2007/03/13

礫を飛ばして憲法を葬れ

痴漢“冤罪”父悲痛な訴え「息子はやってない」(ZAKZAK)
「インターネットで情報収集を始め、「通常の痴漢裁判では被害女性の証言が終わるまでは保釈されないと知った。長い人は1年もかかることもある」と悲観的な現実を知った。参考になればと、痴漢冤罪裁判を描いた公開中の映画「それでもボクはやってない」(周防正行監督)も見た。そして、弁護士と話し合い、「証言があれば冤罪を証明できる」と目撃者探しを決意した。」

憲法の31条をごらんください。

第31条〔法定手続の保障〕

「何人も,法律の定める手続によらなければ,その生命若しくは自由を奪はれ,又はその他の刑罰を科せられない。」 

刑事訴訟において、検察官に有罪の立証責任があって、もし裁判所が犯罪事実の存否について確信を得られなかった場合には、被告人に有利に判定を下さなければならないという原則のことを、利益原則(疑わしきは被告人の利益に)と呼びます。

利益原則は、証拠法において実質的挙証責任が検察官にあることを意味しています。

そしてそのことは、無罪の推定が被告人に及んでいることの裏返しの表現になります。

つまり利益原則とは、憲法31条が要求する「正しい手続を踏まなければわたしたちは国家に刑罰を科せられない」という、適正手続思想下の存在だということになります。

以上のような論理構造で、利益原則は刑事訴訟法にはその条文がないものの、学説上憲法31条から当然導かれるものと考えられています。

例外として被告人の側に挙証責任が課されるのは、名誉毀損における事実の真実性など、とても特別な場合だけです。

よって本来、電車内で被害にあったとされる女性の証言が、単独では犯罪があったとの合理的な疑いを越えるには足りない場合、法理論上は利益原則が働いて証言の証明力はゼロに戻されなければなりません。

にもかかわらず被告の父が子の無罪の証明のため奔走して準備しなければならないという訴訟の現実は、あたかもカチカチと憲法の中核につぶてを飛ばしているかのような景色です。(私見)

 

 

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2006/06/24

経営に失敗して自治体は遠隔操作を申し出た

北海道夕張市、財政再建団体申請へ…負債600億円超(読売新聞)

「北海道夕張市の後藤健二市長は20日開会した市議会で、財政再建団体の指定を国に申請する方針を表明した。実質負債は600億円超で、1年間の標準財政規模(約45億円)の10倍以上。今年中に指定されれば、1992年の福岡県旧赤池町(現福智町)以来14年ぶりで、財政運営は事実上、国の管理下に置かれる。夕張市は、最盛期24か所あった炭鉱で栄えたが、90年に最後の炭鉱が閉山し、約12万人に上った人口も約1万3600人に激減。市は観光振興を打ち出したが、失敗した。」

地方財政再建促進特別措置法の22条2項をご覧下さい。

第22条

「2  昭和三十年度以降の年度において、歳入が歳出に不足するため翌年度の歳入を繰り上げてこれに充て、又は実質上歳入が歳出に不足するため当該年度に支払うべき債務の支払を翌年度に繰り延べ、若しくは当該年度に執行すべき事業を翌年度に繰り越す措置を行つた地方公共団体で、既に財政再建団体となっているもの以外のものは、当分の間、第二条第一項の規定により財政の再建を行うことを申し出ることができる。(以下略)」

わたしたちの暮らす国では、自治体に倒産制度は認められていません。

そのかわりに自治体が財政危機に陥ると、地方財政再建促進特別措置法により財政再建団体制度が設けられています。

財政再建団体制度とは、もともと昭和29年、財政危機に直面した多数の自治体を救済することを目的に考案されました。

朝鮮戦争後の不況下で、学校の六三制移行や自治体警察の整備等が多数の自治体を深刻な財政危機に陥れ、国はこれに対応するため地方財政再建促進特別措置法による財政再建団体制度を設立したのです。

それは自治体から提出させる財政再建計画と引き替えに財政再建債の発行を認め、事実上自治体が赤字を繰り延べることを許すものでした。

当時、赤字団体2881団体のうち、実に588団体がその適用を受けたといいます。

しかし地方財政再建促進特別措置法の運用は立法当時のイメージを超え、昭和30年度以降に実質収支が赤字に陥った団体でも22条2項により準用することを許されています。

準用するため昭和30年度以降の赤字団体のことを、準用再建団体と呼んでいます。

準用再建では地方債の発行制限が緩和され、一時借入金への政府資金の融資が斡旋されます。

また退職手当債の発行が許可される他、一時借入金の利子や退職手当の一部の特別地方交付税への算入なども許され、国がその財政を援助する措置が用意されています。

(参照:財政再建団体 何を得て、何を失うか 橋本行史 公人の友社)

この制度は形式的には、財政再建計画をもとに歳出を抑制させて自治体に自主的に財政再建を行わせるシステムです。

但しその手続を大人が実質的に眺むれば、自治体が意思の主導権を国家や県に預けることに他なりません。

地方自治はわたしやあなたが自分の気持ちを社会の形に直接反映させることが可能な直接自治を行使できる数少ないチャンスです。

しかし財政再建団体の申請は、地方自治を生き永らえさせるためにその本質を殺す選択でもあります。

市長の椅子に座らせるべきは選対のプロではなく、まず第一に経営のプロであるべきである。

自治体の危機のニュースはわたしたちに改めてそのことを示唆してくれています。



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2006/05/18

適度な振動がドライバーの腕を上げる

日テレの炭谷アナ、女子高生スカート内盗撮 「新どっちの料理ショー」リポーター (ZAKZAK)
「JR横浜駅構内で今年2月、女子高生のスカート内を隠し撮りしたとして、神奈川県警が日本テレビの炭谷宗佑アナウンサー(26)を県迷惑防止条例違反容疑で書類送検していたことが17日、分かった。炭谷アナは「申し訳ない」と容疑を認め、保土ヶ谷区検は今月2日付で起訴猶予処分とした。」

刑事訴訟法の第248条をご覧下さい。

第248条〔起訴便宜主義〕

「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる。」

起訴猶予処分とは、刑訴248条にいう「犯罪の嫌疑があり、訴訟条件が備わっていたとしてもかならずしも起訴しなくていいよ」という余地を活用するものです。

ここで起訴とは、裁判所に対して刑事事件の審判を求めることです。

ソクラテスを起訴した古代アテネでは市民権を持つ誰もがこれを行うことができましたが、現代の日本では検察官にしか認められていません。

この私人が誰かを刑事罰法違反で起訴することを許さないという考え方を国家訴追主義と呼んでいます。

国家だけが起訴できるということは、国家の法益、つまり公益が傷ついた、あるいは傷つくところだったと感じたときだけ公訴の提起(起訴)は行われることになります。

つまり私人が害されていたとしても検察官は私人を代理して起訴するわけではなく、私人と私人の間にある公の秩序を代理して起訴するのです。

さらに248条では、その検察官自身の掌のなかに「起訴するかしないかは君の判断にまかせる」という権力を与えています。

しかしどのような国でもその原則が通用するわけではなく、たとえばドイツでは建前上、嫌疑と訴訟条件さえあればすぐに起訴させて、そこには検察官に起訴するかどうかという判断権を与えない考え方を採用しています。

