2007/04/09

報道:凶暴で無邪気な鏡

良識を疑うTBSの取材姿勢、池袋駅前の駐停車禁止場所に堂々と駐車(LivedoorNews)
「マナー違反ドライバーや悪質ドライバーを糾弾する特集を放送しているテレビ局が、駐停車禁止場所以外であっても、そもそも混雑する東京池袋東口のロータリーに堂々と車を止めて良いはずがない。他の一般車両は順番を待っていてでも駐車場に止めている。視聴者に示しが付かないではないか。」

東京都道路交通規則の第2条4号ケ(イ)をごらんください。

第2条(交通規制の対象から除く車両)

「法第4条第2項の規定により、交通規制の対象から除く車両は、道路標識により表示するもののほか、次に掲げるとおりとする。

(4) 駐車禁止及び時間制限駐車区間の規制の対象から除く車両

 ケ 次に掲げる車両で、別記様式第2の標章を掲出しているもの

 (イ) 報道機関の緊急取材のため使用中の車両」 

わたしたちがその耳目で物事を見聞し、その心で判断することが主観、そういったものを介さずただただ事実をあるがまま記述するのが客観だといわれます。

しかし”客”にもまた属性がある以上、純粋な客観というものは存在しえません。

その理屈からおよそ報道というものにも、厳密に言って完全に公正中立なものなど存在しえません。

どのようなテレビ局にも独自の視点があり、それによって同じニュースでも、違った切り口、違った脚色によって成形された物語が、今日も茶の間に届きます。

人間がそれを作る以上、ニュースに主観が入ることは避け難いことでもあります。

しかしそれでいて尚、報道機関には”できるだけ公正中立というものを標榜しよう”という意地だけは求められています。

なぜならば、立派な報道車両や特別な道路使用許可などを与えられれば、誰しも自分達の主観に基づく報道を、主観であると疑うことが徐々に難しくなるからです。

少なくとも各種の特権を身に纏えば、「悪に見えるものを叩くことは正義である」という点には積極的な疑いをもたなくなるはずです。

わたしたちはマスコミが伝える世論から、あまり自分の心が離れないように注意深く生きています。

それゆえマスコミによる報道や世論調査は、わたしたちが自分の気持ちや現実を写すため覗きこむ鏡のようなものです。

そしてその鏡には、議題設定機能という特権が与えられています。

わたしたちは報道という鏡のいうとおり自分を取り巻く現実と自分の気持ちを認識しますが、もしその鏡が無邪気で凶暴なものならば、その先にはわたしたちを大きな後悔しか待っていません。

東京都道路交通規則2条4号ケ(イ)も標章の掲示を条件に、駐車禁止規定から緊急取材車を除外しています。

しかしそれは、なにもわたしたちが彼らの感覚、彼らの正義感を全面的に信頼し、より胸のすくような報道を期待して与えた特権などではありません。

報道機関とは、「これもひとつの主観である、しかも強力な影響力をもったそれである」という自覚をもったプロの集団であるという望みが、それを与えているのです。

 

 

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2007/04/07

お金の急流で信義は溺れるだろう

「新SASUKE」収録で5人重軽傷(スポーツニッポン)
「収録は一時中断後に続行、番組は21日に放送された。TBSは「担当者が詳細を把握しておらず、4月2日に詳しい経緯が判明した」として、3日に事故を神奈川県警青葉署に届けた。同社広報部は「今回、事前にスタッフが安全を確認していた。収録時には安全管理責任者を必ず置くように指導している。原因は調査中」と話している。(共同) 」

民法の717条1項をごらんください。

第717条(土地の工作物等の占有者及び所有者の責任)

「1 土地の工作物の設置又は保存に瑕疵があることによって他人に損害を生じたときは、その工作物の占有者は、被害者に対してその損害を賠償する責任を負う。ただし、占有者が損害の発生を防止するのに必要な注意をしたときは、所有者がその損害を賠償しなければならない。」 

あなたが運動施設に安全配慮が欠けていたり、欠陥があったために怪我をした場合、民法の717条の工作物責任による施設管理者・施設所有者の責任追及ができます。

土地の工作物の設置に瑕疵が、つまり欠陥があったことで損害が生じれば、工作物の占有者である施設管理者が賠償責任を負うことになります。

ただ、損害発生を防止するに必要な注意をしていた場合は、工作物の所有者である施設所有者が責任をおいます。

717条は危険責任に基づく無過失責任、つまりたとえ故意や過失がなかったとしても損害賠償を問われる責任です。

それは危険性を有する施設の管理を厳格にさせようとした規定だからです。

土地の工作物には、土地に接着して人工的に作られたあらゆる設備が該当します。

「設置・保存に瑕疵がある」とは、通常備えるべき安全な性状を欠いていることをいい、当初からそれが存在する場合が設置の瑕疵、設置後に生じた場合が保存の瑕疵です。

たとえ個別の法規に従って設置されていたとしても、事故後の判断によっては瑕疵があると判断される場合があります。

さらに設置後の事情の変化に伴って生じる危険、たとえば何人もの競技者がぬれた足でその施設を通過すれば、危険度が増すような場合にも対処できていなければ瑕疵となることもあります。

