回の記事のように現場の声を収集する作業というのは、介護人、被介護人の為のより最適な環境を作っていくため大変意義のある仕事であることに間違いありません。

またそのフィールドワークにたいして、より率直な意見をよせた介護人の方々も非常に有意義な仕事をされたと思います。

失敗した人を感情にまかせて罵るのも人間の特性なら、失敗を自覚的に共有資産に転換できるのも、また人間の特性なのですから。
 

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2004/12/22

除斥期間:容赦なき区切り

9人の「除斥期間」巡り国側上告 北海道石炭じん肺訴訟 (朝日新聞)

「高裁判決は除斥期間について、じん肺の症状に関する最後の行政上の決定、あるいは死亡の時から20年と判断した。これに対し、国側は「症状に関する行政の最初の決定時から起算する」との見解を示し、9人については除斥期間がすでに過ぎていると主張していた。」

民法の724条をご覧下さい。

第724条〔損害賠償請求権の消滅時効〕

「不法行為に因る損害賠償の請求権は被害者又は其法定代理人が損害及び加害者を知りたる時より3年間之を行はざるときは時効に因りて消滅す不法行為の時より20年を経過したるとき亦同じ」

国家賠償請求権については、国家賠償法四条が、民法七二四条を引っ張ってきています。

そこで民法の724条後段を見てみると、不法行為をめぐる法律関係を一定期間の経過によって画一的に確定させるため、不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定めたものと分析でき、事実判例もそう判断しています(最高裁平成元年12月21日)。

除斥期間における「斥」の字は、一文字で家来に向かって「下がれ」というような意味を持ちます。

除斥期間は時効によく似た制度です。

権利行使期間であって、一定の期間内に権利の行使をしないと権利が消滅するものと説明されます。

この損害賠償の場合20年たつとじん肺被害者は国に文句がいえなくなるというわけです。

除斥期間という制度の趣旨は権利関係をさっさとハッキリさせることにあります。

その立法趣旨の点からすると、行政の最初の決定時から起算したほうが権利関係が早く決着がつきますので、国の主張のほうが認められる方向を向いています。

ただ、ここでいう「決着」とは、場合によっては国がじん肺対策を怠った不作為のせいでじん肺被害を負った人々を合法的に国が無視することを意味しますので、結論として座りは決してよくありません。

その意味で、この争いのある除斥期間という論点に対して、最高裁がどこまで実質的な利益衡量を持ち込めるかが注目されます。
 

 
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