国家だけが訴追をできるのだとしたうえで、検察官に判断権力を認める考え方を起訴便宜主義、認めない考え方を起訴法定主義といいます。

これまでの幾多の著名人が迷惑条例違反で失職してきた過去と比較し、TV局アナウンサーが起訴猶予処分となった事例との不公平性に憤慨する感情こそ、ドイツ起訴法定主義をささえる「訴追の公平性維持」への裸の要請だといえるでしょう。

起訴法定主義は訴追の恣意性の拡張によって、国家訴追主義が足下から崩れる可能性を懸念する考え方だからです。

しかしドイツ起訴法定主義も多くの例外規定により、現実にはその訴追義務を緩和しているのだといいます。 [参照:口述刑事訴訟法〈上〉 光藤景皎 成文堂]

とってもささいな法益侵害でいちいち起訴されていては逆にそれを正義と呼べなくなる事態も観念され、それを押し通せば社会が機能不全になる恐れさえあるからです。

例えてみれば日本で採用している起訴便宜主義は、いわば私たちの車の乗り心地を高級に仕上げるショックアブソーバーだといえるかもしれません(私見)。

しかしこの装置によって、たとえば権力に近い人(報道機関の別名は第四権力です)の起こした犯罪の時だけは、異常に車高が高くなり路面に問題はなかったことになるショックアブソーバーでは、乗客であるあなたやわたしは、徐々にどのような構造の車に乗っているのかを把握できなくなる可能性もあります。

柔らかすぎる乗り心地で路面の状態を乗り手に伝えない車は、乗り手の能力を衰えさせるようにです。

毛足の長いカーペットの敷かれた配車室からリモートによってショックアブソーバーのコントロールがなされているとすれば、いつか古代アテネの市民訴追主義の意義が、わたしたちに別の輝きをもって見える日がくるかもしれません。

 

 

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2006/05/11

泉の底に思想を用意しよう

東名の料金不払い514回、値上げ反対団体会員を逮捕(サンスポ)
「東名高速道路を旧料金の通行宣言書を渡しただけで通行したとして静岡県警は9日、道路整備特別措置法違反容疑で沼津市岡宮、会社員、松井謙容疑者(28)を逮捕した。県警によると同様の宣言書は通行料値上げ反対を主張する市民団体「フリーウェイクラブ」の会員が使用。松井容疑者は「会員登録したら宣言書が送られてきた。悪いと知りながらずるずる続けた」と供述している。」

道路整備特別措置法の第24条3項をご覧下さい。

第24条(通行方法の指定)

「3 会社等又は有料道路管理者は、この法律の規定により料金を徴収することができる道路について、料金の徴収を確実に行うため、国土交通省令で定めるところにより、国土交通大臣の認可を受けて、料金の徴収施設及びその付近における車両の一時停止その他の車両の通行方法を定めることができる。この場合において、第一項本文の規定により料金を徴収される自動車その他の車両は、当該通行方法に従つて、道路を通行しなければならない。」 

道路特定財源の最初の根拠法、道路整備臨時措置法が国会に提出されたのが1952年。

その法案を作ったのが田中真紀子さんのお父さん、角栄さんであり、当時なんと若干34才でした。

(彼は実に31件の議員立法を成立させています。)

道路整備臨時措置法は揮発油税を道路特定財源に充て、道路整備5カ年計画を策定するというものでした。

彼は臨時措置法のほか新道路法(県道を国道にして国費を投入すること)、そして道路整備特別措置法を手がけ、これらが通称道路三法と呼ばれています。

高速道路建設に財政投融資を投入するという道路整備特別措置法は、明治時代から開発が後回しにされていた日本海側出身であった角栄さんの怨念が根源にあったのだといいます(参照:法律はこうして生まれた 読売新聞政治部 中央公論新社)

その道路整備特別措置法では、受益者負担という考え方と償還主義という考え方が骨格になっています。

受益者負担とは恩恵を受ける人に開発費の返済を負担してもらおうという考え方、償還主義とは開発費が料金収入で返済できたら、あとは無料開放する方式のことで、どちらも日本の高速道路の原則となっています。

返済というのは日本の最初の高速道路が、世界銀行からお金を借りて作らなければならなかったからです。

最初の高速道路、名神高速と東名高速をつくるために借りた借金は、1990年に世界銀行へ返済が終わっています。

しかし1972年の田中内閣により建設の終わった料金収入を新しい路線の建設資金に流用する「全国料金プール制」が導入されたため、償還主義というゴールを霧で見えなくなるまで遠くし、ゴールテープが本当に用意されているのかさえ怪しくなっています。

しかしそうはいってもあれだけのコンクリートの巨大建造物、料金を徴収しないでどう維持していくのかと思われるかも知れません。

しかし道路の建設には2001年の時点で年間12兆円、実に日本の税収の4分の1が予算が用意されており、高速道路にはそのうち2兆5000億円が投入されています。

(以上参照:高速道路はタダになる! 山崎養世 新風舎)。

問題の核心はこの巨大なパイを待ち受けている人達が日本全国で手ぐすねを引いており、現実に高速道路へではなく、各地の一般道路へそれらの大半が割り振られてしまう点にあります。

とはいえ改正された道路整備特別措置法24条3項後段は高速道路のただ乗りを許していません。

償還主義という道路が角栄さんの残した霧で見えなくなっているとはいえ、それが取り決めであればただ「気に入らないから従わない!」という言い草はゆるされず、悪質なドライバーを県警が逮捕するという一幕も必要なのかもしれません。

しかし予算という制度で税をコントロールするはずが、財政投融資というわたしやあなたに手出しの出来ない”出費のフリーウェイ”がわたしたちの頭上を通り抜けているのだとしたら、料金不払い団体の可否よりもそちらのほうに意識を集中すべきはずなのです。

整備された道路や空港を用意することが急務だった頃、税というものが内閣に「ただわけもなくコンコンと湧いてくる無限の泉」だと仮定することが許された時代がありました。

しかし今、こどもたちの数が少なくなっていく未来がはっきりして、泉の底のわたしたちにはいずれにせよ納税者としての思想が要求されています。

そうでなければいま公園で遊んでいるこどもたちが大人になったとき、小さくなった泉の前でバケツをもって並んでいる「道路計画」という行列に、ただ呆然とさせてしまうだけかもしれません。



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2006/05/10

サンタの名は被疑者取調可視化論

取り調べ録画 最高検「特命」6人、極秘推進(朝日新聞)
「最高検は9日午後、担当検事の判断で取り調べの一部をビデオ録画・録音する試行を東京地検で7月から実施する、と正式発表した。歴史的な方針転換は、最高検が約2年前からチームを作って、極秘の検討を重ねた結果だった。「カメラの前では自白をとれない」との不満が捜査現場にくすぶる。その中で、検察首脳陣が試行を決断した背景には、実施時期が3年後に迫った裁判員制度への危機感があった。 」

刑事訴訟法の第319条をご覧下さい。

第319条〔自白の証拠能力・証明力〕

「強制、拷問又は脅迫による自白、不当に長く抑留又は拘禁された後の自白その他任意にされたものでない疑のある自白は、これを証拠とすることができない。」 

記事を読んで思わず「あっ!」と声を上げてしまいました。

決して現れないはずのサンタクロースを見た気分です。

わたしやあなたがなにかの間違いで被疑者として勾留されれば、長い起訴前勾留中の取調に加え、起訴後勾留を利用した長期間の別件取調も受けます。

予算と日数と人員をかけた結果疑われている以上、真実は誤って捕らえられたとしても(学校で習う整然とした刑事訴訟理論を別として)そこには自白調書を上げることを目的とした技術としての追及が現実には待っています。