それは設置・保存行為と切り離し、工作物の客観的性状としての危険性に重点をおいて判断するのが一般的なのです。

損害の発生を防止するに必要な注意をしていた場合には、たしかに占有者はその責任を逃れ、施設の所有者に責任が移行することになりますが、必要な注意を払ったといえるためには損害の発生を現実に防止できるだけの措置が必要で、単に事故に注意してくださいなどという書面を配った程度ではその責任を逃れることはできません。

さらにこうした主催者には安全配慮義務という法的義務が課せられています。

その根拠条文は民法の1条2項、必殺の信義誠実の原則です。(以上参照:青林法律相談(28)スポーツの法律相談 青林書院)

たとえスポーツには危険が内在しているとはいえ、それを主催することにより莫大な利益をスポンサーから得るTV局、すなわち一企業には、競技参加にアクロバティックな動きを要求される参加者の安全をまず第一に確保する信義誠実上の義務があるのです。

TBS広報のいうとおり、安全管理義務者がいたとすれば、その安全配慮義務には、当然に事故発生後の公的機関への報告も含まれるものと考えられます。

なぜならばその時点で現場を保存することにより、損害の原因と法的責任の所在を明確にでき、被害を負った人の損害の回復がはかりやすくなるからです。(私見)

これを放映後までなさない態度は、スポンサーのCM放映を参加者の法的権利確保よりも優先したものだといえます。

民放TV番組制作の現場では、わたしたち一般視聴者の意見など、実際にCM料を入金してくれるスポンサー企業のそれに比べて、驚くほど軽視されているのだといいます。

コマーシャル・スポンサーはそのテレビ局に莫大な利益をもたらす最大のタニマチであり、タニマチにとってもテレビは現代最強の広告媒体です。

しかし誰かの生命や安全が、巨額を支払うスポンサーへの忠誠と比べ軽視されるビジネスがあるのだとしたら、それは法を踏みつけた商いしているといわざるをえません。

そしてそういったお金の急流はTV業界といった極限られた場所にだけ起こっており、お金のあまりの勢いに内部の人は信義則上の異議など誰も言い出せなくなっているというのが本当のところかもしれません。

 

 

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2007/03/02

義務の法定は、権利の砲門

NHK受信料 支払い義務化見送り(東京新聞)
「受信料の支払い義務化問題は、NHKで相次いだ不祥事をきっかけに受信料の不払いが増加したのが発端。現在の放送法では、テレビを持っている人はNHKと「契約する義務」はあるが、「受信料の支払い義務」は明記しておらず、法律に支払い義務化を盛り込むことで、同省は不払いを抑制する効果を期待していた。」

放送法の32条第1項をごらんください。

第32条(受信契約及び受信料)

「1 協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。(以下略)」 

放送法の32条は、受信契約と受信料について定めています。

そして受信料の法的性格については、臨時放送関係法制調査会の報告が一般的に受容されています。

それによれば受信料とは、「教会の業務を行うための一種の国民的な負担であり、法律で国が協会に徴収権を認めたものであり、国による租税でも目的税でもなく、国会機関でない独特の法人として認められた協会に徴収権が認められたところの、その維持運営のための受信料という名の特殊な負担金」だということになります。

つまり維持運営のための負担金であるとすれば、その放送を受信可能な設備を持つ人は試聴にかかわらず支払うという解釈が一応可能になります。

(以上参照:放送法逐条解説 金澤薫 電気通信振興会)

そもそも協会の財政的基礎を受信料に負わせることとした32条の立法趣旨は、公平な放送内容実現のため国や広告主の意向から分離させようというものでした。

ただし1項にいう”契約をしなければならない”という義務付けは、民法の契約自由の原則上異形の文言であるといえます。

その異形は、受信料をわたしたちがNHKに直接支払うことにより、健全な経営状態と意義ある放送内容をわたしたちがスポンサーとして直接彼らに要求できる牽連関係を構築せしめようとするものなのです。(私見)

