2008/01/28

ルール・イスラミア:人ほどの存在よ

ハンド再予選開催でアジア連盟「東京五輪不支持」(iza)
「国際ハンドボール連盟(IHF)は「中東の笛」と呼ばれる疑惑判定を糾弾した日本と韓国の訴えを聞き入れ、予選のやり直しを決定した。しかし、傘下であるはずのAHFは手続きの不当性を盾に取り、対決姿勢を鮮明にする。アハマド会長はIHF寄りの日本を「違法な大会を支持する国を、今後どうして信用できるだろう」と攻撃した。」

国際ハンドボール連盟の試合ルール、8.6をご覧下さい。

International Handball Federation Rules of the Game

Rule 8 Fouls and Unsportsmanlike Conduct

「It is permitted to: 8:6 Seriously unsportsmanlike conduct by a player or team official,on or outside the court (for examples, see Clarification No. 6),shall be punished with disqualification (16:6d).」

(私訳 ルール8:ファウルおよびスポーツマンらしくない行為

8:6、選手またはチームの審判によるひどくスポーツマンらしくない行為は、コート内あるいは外で失格にできる) 

法というものを端的にいえば、それは強制をともなったルールなのだといいかえられます。

もし法律からその強制力を剥がしてしまい、いったんただのルールに戻せば、それはわたしたちひとりひとりが幸福を追求する権利と、わたしたちが所属するそれぞれの集団の運営との折衷案でしかありません。

個々人の帰属する集団にルールが存在することが、遠回りにわたしたちが幸福をできるだけ追求できるよう機能しているのです。

しかし誰もが必ずしも折衷案に納得するわけではありません。

そういうときのため、ルールに強制力を装備したもの、それが法律と呼ばれているわけです。

ところでそもそもわたしやあなたはなぜ、国家が強制力をもってひとつの約束事を強制してくる事態をすんなりと受け人れているのでしょうか。

それは法律とよばれるものが、現時点で考え得るもっとも公平な正義であることを、わたしやあなたが納得しているはずからだと考えられています。

このわたしたちの感覚のことをルソーは、一般意志と呼びました。

ただもう少しよく考えると、なぜ人の一般意志が正義なる社会折衷案の正解に限りなく近くたどり着けるのかは不思議な気がします。

人間の歴史とは、一方で過ちとその修正の歴史だったともいえるからです。

この点、自然法思想と呼ばれる考え方は、人には理性があるからこそ、正義という正解にたどり着けると考えます。

かつてトマス・アクィナスは、著書『神学大全』のなかで、世の中の法律を「神の法」、「自然法」、「実定法」の三つに分類しました。

まず神の決めた絶対的な法があり、そのうちで理性のある人間だけに見える一部の法があり、これを自然法と呼びます。

そしてそれをもとに人間ほどのものが具体的に作り上げたルール、それが実定法だという分類です。

実はイスラム教徒には古くから教徒のための神が作った生活基盤を規定する法律、「コーラン」が存在していました。

キリスト教徒は彼らイスラム教徒の揺るがざる論理的基盤に対抗するため、コーランという「出版されている神の言葉」に対抗して出版されざる神の言葉、「神の法」という概念を編み出したといいます。

そして「人を殺してはいけない」「物を盗んではいけない」など全世界共通のルールは、神の法のうちから人の理性の目に見えた自然法だとしたのです。

それを具体的法律に直したものが実定法です。

キリスト教徒の務めは、「神の法」に従うこと。

そのためには、「自然法」に従うこと。

さらには「自然法」に従う限りで「実定法」に従うということです。

やがて啓蒙思想の時代、国家が教会の支配を脱して神の法はなくなりました。

その結果、「自然法」が繰り上げ第一位となったわけです。

やがて自然法という思想ツールは、一国の王の首まで切り落とすフランス革命を発動させるまで機能しました。

そしてそれらはすべて、キリスト教徒がコーランに対抗するため建築したアイデアだったというのです。(以上参照:橋爪大三郎 人間にとって法とは何か (PHP新書)

クウェートの王族が事実上支配するといわれるハンドボールのアジア連盟。

王の言葉は神の言葉だとルールを運用する審判への絶対服従を要求するのか、「王といえども」の自然法思想により不合理なルール運用には国際ハンドボールルール8.6を適用してこれに対抗できるとするのか。

スポーツのルールへの解釈ひとつとっても、それぞれがそれまで従ってきた神の衣が見え隠れしているのだと、気の利いた心理学者ならいうかもしれません。

 

 

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2007/09/02

公平のためのルールで従順な選手を殺そう

お粗末運営、競歩で誘導ミス/世界陸上(ニッカンスポーツ)

「世界に醜態をさらすミスだ。周回を数える係員と、道路を挟み反対側にいる記録係の連絡ミスにより、山崎の周回は47・5キロ地点で1周多く、カウントされていた。「(山崎は)終わりや」という指示に係員は、そのまま競技場へ誘導。直後、救護担当役員が間違いを伝え呼び戻すべく山崎を追いかけたが、その権限がなく、ためらううちに山崎は行ってしまったという。」

陸上競技ルールブック2007から、第230条の12項をごらんください。

「第230条 競歩競技

「⑫ 審判長が審判員,監察員またはそれ以外の報告により,競技者がコースをはずれ距離を短くしたと判定した場合,競技者は失格となる。」 

競歩とは、本規則230条1項によれば、「いずれかの足が、常に地面から離れない(ロス・オブ・コンタクトにならない)ようにして歩く」状態を保って速度を競い合う競技ということになります。