そのような取調の結果獲得された事実に反する自白調書は、本来刑事訴訟法319条1項にいう「任意にされたものでない疑のある自白」と呼ばれるはずですが、”国家を現実に運営していく”という大義の前にして、その制動装置はあっというまにただの飾りになれはてます。

いつの時代の冤罪事件もやっていない人による自白調書は取調室という密室性のなかからのみ量産されてきたのです。

いったんそれがまな板に上がってしまえば、ただの文書である自白調書からは、どのようなテクニックによってそれが仕上げられたのかは読み取ることはできません。

自白調書作成のプロセスのありのままを録画することにした最高検察庁の英断の価値はそこにあります。(参照:刑事裁判の復興 石松竹雄判事退官記念論文集 勁草書房

被疑者取調可視化論とはいたずらに検察の現場を妨げようという理論ではありません。

なぜ戦前のような”状況”が用意されると、取調官の役割を得た”わたしやあなたのような普通の人”が目の前の憎々しい被疑者をキューキューと言わせて、やってもいない自白調書が量産されてきたのか。

システムのデザインを考えはじめる起点をいつもそこからはじめれば、わたしたちが二度目の誤りを経験することはないはずなのです。(私見)

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2006/03/29

官吏は帝にだけ平伏した

中国人の元労働者らの請求棄却(nikkansports)
「第2次大戦中に中国から強制連行され過酷な労働を強いられたとして、中国人の元労働者や遺族が国と建設会社4社に総額1億4000万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決で、長野地裁の辻次郎裁判長は10日、請求を棄却した。判決理由で辻裁判長は、強制連行・強制労働を国と建設会社による不法行為と認定した上で、行為から20年で損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」などを適用。国家賠償法施行前の国の行為に賠償請求はできないという「国家無答責」の法理についても、国の主張通り認めた。」

憲法の17条をご覧下さい。

第17条〔国および公共団体の賠償責任〕

「何人も,公務員の不法行為により,損害を受けたときは,法律の定めるところにより,国又は公共団体に,その賠償を求めることができる。」 

国家無答責の法理とは、国家の違法な公権力によって生ずる私人への被害に対し、国家は不法行為責任を負わないとする考え方のことです。

ひとつ前の時代の憲法、大日本帝国憲法ではこの考え方が支配していました。

国家無答責の法理は、「国家が違法に他人の権利を侵害することはありえないので、国家は責任を負わない。もし他人に損害を与える行為があったとすれば、それは国家の行為ではなく、職務を逸脱した公務員の個人責任が生ずるだけである」という考え方が理論的根拠になっています(松本克美 日本の戦後補償訴訟の現状と課題 立命館国際地域研究 第十七号)

すなわち、それは家父長制的官僚国家観を基盤としなければ成り立たないロジックです。

福岡地裁は平成14年4月26日、やはり大戦末期の強制連行による訴訟において、国家無問責の法理の適用を肯定、賠償請求を退けています。

「・・・明治憲法下においては,国の権力的作用について民法の適用を否定し,その損害について国が賠償責任を負わないという,いわゆる国家無答責の法理が,基本的法制度として確立していたものというべきである。

このような法制度については,批判もあり,その後,「何人も,公務員の不法行為により,損害を受けたときは,法律の定めるところにより,国又は公共団体に,その賠償を求めることができる。」と規定した憲法17条等により,根本的に否定されたものではあるが,

大日本帝国憲法下の我が国の法制度の下では,国の権力的作用による個人の損害については,国家の賠償責任が認められないとの法理が採用されていたのであり,

その後,憲法17条が,国又は公共団体の損害賠償責任の根拠を明らかにし,同条に基づいて,国家賠償法が制定されたことによって初めて,その損害の救済が図られることになったものである。

そして,国家賠償法附則6項には,「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。」との経過規定が定められているところ,

従前の例」に相当する大日本帝国憲法下の法制度においては,前記のとおり,そもそも国家の賠償責任を肯定すべき実体法上の根拠法令がなかったのであるから,

国家賠償法が制定された現時点における解釈としても,同法の施行前である被告国による本件強制連行及び強制労働当時においては,被告国が,民法の規定によって,その権力的作用による損害について,不法行為に基づく損害賠償責任を負担するものと解することはできない。

そして,被告国の本件強制連行及び強制労働が,日本国の軍隊による戦争行為という権力的作用に付随するものとして,国の権力的作用に該当すると考えられることに照らせば,

本件においては,被告国が,当時の民法の規定に基づいて,不法行為に基づく損害賠償責任を負担することはないと解される。」

国家無問責の法理適用の肯否は、戦時中という狂気の時代の行為に、平時の法理を通すか通さないかという問題に集約されます。(私見)

なぜならそもそも「国家無問責」という条文は戦前にあっても存在せず、それは単に判例理論、または官吏が国民を見下ろした時代の空気感でしかなかったからです。

数々の戦後補償訴訟においては、判例も国家無問責の法理への態度を統一しかねています。

しかし国家無問責の法理が家父長制的官僚国家観という盲目の理論によってたつものならば、現代においてそれは用い方次第で、ただのトンネルにならないか注意が必要です。

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2006/03/24

教授が辟易し官吏がふためいた

坂本龍一PSE“激怒”会見(スポーツニッポン)
「坂本は静かな口調だが、厳しい言葉を選びながら訴えた。「自分の使うものを役所に決められたくない。ビンテージ楽器だけ除外すれば、口うるさいわれわれミュージシャンが黙るだろうという意図がみえみえだ。リサイクル業者たちが運動すれば応援したい」。希少価値の高い「ビンテージ」の電気楽器だけ適用除外に指定し、問題の幕引きを図ろうとする経産省の姿勢を厳しく批判した。またビンテージ楽器についても「何がビンテージかは役所が決めることではない」と強調した。」

電安法の第9条をご覧下さい。

電気用品安全法

第9条(特定電気用品の適合性検査)

「届出事業者は、その製造又は輸入に係る前条第一項の電気用品が特定電気用品である場合には、当該特定電気用品を販売する時までに、次の各号のいずれかに掲げるものについて、経済産業大臣の登録を受けた者の次項の規定による検査を受け、かつ、同項の証明書の交付を受け、これを保存しなければならない。(以下略)」 

PSE法(Product Safety、Electrical Appliance & Materials)、すなわち電気用品安全法とは、電気用品による危険及び障害の発生を防止することが目的の法律です。

以前はこれを電気用品取締法と呼びましたが、改正により国の事前規制が廃止され、民間機関が基準認証をする第三者認証制度が導入されました。

電安法では、特に危険又は障害の発生するおそれが多いもので、政令で定めるものを、特定電気用品と定義します(2条2項)。

そして特定電気用品は、製造・輸入事業者の自主検査に加え、技術基準に適合していることを確認する適合性検査を義務づけています。

その適合性検査をするのが、9条にいう登録検査機関です。

国内の登録検査機関は、現在6機関あります。

財団法人電気安全環境研究所、財団法人日本品質保証機構、社団法人電線総合技術センター、テュフ・ラインランド・ジャパン株式会社、株式会社コスモス・コーポレイション、株式会社ユーエルエーペックスです。
http://www.meti.go.jp/policy/consumer/seian/denan/kensakikan/kensakikan_list.htm