さて過失や職員の個人犯罪をカウントしないで、最近のNHKの不祥事を発覚した順にWikipediaから引用させていただきましょう。

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・2004年の7月イベント「プロジェクトX21」をめぐり、取り上げられた企業に資 料の提供と「協賛金」を要請

・~2004年、職務が変わらないにもかかわらず、年功的に昇給する「わたり」や昇給短縮が給与慣行として行われている現状を、衆議院総務委員会において公明党の河合正智議員が指摘

・2005年2月、1998~2002年にシンガポール駐在事務所に特派員として派遣されていた職員2名が総額795万円契約カメラマンの報酬金額を水増ししてNHKに報告していたことが発覚

・2005年5月、番組制作局映像デザイナー部の職員がスタジオセットのCG作成に絡み、計約470万円の経費を着服

・2006年4月、報道局スポーツ報道センターのチーフプロデューサー(43)がカラ出張を約240回繰り返し約1700万円を着服

・2006年4月、番組制作局(当時)ベテランプロデューサーが『爆笑オンエアバトル』DVD化に絡み、4年間、制作会社から交際費として現金280万円を受け取る

・2006年5月、山口放送局の放送局長(54)が出張旅費で不正な経理処理を行い約51万円(29件分)を着服

・2006年7月、NHKサービスセンター文化事業部の男性職員(38)が00~04年度にかけてNHK杯国際フィギュアスケート競技大会の当日入場券の売り上げなどを管理する口座から約370万円を着服

(出典:Wikipedia 「NHKの不祥事」より)
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実はこうして醜聞ばかりを列挙し、功績を挙げないのはフェアな手法とはいえません。

しかし放送法という法律のそもそもの目的は、放送に携わる職責を明らかにすることによって、放送が健全な民主主義の発達に資するようにするところにあります。(1条3項)

よってその目的を達するため、わたしたちの受信料が法的義務とされる時代には、彼らの美聞醜聞にスポンサーとしての意思表示をする権利もまた牽連確保されることでしょう。

 

 

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2007/02/24

到着したら、血まみれの森

糸川議員取材記録:毎日記者が協力者に渡す ネット流出(毎日新聞)
「毎日新聞の第三者委員会である「開かれた新聞」委員会委員を務める田島泰彦・上智大教授(メディア法)の話 たとえ親しい間柄の取材協力者だったとしても、まだ報道していない取材内容をそのまま第三者に漏らした点、さらに取材相手の了承を得ていなかったという点で、信頼を損ねる行為であり、記者の倫理を逸脱している。記者としての基本的なルールを徹底させるべきだ。また詳しい報告を受け「開かれた新聞」で協議したい。」

憲法の21条1項をご覧下さい。

第21条〔集会・結社・表現の自由,検閲の禁止,通信の秘密〕

「1 集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は,これを保障する。」 

わたしたちの暮らす世界では、事件や事象の報道はできるだけ真実に近くなされることが前提です。

なぜならばそうした誠実な報道が満ちていることで、それを見聞きしたわたしたちには正しい対策や議論を持つ機会が与えられるからです。

そしてそのことは”国民主権原理”という、いったい普段はどこに保管されているのかわからない幻のような概念を、より現実的な手段として少しでも引き寄せることを可能にします。

そのため学説上の通説は、新聞記者がもし司法の場など国家からその取材源の開示を迫られた場合、憲法の21条、表現の自由が取材から報道までを包括保障しているものと解釈し、正当にこれを拒否することができるのだと考えます。

つまりここでいう新聞記者の職業倫理とは、国家をよりわたしたちにとってコントローラブルな世界にするという高い理念を、職業人として見失わない態度なのだと言い換えられます。(私見)

そしてその目的地さえ忘れなければ、開示を要求してくる相手が一般人である場合にも、取材源秘匿が自分達の本質的素養なのだという理解が行き渡るはずです。

もしいつなんどき取材源がダダモレになるのかわからないならば、わたしたちはやたらと新聞記者からの取材に協力することができなくなり、結果的にその先には知るべき事象にいつも霧がかかったように見えにくい世界しか待っていません。

するとやがてわたしたちの一生という旅は、いつのまにかミステリー・トレインのように到着地が乗客たちには教えられない、不気味なものにすり替わってしまう可能性があります。

 

 

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2006/05/20

霊媒師は全権を委託される

Winny通信の遮断は「通信の秘密」を侵害--総務省判断をぷららが受け入れ(ITpro)
「総務省は「ぷららの措置は、電気通信事業法で定めた通信の秘密を侵すと考えられる」(総合通信基盤局消費者行政課)と判断した。通信の秘密を侵すとしても、通信や郵便事業などの「正当な業務」とみなされれば違法性はなくなる。しかし、総務省はこの点についても、「正当な業務として認められない」(同)と判断した。 」