しんぶん赤旗によれば、このうち株式会社の三者を除く二財団法人、一社団法人に全てに経済産業省からの天下りが確認できているようです。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-02-26/2006022601_01_0.html

株式会社以外というところがミソです。

同紙によれば、電気安全環境研究所には、役員十六人中五人が天下り、理事長などの要職を占めて年二千万円前後の報酬を得、日本品質保証機構では役員十七人中七人が経済産業省などからの天下り、理事長、副理事長、専務理事の高額報酬を得るポストを独占、社団法人電線総合技術センターでは、常勤役員の専務理事に天下り、同センターの役員報酬支給規定、役員退任慰労金支給規定が適用されるのは現在、この天下り役員一人だけなのだとか。

どうやら教授の杞憂をよそに、官僚は何がビンテージなのかを決めたい、あるいは少なくとも決める場所には長く所属していたいようです。

芸術家の感性を甘く見た内閣提出法案(それはとりもなおさず官僚による立案を意味しますが)は、思わぬ突き上げにより、立法の真意、「書かれざる第1条」を炙り出されようとしています。

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2006/03/23

男は無罪を叫び、手続の検証は傍論になった

守大助被告「絶対やってません」と退廷
「「いつ自分の意見を言ったらいいんですか」「絶対やってません」と准看護師守大助被告(34)が叫ぶ。裁判長は「被告の退廷を命じます」。仙台高裁で22日に開かれた筋弛緩(しかん)剤点滴事件の控訴審判決公判。弁護人や傍聴人に対する退廷命令が相次ぐ中、守被告は裁判長に大声で異議を申し立て、退廷を命じられた。主役のいない法廷で、判決理由の朗読が続いた。」

刑事訴訟法の435条をご覧下さい。

第435条〔再審請求の理由〕

「再審の請求は、左の場合において、有罪の言渡をした確定判決に対して、その言渡を受けた者の利益のために、これをすることができる。(以下略)」 

再審は確定判決に再審事由にあたる重大な誤りがある場合に、この再審事由を主張して確定判決の取消しと事件の再審理を求める非常の不服申立てとその審判です。

本来、法的安定性の要請からは、確定判決には既判力が生じます。

よってその取消し・変更は原則として許されないのが建前です。

しかし確定判決に重大な瑕疵がある場合にも頑なになることは、結局司法制度そのものへの信頼を失うことになります。

そこで,特に重大な瑕疵を再審事由としてあらかじめ法定しておき、これがある場合には確定判決の取消しとその事件の再審理を許すことにしています。[参照:法律学小辞典 有斐閣]

刑事訴訟法はその435条、436条において、人間はもともと間違いを犯す生き物であり、刑事訴訟法の厳格なルールを用意しても、運営するのが人間である以上、更に間違いを犯すのだと予言しているのです(私見)。

筋弛緩剤点滴事件においては、報道機関の十八番、感情的報道が主流を占め、その特殊事情(舞台となった病院のラボ的性格等)はほとんど報道がなされません。

需給原理によれば、それは他ならぬわたしやあなた、TVの視聴者が勧善懲悪のニュースをよりメディアに要求しているからなのでしょう。

ここでフーコーが個性の社会的強制システムを描くために描写した、1757年死刑記録役のル・ブルトンの監視の下パリで行われた死刑執行の様子を引用しましょう。

「やっとこのこの懲らしめが終わると、神を冒漬する言葉を発するわけでもなく大きくうめき声をあげていたダミヤンは、顔をあげて自分の体をみつめていた。同じ懲らしめ役が釜から鉄のひしゃくで煮えたぎるどろどろの液をすくって、それぞれの傷口にたっぷり注いだ。こんどは、細綱でもって、繋駕用の綱を馬と、つぎに、繋駕した馬を腿と脚と腕に沿って四肢と、それぞれ結びつけた」。

「それぞれの馬は〔受刑者の〕四肢のそれぞれをまっすぐに全力をあげて曳いた。それぞれの馬は、ひとりひとり執行人が受けもっていた。四半時、おなじような儀式ばった行事がこころみられた、そして数度くり返されたあと、とうとう、やむをえず馬に曳かせる手筈をととのえなければならなかった、すなわち、右腕を担当する馬はそのまま先頭を曳かせて、腿を担当する二頭の馬を両腕のほうへ振り当てた、その結果、腕の関節が断ち切られたのであった。また元通りの牽引が数回くり返されたが成功しなかった。死刑囚は顔をあげて自分を見つめていた。しかたなく今度は、腿につないだ馬の前にさらに二頭を置いた、都合、六頭になった。が、全然首尾よくいかない」。

「ついに死刑執行人サンソンはル・ブルトン氏のもとへ進み出て、万策尽きましたと伝えて、上司のかたがたへ、死刑囚をばらばらに刻んでいいか伺いを立ててほしいと申し述べた。市庁舎からもどってきたル・ブルトン氏は、さらに努力をかさねよとの命令を告げた」

「二、三度まえのように試みたあと、死刑執行人サンソンと懲らしめ役の例の男は、ふたりともポケットから短刀をとり出して、腿のつけ根を切った、四頭の馬が全力をあげて曳くと、両腿が、つまり、最初に右腿、つぎに左の腿がもぎ取られた。つづいて、両腕、肩とわきの下、四本の手足も同じように短刀で切られた。ほとんど骨にとどくまで肉を切らねばならなかった、ついで馬が全力をあげて曳くと、まずは右腕が、ついでもう一方が取り去られた」。[出典:監獄の誕生 ミシェル・フーコー 田村俶(翻訳) 新潮社]

人が誰かを断罪することを立場上自由に許された時、ことのほかその凶暴性をむき出しにするのだと、フーコーが引用した古文書は伝えています。

私たちは自分と異形な存在に不寛容な生物です。

偏向した報道が一人の男の回りを一旦取り巻けば、刑事訴訟法という憲法が要求した手続が正しく守られたのかどうなのかなど、傍論のように感じ一刻も早く罰したくなります。

チャルディーニもたかだか外見の善し悪しさえ、言い渡された刑の軽重に影響を与えていたのだと、ペンシルバニアの裁判記録の検証から伝えています。

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2006/03/18

三宝の上で107条が光った

執行部批判くすぶる民主 永田氏は辞職を強く否定 (Yahoo)
「民主党で17日、メール問題をめぐる永田寿康衆院議員(党員資格停止中)の進退問題や執行部批判がくすぶり続けた。党内では永田氏について衆院懲罰委員会の結論を受けた段階で自発的に議員辞職すべきとの意見が強まっている。しかし永田氏は同日午後に「今の時点で(辞職は)全く考えていない」と明確に否定し、執行部は引き続き対応に苦慮しそうだ。」

国会法のをご覧下さい。

第107条

「各議院は、その議員の辞職を許可することができる。但し、閉会中は、議長においてこれを許可することができる。」 

国会は、わたしやあなたの代表が集まって、統一的な国家意思を形成していきます。

もし司法機関などからその内部事情の決定にいちいち司法の論理をもって干渉が許されたなら、代表者が集まって意思統一をしていくという本来の機能を果たし得ません。

そうならないためには衆院、参院の両議院に自律性が要求されます。

一方で憲法は、国会議員個人にも、いろいろな特権を与えています。

たとえば国会議員が身分を失う場合は辞職を含めた各条文に定められている場合に限られています。

したがって、上記の法定事由に該当しない限り、いくら批判される事由があっても、彼の地位に変動を与える手段はありません。

そこで、彼が議員でいることが不適当であると思われた場合、その所属する議院が議院自身の意思として彼に辞職を迫るのが、議員辞職勧告決議です(参照:新・国会事典 有斐閣)。

議院の身分保障原則に抵触しないよう、議員辞職勧告というものの効力は直接条文には記述されていません。

逆にいえば、決議をもって辞めろといわれた議員が、その決議を無視したような場合にはかえって議院の権威は失われることになります。

現実にこれまで辞職勧告を受けて、素直に辞めた国会議員はいませんでした。

これに習ったかどうか、いろいろな騒動で懲罰動議が何度もとりだたされてきた永田議員本人は、議員の身分保障を盾にまったく辞任する意思はないようです。

しかし国会議員の個人的な特権とは、そもそも議院の自律性を確保しようと憲法から付与されていたものだということを思い出してください。

なによりも議院の自律性を確保するという命題のために、国会法は必要な場合に身分保障を切り裂く107条という脇差しを用意しています。

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2006/03/04

認諾を選択した加害者と、私的自治の足場

長崎の男児誘拐殺人、加害者側が賠償請求を認諾(讀賣新聞)
「長崎市で2003年7月に起きた男児誘拐殺人事件で、被害者の種元駿(しゅん)ちゃん(当時4歳)の遺族6人が、加害少年(15)とその両親の計3人に損害賠償を求める訴訟を長崎地裁(田川直之裁判長)に起こし、被告側は3日、争わない意思を示して請求を認諾、訴訟は終了した。認諾は確定判決と同じ効力を持つ。額は原告の意向で明らかにされていない。原告側弁護士によると、提訴は昨年12月20日。3日は原告側弁護士3人と加害者の両親が出席し、両親は、加害少年本人の責任能力と親の監督義務違反があったなどとする原告側の主張を認めた。」

民事訴訟法の267条をご覧下さい。

第267条(和解調書等の効力)

「和解又は請求の放棄若しくは認諾を調書に記載したときは,その記載は,確定判決と同一の効力を有する。」 

認諾とは、民事訴訟において被告が原告の請求についてその理由があることを自認して、訴訟手続を終了させようとする行為のことです。

被告が原告の言い分・要求を認める事を意味しますので、その時点で訴訟手続は終局判決を待たずに終了します。

民事訴訟は自分達の社会を形作るためのひとつの解決方法ですので、そもそも訴訟は当事者の申立てによらなければ開始されず,裁判所は申立ての範囲内で,しかも当事者が訴訟による解決を求めている限りにおいてしか,裁判を行うことができません。

また手続の終了については、訴えの取下げ・控訴の取下げ・上告の取下げ、請求の放棄・認諾及び和解などができるように設計されています(参照:法律学小辞典 有斐閣)。

このように民事訴訟の各所には、当事者が訴訟に能動的に関わっていく場面が設けられていますが、これは社会形成をできるだけ国家の権力に頼らずなしとげようとする私的自治の原則が裁判所において表出する場面です。

私たちの社会は皆が各人の意思により、自己責任で経済活動を行うという建前をとっているため、各人の権利・義務の所在が確認しやすくなっており、それがより自律的に社会が発展するための足場になっています。

共産国家による統制経済が国民の権利・義務を全体で総有してしまったため機能不全に陥ったことからもわかるように、私たちひとりひとりの権利義務の所在を各人の意思のもとに置いてはっきりさせておくという私的自治の原則は、各人の権利の獲得と義務の意義付けの彫りをより深くし自立を促します。

民事訴訟に認諾という訴訟終了装置が置かれているのも、被告が責任を自ら認めその穴埋めをすると宣言することは、私的自治がそのホメオスタシスを回復した一場面だからだともいえるかもしれません(私見)。

幼児を殺めてしまった少年とその両親は、請求の認諾を裁判所に宣言して罪の償いを争いませんでした。

失われてしまった小さな命は決して戻ってきませんが、加害者側が認諾を選択したことは、わたしやあなたが暮らす社会がその自律性を補強するためには、決して無駄な選択ではなかったといえます。

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2006/03/01

誤認逮捕を量産する県警と、恐るべき善意

日本人を旅券不携帯で逮捕…誤認逮捕相次ぐ埼玉県警(ZAKZAK)
「埼玉県警では、昨年5月に所沢署が「財布を奪われた」とのうそに基づいて男性会社員を逮捕したほか、東入間署が覚せい剤検査で陰性だった女性を判定ミスから逮捕。同年7月には、長女を殴ったとして、傷害容疑でアリバイのある会社員男性を逮捕し、それぞれ釈放するなど、誤認逮捕が相次いでいる。」

憲法の第33条をご覧下さい。

第33条〔逮捕に対する保障〕

「何人も,現行犯として逮捕される場合を除いては,権限を有する司法官憲が発し,且つ理由となっている犯罪を明示する令状によらなければ,逮捕されない。」 

逮捕とは刑事訴訟法上、捜査機関や一般人が怪しい人の体の自由を拘束して抑留することをいいます(一般人も逮捕はできます)。

憲法はその33条で、現行犯人として逮捕される以外は令状なしに逮捕されない原則を定めています。

憲法のB面、刑事訴訟法も、現行犯逮捕以外は逮捕はすべて令状を要求しています。

この警戒のことを令状主義といいます。

ただし刑事訴訟法では急速を要する場合がありますので、その時のためにまず被疑者を逮捕し、事後的に逮捕状の発付を求めるという緊急逮捕の手続も用意されています。

おまわりさんが令状のない逮捕を行い、そのことに特段の理由が示せなければ、その逮捕は憲法33条に違反する違法な公権力の行使と呼ばれます。

たとえば職務質問について「いや、あれは合法なものだったのだ」と警官達が言い張っても、証拠によってその態様がたとえば何人もの警官によって女性一人を深夜取り囲み、現実にはその場所から逃れる術が奪われていたのだとすれば、それは現実的には被害者の意思を制圧するものにほかならず、その職質は実質的に答弁の強要という、憲法の禁止事項に抵触しているといえます。

また警察署への同行についても「あれは任意でついてきてもらったにすぎない」とおまわりさんが主張してみても、その同行の態様が実質的にみて被害者の意に反した警察署への連行だとすれば、警職法2条3項に違反する違法な公権力の行使に当たると判断され得ますし、実際に誤認逮捕の事例でそうした判断を下して国家賠償法 1条1項に基づき数百万円の賠償を国家に命じた判例もあります。

明治憲法下では明らかに法律が国民よりも先に存在し、その裏返しで旧刑事訴訟法下による公権力の行使はたくさんの悲劇を刻みましたが、現憲法は曲がりなりにも人を法の先に置く形に設計してあります(私見)。

むき出しの公権力行使の凄まじさを国民が顔面蒼白になって知る前に、現行の刑事訴訟法は、法律が国民の先に存在して彼をわけもなくひったてようとする行為を威嚇しているのです。