刑法の第35条をご覧下さい。

第35条(正当行為)

「法令又は正当な業務による行為は,罰しない。」 

刑法はその35条で「正当な業務」による行為なら外見上法に触れていても処罰しないことを断言しています。

正当な業務による行為とは、社会生活上正当なものと認められる業務行為のことで、お医者さんが他人のお腹を刃物でカッさばいても、刑法第35条がこれを処罰しません。

ただし処罰されない正当業務行為というためには、それを社会が全うだと許容する内容の行為でなければなりません。

最高裁の判例も、弁護士や取材記者の行為の正当業務行為にあたるかについて、「その手段・方法が法秩序全体の見地に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである」ことを要するとしています。

また新聞記者の取材活動について,新聞記者が外務省女性事務官と肉体関係をもち沖縄返還交渉に関係する書類を持ち出させた事件では以下のような判断を下しています。

「その手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは,実質的に違法性を欠き正当な業務行為というべきである。……被告人はもはや取材の必要がなくな〔った〕……後は,同女に対する態度を急変し……,加えて……その写を国会議員に交付している……〔。〕……このような被告人の取材行為は,その手段・方法において法秩序全体の精神に照らし社会観念上,到底是認することのできない不相当なものであるから,正当な取材活動の範囲を逸脱している……。」(外務省機密漏えい事件 最高裁昭和53年5月31日 第一小法廷決定)[出典:刑法判例百選1 総論 有斐閣] 

もともとメディアの語源は、霊媒師、メディウムです。

主役は神や霊魂(発信者)と、それを受け取る人(受信者)であり、メディウム自体は本来脇役のはずです。

しかしその代役の効かない存在のため、メディウムは古来から特別な玉座を与えられてきています。

インターネットの経路を提供するプロバイダも、それがなければ私たちは通信を互いに発信・享受することができない重要なメディアです。

それはTVやラジオなど一方向を霊媒するメディウムよりも、場合によってはさらに重要な意味を持つ双方向の霊媒という仕事をします。

プロバイダはその気になればどのようなメールがやりとりされているのかも盗み見ることもあっさりできますが、それをやらない約束(通信の秘密)が霊媒師を霊媒師たらんとする重要な要素になります。

より多くの情報を霊媒しようと神の胸ぐらを掴んだり、霊媒師の機嫌次第で神の言葉を遮断したりすることはも、はや媒体としての「正当な業務」の範囲を逸脱しています。

そしてあまりに大量の情報を処理する業務ゆえ、プロバイダは業務に正当、不当があることなどに思いが及びにくくなることもまた事実です。

 

 

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2006/01/15

泳がせ捜査の記事と報道機関の意義

「泳がせ捜査」記事でおわび 裏付け取材が不足 「組織的捜査」確証得られず(北海道新聞社)
「北海道新聞社は昨年三月十三日、朝刊社会面に「覚せい剤130キロ 道内流入?」「道警と函館税関『泳がせ捜査』失敗」などの見出しで、道警と函館税関が二○○○年四月ごろ、「泳がせ捜査」に失敗し、香港から密輸された覚せい剤百三十キロと大麻二トンを押収できなかった疑いがあるとの記事を掲載しました。これに対し道警から「記事は事実無根であり、道警の捜査に対する道民の誤解を招く」として訂正と謝罪の要求があり、取材と紙面化の経緯について編集局幹部による調査を行いました。 その結果、この記事は、泳がせ捜査失敗の「疑い」を提示したものであり、道警及び函館税関の「否定」を付記しているとはいえ、記事の書き方や見出し、裏付け要素に不十分な点があり、全体として誤った印象を与える不適切な記事と判断しました。 関係者と読者の皆さまにご迷惑をおかけしたことをおわびします。北海道新聞社」

通称、麻薬特例法の第4条をご覧下さい。

国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例等に関する法律

第4条(税関手続の特例)

「税関長は、関税法第67条の規定による貨物の検査により、当該検査に係る貨物に規制薬物が隠匿されていることが判明した場合において、薬物犯罪の捜査に関し、当該規制薬物が外国に向けて送り出され、又は本邦に引き取られることが必要である旨の検察官又は司法警察職員からの要請があり、かつ、当該規制薬物の散逸を防止するための十分な監視体制が確保されていると認めるときは、当該要請に応ずるために次に掲げる措置をとることができる(以下略)。」 