日々危険な任務につく警察官のみなさんから職務質問の大きな解釈余地が法律的に取り上げられてしまえば、現実の犯罪抑止力は大きく影響を受けるでしょう。

しかし何らかの目的で解釈の自由度の意味付けが変形し、その結果現刑事訴訟法がくれぐれも禁忌する誤認逮捕が濫造されている可能性があるとすれば、そこにある職務質問の世界観を一旦第三者が確認してみる必要があります。

法が市民より先んじているという特殊な世界観が形成されてしまえば、内部では時に燃え上がらんばかりの善意をもってその世界を維持しようとしますし、そうした高温の釜の中で、これまでにも悲劇は大量に焼成されてきたのです。

 

 

法理メール?  * 発行人によるメールマガジンです。

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2006/02/21

国政調査権というマスターキーとファーストクラスの変容

振り込み疑惑 国政調査権発動が焦点 民主要求、自民「証拠が先」(北海道新聞)
「ライブドア側から武部勤自民党幹事長の二男への金銭振り込み疑惑をめぐる与野党の攻防は、国政調査権の発動が焦点になってきた。民主党は国政調査権の発動で銀行口座の出入金記録などが確認できれば「信ぴょう性への疑念は氷解する」と主張するが、自民党は「発動の前に民主党が証拠を示すべきだ」と強調。二十二日の党首討論を前に、全面対決の様相が強まっている。 民主党の前原誠司代表は十九日、福島市内で記者会見し「信ぴょう性はかなり高い」と自信を示した上で、「国政調査権発動が最大のポイント。与党が拒否するのは事実を明らかにしたくない口実としか思えない」と述べ、自民党の対応を批判した。国政調査権は、憲法六二条が定めている衆参両院の権利で、行政機関や民間企業などへの証人出頭や証言、記録提出を要求でき、事実上の強制力を持つ。  」

憲法の62条をご覧下さい。

第62条〔議院の国政調査権〕

「両議院は,各々国政に関する調査を行い,これに関して,証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。」 

国政調査権とは、衆議院、参議院が国の政治に関する調査を行うことができる武器のことです。

たとえば大臣の政治責任を追及したいとき、国政調査権を発動することができます。

内閣は連帯して国会に対して責任を負うため(66条3項)、国会はその逆流として各国務大臣の政治責任を追及できるからです。

もともと私たちの暮らす国の憲法は、国会を国権の「最高機関」であると取り決めています(憲法41条)。

もしそれが看板通りなら、その構成要素である各議院が装備した国政調査権という機能を憲法上にあえて明記する必要もなさそうな気がします。

しかし62条はあえて「証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる」と明記することで、その強制権限の裏づけを憲法のレベルからしているのだと解釈されています。

問題は、なぜ操縦室にこもったパイロット達(内閣)に向かって、ファーストクラスに座る代表達(両議院)が、「俺たちの持つマスターキー(国政調査権)は、その操縦室を開けることができるぞ」とその強制権限性をわざわざ”宣言”しなければならないかです。

現実の解釈として国会が”国権の最高機関”であると称されることの意義は、学説上、単に、国民主権国家・日本において主権者・国民に直結した国家機関としての国会が「価値的に」最も高い位置にある、ということを述べたまでのものでしかないのだと理解されています(政治的美称説 通説)。

さらに現代においては、現実に操縦桿を握っている内閣や、飛行機というシステムを熟知しているフライトアテンダント、整備士(霞ヶ関)のほうが国政の実権を強く握り、内閣に責任を負わせているはずの国会など、ともすれば操縦室の次に空きが出来る席を虎視眈々と狙って、むしろ操縦室の面々にあれこれ協力する場面のほうが多くなっています。

そのような体制内の飛行機にあって、一般乗客(国民)の意図に背かない飛行を担保するためには、たとえほんの少しの代表者でも疑問に思うことがあれば、強権的に操縦室の扉を開けてしまうマスターキーが議院に備え付けられていることが必要です。

すなわちファーストクラスに備え付けられたマスターキーの存在は、”強権だぞ”と憲法に宣言しておいてもらうことが、操縦室にも、ファーストクラスで骨抜きになりそうな代表達にも釘を刺すのです。

そしてそのことが現代における国政調査権、憲法62条の意義なのだといえそうです(私見)。

マリーアントワネットの首がギロチンの露と消えてからこちら、議会の発達とは、国家運営の安全を確保しつつ、わたしたち一人一人の希望を無理なく効率的に国政に繁栄させるためのアルゴリズムのバージョンアップを意味してきました(私見)。

そしてこれからもきっと、いろいろな失敗を繰り返しながら、私たちは過去よりも少しずついい手順を手に入れていくはずです。

しかし行政という現場班が飛行場でやたらと幅をきかせる現代の段階においては、「国政調査権」というマスターキーが議院内閣制を趣旨通りに運営させるために、まだまだ有効に働いてくれるはずです。

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2006/02/18

送金メールの真偽と一票の換金性

振り込み事実なら公選法違反、背任(日刊スポーツ)
「堀江被告が武部氏二男に3000万円を振り込んでいたのが事実だとすると、公職選挙法違反に問われる可能性がある。公選法第189条では、選挙期間、前後を問わず、選挙に関して掛かった費用は収支報告書に記載、報告しなければならない。メールにある「選挙コンサルティング費」も収支報告書に記載する必要があるとみられ、記載しなければ虚偽記載に問われる。また、二男から武部氏に金が渡っていた場合は、堀江被告の選挙応援の対価としての金銭の供与となり、公選法第221条(買収)に触れる可能性もある。また、振り込みにライブドアの金が使われていれば、商法の特別背任にあたる可能性もある。」

公職選挙法の221条第2項をご覧下さい。

第221条(買収及び利害誘導罪) 

「次の各号に掲げる行為をした者は、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
二 当選を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもつて選挙人又は選挙運動者に対しその者又はその者と関係のある社寺、学校、会社、組合、市町村等に対する用水、小作、債権、寄附その他特殊の直接利害関係を利用して誘導をしたとき(以下略)」 

選挙運動をする自由は憲法の21条1項、表現の自由で保障されていると考えられています。

しかし選挙運動の自由といえども、戸別訪問の禁止、選挙に関し報道評論できる新聞紙・雑誌の制限、法定外文書図画の頒布制限、事前運動の禁止など数々の制約に服することを課されています。

現実にそれらの行為を規制するのが公職選挙法です。

公職選挙法とは、選挙の自由と公正を確保するための法律であるのだと、その一条にうたわれています。

本来表現の自由で保障されるはずの選挙運動をする自由を規制する公職選挙法の目的に、合憲性が認められるかについて、運動の自由をすべての候補者に平等に確保し、とくに資金のない候補者にも対等の立場で運動できる自由を保障することによって、民主政の過程を純化する必要にかんがみれば、そうした規制目的にも一定の合理性は認められるのだと考えられています。

公職選挙法がとくに金銭面について規制しているのが、その第一四章(選挙運動に関する収人及び支出並びに寄附)です。

たとえば当選を目的に選挙運動者と関係のある会社などへ寄附等を行ったとみなされれば買収および利害誘導罪として三年以下の懲役もしくは禁固または五〇万円以下の罰金と決められています。

いうまでもなく、それらの条文は議会政治を構成させるために長い時間をかけて私たちのもとにもたらされた貴重な普通選挙・平等選挙という権利を、金銭売買の対象にしないためのものです。

しかもとくにそれが法律で警戒されるのは、長年その貴重な権利が軽々しくも金銭で長くやりとりされている慣習をどうしても日本人が払拭しきれない現実のためでもあります。

敗戦直後、日本政府は総司令部に従属し、その指令と承認の下に行動しなければなりませんでしたが、圧倒的指導を受けた民主新憲法の立案にくらべ、選挙法に対しては介入の程度がきわめて少なかったという記録があります。

議会はバリバリの民主主義者、マッカーサーからしてみればその国の国民を代表する機関であり、占領当局としても議会に対しては行政の政府に対するよりは控え目な態度をとったのであろうといわれます。

しかしそうした中でも総司令部政治部のルースト少佐は、「財閥等より巨額の資金を放出し多くの議員候補者を支持し当選せしむることあり得」るとの意見を採用し、こと第三者の支出する費用にかぎっては、すべて選挙費用中に算入するようにすべきであると警戒しました。[参照:日本選挙制度史 杣正夫 九州大学出版会]

初動の時点から選挙権は金銭による影響を危惧されていたといえます。

一見紙のように軽い選挙権という権利が、その本質を歴史的な理解とともに汲み取られることはめったになく、世界諸国の選挙法の公理である普通選挙を日本人が手に入れてからこっち、選挙の歴史はずっと一票の換金性の高さとの戦いの歴史であったといえるかもしれません。

野党はデジタルデータのプリントアウトだけをもって与党幹事長の公職選挙法違反を問いただそうとしているようですが、送信時点でいくらでも送信者やアドレス等々の改ざんが可能なただのデジタルデータをもってして疑惑の証明力を争おうというのなら、それはあまり懸命ではないように思えます。

なぜなら事が公職選挙法違反を問うものだとしたら、それは議会制民主主義の根幹を揺るがすほどの深い罪を糾弾する責任を伴うからです。

しかしもしかすると疑惑の真偽はともかく、この騒動の過程においては占領当時のマッカーサーも見誤った日本式議会政治の土壌の正体と、選挙とお金の関係の現在をそれとなくあきらかにはしてくれるかもしれません。

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2006/02/05

皇室典範と予約された未来

皇室典範、高まる慎重論(日経新聞)
「皇室典範改正への慎重論が政府、与野党内で広がってきた。愛子さまの即位を念頭に置いた「女性天皇」には異論は少ないが、母方だけに天皇の血筋を引く「女系天皇」に反対する声は根強い。改正を急ぎすぎるとする批判も増えている。小泉純一郎首相はあくまで改正案を今国会に提出、成立させる構えで、自民党が今月中旬から始める党内調整は波乱含みになってきた。」

皇室典範の第一条をご覧下さい。

第1条〔継承の資格〕

「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」 

現在の皇室典範1条は、皇位を継承するためには「皇統に属する男系の男子」でなければならないとしており、つまり女性の天皇を認めていません。

男女平等を定めた戦後憲法の下で暮らすわたしたちが、「それは女性蔑視で憲法違反なのではないの?」という感触をうけたとしても、在る意味で自然なことだといえます。

日本国憲法はその前文で「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」ことを「人類普遍の原理」であると認め、自らの基本骨格に採用しています。

いわゆる国民主権原理です。

しかし憲法内に天皇の章が、そして憲法下には皇室典範が厳然と存在し、自由主義、民主主義原理をもってこれらを逐一矛盾なく説明しようとすると大変な論理的操作と解釈を要求されます。

たとえば典範10条は男子皇族の婚姻を皇族会議で決めることとし、また11条は皇族身分の離脱も自由に認めていないのですから、皇族における個人の自由を説明しようというのは所詮無理な話です。

上に上がって憲法の二条では、一般には否定されたはずの家制度に対し、皇位の世襲制を宣言して、皇族はたとえ人権共有主体性はあろうとも、一般の国民と異なった取り扱いを受けるのだともしています。

憲法自身は、第一条において「天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって,この地位は,主権の存する日本国民の総意に基く」のだと表現し、憲法自身の中に憲法原理では説明仕切れない特殊エリアである天皇の章が存在する理由を説明しています。

非常に乱暴に表現すれば、個人の尊厳という動線を基本に設計したはずの憲法の中には、全く別の思想で設計された茶室(天皇の章、あるいは皇室典範)の存在が「全員の合意によって」残されているということになっているのです。

そうだとすると、家全体の設計の基本理念、たとえば個人の尊厳であったり、男女の平等や自由主義であったりという公平な測量器をその特別な茶室に持ち込むことにどこまで意義があるのかはわからなくなってきます。

なぜならばそのようなルールの全く違う部屋の存在を家主(国民)がなんらかの理由であらかじめ認めた(ことになっている)以上、いまさら他の部屋共通のルールを要求することは質疑応答の堂々巡りに陥る効果しかないからです。

男系女系、私には正直どちらが結論として正しいものなのかはよくわかりません。

ただ天皇を女系にする、男系にするという論議は、一見対立しているように見えて、実はどちらも同じ前提を強化しているのだろうということだけはわかります。

双方ともルールの違う茶室の存続や拡張を未来に予約しているということです。

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2006/01/19

刑事訴追を有名にした小嶋さんと黙秘権の歴史

小嶋社長「刑事訴追の恐れ」証言拒絶32回(日刊スポーツ)

「耐震強度偽装問題をめぐって衆院国土交通委員会は17日、構造計算書が偽造された20件以上のマンションの建築、販売に関与したヒューザーの小嶋進社長(52)を証人喚問した。小嶋社長は姉歯秀次元1級建築士(48)の偽装を知って以降のマンション販売契約について「違法性の認識はない」と述べた。しかし、具体的な事実に関する質問などには「刑事訴追の恐れがある」などと32回にわたって証言拒否を繰り返した。」

議院証言法の4条1項をご覧下さい。

議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律

第四条
「証人は、自己又は次に掲げる者が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受けるおそれのあるときは、宣誓、証言又は書類の提出を拒むことができる。
 一 自己の配偶者、三親等内の血族若しくは二親等内の姻族又は自己とこれらの親族関係があった者
 二 自己の後見人、後見監督人又は保佐人
 三 自己を後見人、後見監督人又は保佐人とする者」 

刑事訴追とは、「誰かが刑事罰を課すべき行為を行っています」と、いうことを、検察官が裁判所に訴え出る行為をいいます。

そして検察官による裁判所への審判請求を公訴といいます。

隣のおじさんが隣のおばさんを訴える私人訴訟ではなく、検察官という国家機関によってなされる訴えだからです。

日本では刑事訴追を検察官だけに許していますが、このことを国家訴追主義といいます。

すなわち日本の刑事訴訟法は、国家のみに刑事訴追権を与えているのです。

もちろん、あなたや私も捜査機関に対して告訴をすることができますが、実際に刑事訴追するかどうかは検察官次第です。

その理由はもうお分かりでしょう。

もし刑事事件の訴追を誰彼かまわず許すなら、感情にまかせた刑事訴追が世の中に氾濫するおそれがあるからです。

それではなにゆえに、国会の証人として呼ばれ、宣誓までした小嶋さんは、刑事訴追のおそれがあるときは証言を拒絶することが国会証言法4条においてゆるされているのでしょうか。

それはあらゆる法律に優位する法律、すなわち憲法の38条1項が、「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」と規定していることが原点にあります。