泳がせ捜査とは、いわゆるコントロールド・デリバリーと呼ばれる捜査方法です。
 
(泳がせ捜査はマスコミ用語、コントロールド・デリバリーが正確な法学用語です。)

コントロールド・デリバリーには、禁制品を押収しないで流通させるライブ・コントロールド・デリバリーと、禁制品を無害の物品に入れ替えて流通させるクリーン・コントロールド・デリバリーとがあります。

たとえ事前に麻薬取引等を捜査当局が察知したとしても、これを泳がせて関係者を特定するためにあえて規制薬物を上陸させることは、出入国管理及び難民認定法、関税法等の関係から問題があります。

そこで「麻薬及び向精神薬の不正取引の防止に関する国際連合条約」の要請に基づき設立された麻薬特例法3条、4条がライブ・コントロールド・デリバリーを可能としている規定しています。[参照:田口守一 刑事訴訟法 弘文堂]

泳がせ捜査は、刑事訴訟法の規定に厳しく縛られる強制捜査とは異なり、自由度の高い捜査範囲におかれている手法です。

しかしながら主に刑事訴訟法とは、真実発見の要請とともに、捜査機関の暴走が捜査対象者やその関係者が手続一般の理念であるデュープロセスの要請(憲法 31条)を破らぬよう人権保障を要請するため捜査機関に科されている枷でもあります。

すなわち刑事訴訟法自体は、泳がせ捜査が失敗し、禁制品が大量に街に出回ってしまうというような、捜査範囲外にいる人達に新しい捜査手法が二次被害を及ぼしてしまう場合を想定してはいません。

それがゆえに、新設された麻薬特例法の4条は、「当該規制薬物の散逸を防止するための十分な監視体制が確保されていると認めるとき」に限って、この泳がせ捜査という国家の中に毒を飲むような危険な捜査権を与えているのです(私見)。

今回の北海道新聞は、コントロールド・デリバリーという捜査手法による派生被害を報道しましたが、十分な裏付け取材がどうもなかったようです。

しかしながら泳がせ捜査、またおとり捜査というような新しい捜査手法の周辺には、ともすれば捜査による二次被害がやすやすと発生しやすく、同時にそれが公になる可能性は非常に低いといえます。

そうだとすれば報道機関にあっては、取材ミスの判明などで今後腰が引けてしまうようなことなく、裏付けできた範囲の記事においてはより積極的に公表していってもらう必要があります。

なぜならば、そういう現場こそまさに報道機関がその存在意義を十全に実現できる場面に他ならないからです。

 

 

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2005/11/24

21 VS 13

小1女児殺人:過熱取材対策で報道申し合わせ(毎日新聞)
「広島市で小1女児が段ボール箱に入れて放置され、殺害された事件で、広島県内に取材拠点を置く新聞社・通信社・放送局計16社でつくる県編集責任者会は23日、「取材・報道の使命の重要さを認識するとともに、被害者家族をはじめ周辺住民、学校など関係者の心情やプライバシー、人権に配慮し、節度をもって取材・報道に当たる」ことを申し合わせた。事件の被害者宅周辺などでメディアスクラム(集団的過熱取材)が起きるのを、未然に防ぐための対策。」

憲法の21条1項をご覧下さい。

第21条〔集会・結社・表現の自由,検閲の禁止,通信の秘密〕

「集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は,これを保障する。(以下略)」 

報道というものは単に事実を知らせるもので、特定の思想を表明するものではありませんが、憲法が思想や意見の表明を保障する「表現の自由」によってやはり保障されていると最高裁も考えています。

なぜならば報道という作業のなかにも、編集という知的作業がありますし、さらに報道は国民の「知る権利」に奉仕するという重要な効果をもつためです(最高裁 昭和44年11月26日決定)。

さらに報道の自由を「表現の自由」で保障する派生原理として、取材の自由という権利も憲法21条1項、「表現の自由」は加護するものと考えられています。

なぜならば取材の自由がなければ報道の自由も結局ないに等しいからです。

悲惨な事件が起こったとき、TV局や新聞社の取材班は我先にと駆けつけ、犯罪被害者の家族達に群がりますが、彼らの免罪符には「21」という数字が誇らしげにプリントされているというわけです。

しかし問題はその報道機関の保有する憲法上の権利と、被取材者側のもつプライバシー権が衝突する場面です。

そこでそもそも守られるべきわたしたちのプライバシー権とはなにかをはっきりさせておかなければなりませんが、判例上は「私生活をみだりに公開されない法的保障」こそプライバシーなのだと捉えられています(東京地裁 昭和39年9月28日判決に同旨)。

プライバシーという判例上は比較的新しい観念により、私達には普段から一人にしておいてもらう権利をもともと持ち、いわんや家族が思いも寄らない残酷な犯罪被害にあって心が脆くなっている時には、出歯亀根性の報道機関によって傷口を無用に広げられない権利を本来憲法上保障されていると言えるのです。

プライバシー権は普通、人格権と呼ばれる権利の一つに含まれると考えられ、その根拠条文は憲法13条にあると考えられています。

すなわち報道機関がその腕に「21」という腕章を巻いているのと同じく、犯罪被害者になったとき、わたしたちの玄関先には「13」という札が下げられているはずなのです。

しかし有名な松本サリン事件における河野義行さんへの集中誤報に見ても明らかなように、結果的に徒党を組んで現れることになる報道機関の数と勢いとの前には、わたしたちが玄関先のぶら下げる「13」などという札は、紙の如く吹き飛ばされるのが現在の現実です。

そしてメディアにスクラムを組ませ、一刻も早くよりスキャンダラスな報道をさせようと勢いづかせる原動力は当然それがより大きな経済的利益を報道機関にもたらすからに違い在りません。

そしてなにより、よりスキャンダラスな報道をした機関により大きな経済的利益を与えているのは、誰在ろうその新聞や雑誌を争って買おうとする、他でもない”未来の報道被害に怯えるわたしたち自身”によってであるのです。

自らの番が回ってくる前にそのメビウスの輪をほどいておくには、「犯罪被害者の家族であることを我が身に置いて考える」という想像心をほとんどの人が無理なく手に入れる、社会の晩秋を待たなければならないのかも知れません。
 


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2005/08/07

高陽東の原爆黙祷を拒否した新聞社とそのドグマ

高陽東の原爆黙祷巡り混乱 社内連絡不備と本社が陳謝(朝日新聞)

消費者契約法の第4条をご覧下さい。

第4条(消費者契約の申込み又はその承諾の意思表示の取消し)

「消費者は、事業者が消費者契約の締結について勧誘をするに際し、当該消費者に対して次の各号に掲げる行為をしたことにより当該各号に定める誤認をし、それによって当該消費者契約の申込み又はその承諾の意思表示をしたときは、これを取り消すことができる。
一 重要事項について事実と異なることを告げること。当該告げられた内容が事実であるとの誤認(以下略)」

消費者契約法は、消費者と事業者間の契約すべてが対象の比較的新しい法律です。

4条にいう不適切な行為とは、たとえば新聞購読契約において、あきらかに競合他社の新聞よりも不人気の新聞であるにもかかわらず、「ウチはこのあたりの皆が読んでいる新聞なので、他紙を読んでいると仲間はずれになりますよ」などと明らかな虚偽の事実を告げていたような場合のことです。

このような不適切行為があれば、消費者はその契約を取り消すことができます。

こうした消費者契約法が新設された背景には、事業者による強引な契約誘引などが社会問題化したからにほかなりません。

私たちの国では、世界でも珍しいほどの部数の新聞が各世帯に毎朝配達されているのだといいます。

さまざまな景品をもって今日も新聞拡張員の皆さんが自転車で世帯を回っているのも、「日本人なら必ず新聞をとる」という大前提の下、なんとか継続購読している新聞の銘柄を変更してもらおうという争いにほかなりません。

そして新聞拡張員があなたのおうちの玄関口にやってきたとき、朝日新聞は夏の甲子園を、毎日新聞は春の甲子園を、そして読売新聞は箱根駅伝を実質的に主宰すること等で、あなたの中の各新聞のイメージをマッサージし、またあわよくば少しでもあなたに関わりのある大会を主宰する新聞を購読してもらおうというマーケティングが行われています。

しかし粗末な紙にただニュースが印字された束を、いったいどんな信条の下で記事を書く新聞社から購読するのかを決める契約は、あなたとあなたの家族の日常の切り取り方に、確実に毎日少しずつ影響を与えていきます。

そのことからすると、新聞購読契約を主宰スポーツに関する景品やイメージなどで決めさせようとする態度は、マスメディアの本旨に立脚しているとは言い難いものがあります。

わたしたちには、なんなら「どの新聞も読まない」という選択肢さえ十分あります。

インターネットで私たちは世界の新聞を原語で直接読めますし、日本の新聞もインターネットなら一つの事象を各社の記事から立体的に理解しようとすることも簡単です。

逆に老若男女誰からも文句がでないように気を使った、鈍角な歳時記などを読まなくて済む利点もあります。

「新聞を読まないのは恥である」というどこかからあなたのなかにやってきた言葉さえ、一旦徹底的に自分の手で解体しなければ、単に便利なインデックスとしてあなた自身を誰かにマーケティングされるだけかもしれません。

新聞社が主催する若者の野球大会で、当の新聞社が被爆地のイデオロギーに接触するミスを犯したことは、新聞社としての信条と大会開催の実務が直結していないことを表現している可能性があります。

もし主催者の抱える経典の第1ページに、「部数は力なり」というドグマが書かれているなら、そうした問題は遅からず起こるのが必然だからです。
 

法理メール?