このことを黙秘権と呼びますが、わざわざ憲法で刑事手続の一端に針を刺しているのは、国家が全体主義に走る時、必ず時代の気分にそぐわない動きに対しては国家による自白の強要で犯罪の立件の量産が行われてきたという世界の歴史を踏まえたものです。

憲法38条が、私達が権力を委託した機関である国家の暴走を牽制したものであることは、38条がほかに強制、拷問、脅迫による自白、不当長期抑留、拘禁後の自白を証拠から排除していることからもあきらかです。

それはすなわちほかでもない私やあなたのなかに、「自分に憎らしく見えるものは徹底的に懲らしめたい」という価値判断が標準装備されていることを裏書しています。

そのような思いが国家に集積していって全体的な気分を作ったとき、逆に私やあなたが誤って国家に刑事訴追された場合、抗いきれない圧力となり、やっていないことを自白させられるのです。

そのような場面のシェルターとするため、国会証言法4条も憲法38条の精神にのっとって、刑事訴追を呼ぶような証言を回避できるように組み立てているのです。

時代の感情の集積に対抗できるのは、あらかじめ作ってある仕組みしかないということです。

その仕組みによって、本来罰せられるべき人も、とらまえづらくなることはあるはずですが、それでもなお社会感情の集積の前に仕組みを用意しておくことが重要なのであり、小嶋さんの隣で耳打ちを続けた弁護士さんも小嶋さん自身のためというよりも、その仕組みを堅持するために働いていたはずです。

自白は証拠の女王と呼ばれた時代、たくさんのお父さんが突然現れた特別高等警察によって玄関からひったてられ、やりもしなかった犯罪によって家族の元に二度と帰ってこなかった経験を私達は積んでいるのですから。

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2006/01/05

海外賭博と団地のおとうさん

海外賭博サイトにJRAコーナー、購入試算300億円(Yahoo)
「日本からの賭博サイト利用は賭博罪などに抵触するが、サイト運営会社が利用者情報を伏せているため、客の特定は極めて困難で摘発例もまれ。JRAは「国際競馬統轄(とうかつ)機関連盟」(本部・フランス)を通じ、サイト開設国に取り締まりを要請するなど、思わぬ“商売敵”に危機感を募らせている。」

刑法第1条1項をご覧下さい。

第1条

「この法律は,日本国内において罪を犯したすべての者に適用する。」 

競馬法1条6項、「日本中央競馬会、都道府県又は指定市町村以外の者は、勝馬投票券その他これに類似するものを発売して、競馬を行つてはならない。」に違反すると、本来同法30条により「5年以下の懲役又は500万円以下の罰金に処」せられるはずです。

また刑法185条賭博罪は、「賭博をした者は,50万円以下の罰金又は科料に処する。」と定めます。

ところが、まず刑法の第一条がその適用範囲を自国の領域内にとどめることを宣言しており、これを属地主義と呼びます。

一定の行為や事実について国内法を制定し、さらに、その適用や執行をはかる国家の権能のことを管轄権といいますが、国際法は国家の管轄権行使を無制限には当然ながら認めていません。

たとえば同じ団地にすむ田中さん家では「夕飯の時TVを見たらゲンコツだぞ」というお父さんのルールがあったとしても、隣の山田さん家の奥さんが TVを見ながら夕飯を食べたからといって田中さんのご主人にゲンコツを食らわされてはたまらないからです。

しかし隣の山田さん家のチビッコが、田中さん家に遊びに来て悪戯の限りを尽くしたときは田中さんは遠慮無く鉄槌を下すことが許されるでしょう。

このように属地主義は刑法や税法のような公法規定の適用範囲をお隣さんの存在を前提に、団地の部屋ごとに区切るように場所的な要素で定めようという有る意味でフェアな原則で、日本ばかりでなく国際的にこれが採用されています。

そしてその理由は国家主権の発動がその領域内に限定されるとする国際法上の領土主権の考え方が基礎にあるからにほかなりません。(参照:法律学小辞典 有斐閣

もともと英国のブックメーカー(政府公認の賭元)は以前から日本のニュースなどを含めてなんでも賭の対象としてきています。

しかしインターネットを介して海外の業者が日本人の競馬ファンの掛け金を持って行ってしまうとなると、これまで逃した魚、そしてこれからも逃すだろう魚の数がハンパでないだけに関係者は笑って見ていられなくなります。

ところが、原則として地球という団地全体の秩序を形成しようとする属地主義がその前に立ちふさがってしまい、日本の捜査権はやたらとあっちこっちに及ぼすことはできないのです。

個別家庭のルールをインターネットが軽々と飛び越えてしまう時代の前に、田中さん家のお父さんが決めたルールというひとつのノードによる解決方法は内包する限界性を見せ始めています。

団地全体の秩序のために自治会運営、つまり国家の個別意思の有機的連結をどう形成していくかというネットワーク的解決方法が要求されているニュースだとも言い換えられそうです(私見)。

法理メール:法律が苦手でない新しい自分に会うために

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2005/12/30

累犯:人という不完全ないきもの

「刑法甘い」遺族の叫び ストッキさん 厳罰化求め署名活動(大分合同新聞社)
「宮崎地裁は、今年六月三十日、男がストッキさん方に侵入し、現金約五十五万円などを盗んで放火、寝ていた妻公子さん(46)と中学一年の二女友理恵さん(12)=いずれも当時=を焼死させた―などとして、起訴された殺人、放火、常習累犯窃盗など九つの罪について無期懲役の判決を言い渡した。判決は「仕事や借金のうっぷんを晴らすためという放火の動機は自己中心的。二人の死者が出た後も放火事件を起こすなど常習性が顕著」と指摘した。刑は確定し、男は服役している。ストッキさんは「無期懲役なら十数年で仮出所できる。殺人犯に対して日本の刑法は甘い」と訴え、「終身刑」や再犯防止対策の制度新設などを求めている。」

刑法の28条をご覧下さい。

第28条(仮出獄)

「懲役又は禁錮に処せられた者に改悛の状があるときは,有期刑についてはその刑期の3分の1を,無期刑については10年を経過した後,行政官庁の処分によって仮に出獄を許すことができる。」

無期懲役に処せられた人は、一生刑務所にいなければならないわけではありません。

たとえ無期懲役であろうとも、刑法28条が仮出獄の余地を与えています。

仮出獄は地方更生保護委員会が犯罪者予防厚生法30条にのっとり、本人の人格、在監在院中の行状、職業の知識、入監入院前の生活方法、家族関係その他の関係事項を調査した上で決定します。

つまりどのような重罪で無期懲役と判じられようと、最短で10年たてば仮出獄検討の機会が与えられることになっているのが現状の刑法です。

ストッキ・アルベルトさん方を襲った者が問われた罪は現住建造物等放火罪、殺人罪、現住建造物等放火未遂罪、非現住建造物等放火罪、常習累犯窃盗罪等九つの罪に渡り、奥さんとまだ幼なかったお嬢さんは生きながら焼かれています。

助けられなかったことがあまりにも無念だったストッキ・アルベルトさんは、終身刑ではない無期懲役刑というものを疑問視し、現在もオートバイで全国を行脚しながら署名活動をされているそうです。

一方で終身刑に反対する立場の人達がもっとも問題にするのが、終身刑の残虐性で、それは具体的には重罪の累犯者などに対しては堀の中で死ねと言い切ってしまう態度の事を指します。