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2005/06/02

報道という懐刀も懐を切る

「ディープスロート」はFBI元高官 米誌で自ら明かす(朝日新聞)

憲法の21条をご覧下さい。

第21条〔集会・結社・表現の自由,検閲の禁止,通信の秘密〕

「集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は,これを保障する(以下略)。」
 

ウォーターゲート事件は、かつて米大統領が政党本部を盗聴した事件です。

盗聴の情報を新聞記者に漏らした人が誰なのか、記者は本人が名乗り出るまで30年間、それを明かしませんでした。

日本でも、かつて裁判所あるいは検察庁の人間が、朝日新聞の記者に事前に情報を漏らしたという疑いが起こり、記者がだれから情報を入手したのかについて証言全部を拒絶したため、証言拒絶罪となった事件がありました。

その事件では果たしてマスコミには取材源秘匿の自由があるのかが争われました。

その事件で最高裁は「取材源の秘密を守ることは職業倫理として一般に承認されているが、その倫理を法律上どのように保護するかは、立法政策上の問題である」として、取材源秘匿の保証を否定しました(昭和27年8月6日)。

しかし現在の通説的学説は、取材源の秘匿は国民の知る権利を確保する上で重要であり、取材源秘匿の利益および報道者の利益を理由ついて取材の自由に関連して憲法上の保護を受けることもあると考えています。

もともと報道する自由は憲法21条の表現の自由の保障に含まれます。

私たちが記者会見や裁判の場でよく、報道機関が場合によっては横暴とも見えるほど自身の権利を主張するのに出くわすのは、私たち一人一人の気持ちから国の形を決める民主主義システムにおいて、その国のかたちの行方を決める判断の材料はほぼ、報道機関が提供しているからです。

実際にアメリカにはシールド法という取材源秘匿を保証した法があり、日本の憲法学説上も、報道が公権力の行方を形作る材料を提供する機関である以上、その公権力からの介入を排斥しなければならないことを理由に取材源の秘匿を21条で保証すべきであるとする立場が通説的です。

しかし、報道機関は別名、第四権力と呼ばれていることにはいつまでも注意が必要です。

これまで私たちはその第四権力の手による大きな悲劇を何度も目にしてきました。

記憶に新しいところでは、松本サリン事件における集中誤報が一つの家族の暮らしを事実上崩壊させています。

欧米では、人気ニュースキャスターは話し方やニュース素材の紹介の仕方で世論を事実上つくる一大権力者と見られています。

取材源の秘匿は、マスコミの良心という包装紙を一旦はがしてしまえば、ただの取材上の技法だともいえます。

それを裏切れないのは取材元に申し訳ないからでなく、第一義的には裏切ったマスコミはその後の取材がしにくくなることに理由があるからです。

よって21条で取材源秘匿の自由を保護する理論を構築するなら、その途上で”マスコミの良心”などという言葉を使うべきではありません。

そもそもTV局、新聞社も企業である以上それぞれ非常に特色のある大株主が存在し、彼らの意向に背く報道がされることはありません。

権力の自走化を警戒するため、私たちにはいつも最後の最後まで懐疑的な態度が要求されています。

 

 

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2005/03/19

報道:やりすぎる第四権力

「フライデーで名誉毀損」静岡の強盗殺人容疑者が提訴(朝日新聞)

民法の710条をご覧ください。

第710条〔非財産的損害の賠償〕

「他人の身体,自由又は名誉を害したる場合と財産権を害したる場合とを問はず前条の規定に依りて損害賠償の責に任ずる者は財産以外の損害に対しても其賠償を為すことを要す」

名誉毀損があって私人と私人が戦う時は、民法の710条に該当する事象があったのではないかを争います。

そしてこれに関しては、通常ロス疑惑と呼ばれている事件に関する報道を名誉毀損で争った有名な判例があります(最高裁 平成9年9月9日)。

その判例では、意見や論評の表明による名誉毀損につき、事実に関して「真実の証明」があれば免責され、もしその証明がない時にも、事実を真実と信じたについて相当の理由があるのなら罪にならないのだとしています。

裁判所の言葉を意訳すると、事実じゃなくても真摯な態度であればその報道は許容されるべきというような判断です。

しかし同じ判例で、たとえその他の報道により既に世間に広く知られた周知性があろうとも、それだけでは報道に相当性があることにはならないと結論づけています。

そしてこれによって、結局ロス疑惑名誉毀損裁判では、報道側は敗訴しています。

これを意訳すれば、世間の評判だけでは報道が正当だとは呼びえないという意味です。

報道による名誉毀損裁判というものは、法的判断における表現の自由と人権問題の対立をいつもあらわに問題提起するものです。

そして注目すべきことに、ロス疑惑報道での三浦和義氏は、関わった名誉毀損訴訟において 実にその8割を司法の場で勝利に終わらせています。

これをいいかえれば、報道とは8割方常にやりすぎている権力機関なのだともいいかえられそうです。

 

 



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2005/02/19

番組制作費を最後に負担するのはあなたとわたし

日テレ深夜番組、女性タレントの万引きをクイズ題材に

放送法の3条の2をご覧ください。

第3条の2(国内放送の放送番組の編集等)

「放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

1.公安及び善良な風俗を害しないこと(以下略)。」

確かに18歳でもしっかりした人はたくさんいるでしょうが、わたくしの18歳のころを振り返りますと鼻をたらしてトンボを追いかけていました。

わたくしを基準にしますと 18歳のころは自分が何を話しているのかよく把握できていない年頃ということになります。

この際追求すべきは発言の真偽ではなく、「カミングダウト」制作者である大の大人が、社会的に許されない内容を易々と放送してしまった気の緩みだと思われます。

放送は利用できる周波数の数に限りがあることや、社会的影響力が甚大であることを理由に,電波法と放送法によって他の表現形態には見られない程、強力に規制がなされています。

3条の2はその大前提です。

放送の自由は、それが表現の自由であるとは思えないほどの足枷がはめられているのです。

番組制作者達には企業の資金提供で番組製作が進行し、その財源は最終的には消費者が負担しているのだという点を、再認識していただく必要があります。 

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2005/01/28

その椅子は陶酔の匂いを立てる

海老沢前会長らNHK顧問を辞退

放送法第24条をご覧ください

第24条(役員)

「協会に、役員として、経営委員会の委員の外、会長1人、副会長1人、理事7人以上10人以内及び監事3人以内を置く。 

顧問とは、被相談人を意味します。

顧問という仕事に対しては、当然顧問料が発生してしまいますが、上記放送法上は そもそも顧問などという役職は想定されていません。

多くの会社で顧問は会長職のあとに用意された名誉職として札束の介護ベッドと化しています。

さらに問題なのは理事会において相談することは、該協会の運営方針そのものでしかないことです。

つまりそれでは、逆に放送法の埒外に権力者を新設したことと代わりがなく、事態は益々アンコントローラブルになります。

株式会社でもあるまいし、いくらなんでも無茶はやめてもらいたいものです。

人はいつその人独自の美意識を手に入れ、またどんな契機でそれをその手から失うのでしょうか。

ことによっては、その目に止まる全ての人が傅く時、恍惚として大切な美意識(あるいは絶対価値)をその手からスルリとすべり落としてしまうのかもしれません。


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2005/01/13

NHKの根元にも法の種子が眠っている

「海老沢会長すべて了解」NHK番組改変で担当者が実名会見(中日新聞)

憲法の21条をご覧下さい。

第21条〔集会・結社・表現の自由,検閲の禁止,通信の秘密〕

「集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は,これを保障する。
検閲は,これをしてはならない。通信の秘密は,これを侵してはならない。」

表現の自由は憲法21条で保障されています。

かつて筑紫哲也さんがTBSのニュース23で「憲法で一番大切なのは 21条だ」と語っていましたがそうではありません。

21条は13条から派生する原理で、本質的にもっとも大切なのは13条です。

それはともかく、表現の自由が大切にされるのはなにもニュースが自由に見れなくなるからではありません。

その意味は、国民が現在の体制に表現を通じて反対意見を述べていないという状態を、現体制を肯首していると間接的にみなされるところにあります。

つまり21条の根元にも国民主権という種子が埋まっているのです(ice私見)。

私たちは権力を国家機関に授権しています。

そして権力が我々の意に反して不当な方向に増大しようとするとき、「表現の自由」という権利の首は真綿でじわじわと絞めはじめられます。

すべからく法というもの、その種子を忘れて枝葉を論じ始めると、逆に人権体系という大木を雑草に絡めとられて、ついには枯らしてしまいかねません。 
 


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