さらに「前脚は、接地の瞬間から垂直の位置になるまで、まっすぐに伸びていなければならない(ベント・ニーにならない)」とまで厳格にそのフォームを定めています。

このため単純に速度を競い合う他のランニング競技に比べ、競歩が道路上で行われる場合、「主任を含め6人から9人の競歩審判員」が配置されてそのフォームを審査しています。(2項4号)

そして競歩の定義に反するおそれがあるときは、競技者は黄色のパドルで注意を受け(3項)、もし「ロス・オブ・コンタクト」あるいは「ベント・ニー」があれば審判員は赤カードを競歩審判員主任に出さなければなりません。(5項)

もし競技者が3人以上の審判員から赤カードを出されたら失格となります。(6項1号)

さらに競歩審判員主任が、歩型違反を認定すれば、彼は競技者を単独で失格にする権限を持っています。(3項1号)

これほどまでにフォームに厳しい競技である競歩であれば、審判員を勤める方々の質の高さこそが、競技当日に選手達がそれまで賭けてきた選手人生を裏打ちしてくれるのだといえるでしょう。

あの大舞台で周回を数え間違えた審判員の方に、気のゆるみなど勿論なかったはずです。

もし欠けていたものがあったとすれば、どれだけ一生懸命おつとめだったとしても、やはり冷静に”大舞台での審判としての能力”だといわざるをえません。

老人たちが徹底的に責任を取る姿勢を見せなければ、今後誤誘導があった場合にはどう対処すればよいのかというリスクを、競技者達の頭の片隅から離すことはできません。

 

 

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2007/08/22

文部科学省:相撲協会のタニマチ

朝青龍に条件付きで帰国容認へ(ニッカンスポーツ)
「モンゴルの日本大使館前で抗議集会が開かれ、監督官庁の文部科学省が事情説明を求めるなど、事は協会内の問題にはとどまらない。番付発表を1週間後に控えた秋場所に水を差しかねず、何より協会の自浄能力が問われるなど事態をこれ以上、師弟間の問題だけに放任できない状況に追い込まれたのも、帰国容認の背景にはあるようだ。」

法人税法の4条1項をごらんください。

第4条

「1 内国法人は、この法律により、法人税を納める義務がある。ただし、内国法人である公益法人等又は人格のない社団等については、収益事業を営む場合又は第84条第1項(退職年金等積立金の額の計算)に規定する退職年金業務等を行う場合に限る。」 

(以下参照:スポーツの法律相談 青林書院)

力士はそもそも、財団法人日本相撲協会の協会員です。

それは株式会杜で言えば会社と従業員のような立場になります。   

したがって力士は、所属する部屋との間ではなく、相撲協会と選手契約を締結していることとなります。

しかし力士は、プロ野球選手やJリーガー、ボクサーのような統一契約書により選手契約を交わしてはいません。

入門審査に合格し、力士として協会員となったことにより、相撲協会との選手契約が成立しているのです。

ではその契約内容はどこに書いてあるのかというと、相撲協会寄付行為細則に報酬などが定められています。

(たとえば横綱の月給は、その77条で、273万7千円と定められています。)

力士は、部屋との間に契約関係がなく、相撲協会との間に選手契約を結んでいるので、もし部屋を移転しても契約相手の変更という意味での移籍という問題が生じません。

親方が軽んじられるのだとすれば、法的にはそうした下地が影響しているのかもしれません。

なぜ相撲協会がそうした特殊な契約形態を採用しているのかといえば、相撲協会が民法34条の規定する公益法人であるからです。

公益法人とはその名の通り営利を目的としない法人だとされます。

しかし世の中になんでも二重基準があるように、”付随的に”営利行為を行うことは公益法人であっても自由だとされます。

しかも公益法人は、法人税法上、収益事業以外が非課税になる、いわば特別優遇団体です。

そしてそれを根拠づけているのが、法人税法の4条1項です。

(そもそも収益事業の税率自体が、法人税法66条3項により一般の法人より優遇設定されています。)

このような特別優遇が約束される団体の設立には、主務官庁による許可が要求されます。

(そうでなければ一般の法人の間に納税の不公平感をもたらします。)

そして日本相撲協会におけるその主務官庁こそが、文部科学省ということになります。

つまりはもし、相撲協会内部に自身で拭えない構造上の問題を抱えているのだとしたら、彼らを公益法人として認可しつづけなければならない文科省のメンツこそが丸つぶれになる形なのです。

 

 

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2007/07/01

特別な稽古で少年は死んだ

親方誠意なし…17歳力士急死、耳は裂け根性焼き痕 (zakzak)
「「顔面は赤く腫れ、身体中にはアザとすり傷。耳は裂けていた。さらに太腿にはたばこを押しつけたやけどの痕が3カ所あった」。斉藤さんの叔父(44)はこう語った。新潟県の自宅に戻った遺体の惨状は正視に耐えられないものだった。「今は何も考えられない。頭がパニックになっている…」と憔悴(しょうすい)しきった声で話した父親(50)は血圧が200まで上昇し、寝込んでしまった。「お兄ちゃん子だった小学3年の妹は、遺体のあまりの惨状を目の当たりにし、全身を痙攣させ、半狂乱で『お兄ちゃーん』と叫んだ」(叔父同)。遺族は弔問に訪れた友人らにも、「とても見せられない」と、遺体と対面を断った。」

刑事訴訟法の231条2項をごらんください。

第231条

「2 被害者が死亡したときは、その配偶者、直系の親族又は兄弟姉妹は、告訴をすることができる。但し、被害者の明示した意思に反することはできない。 」 

(以下引用:スポーツの法律相談 青林書院

スポーツの現場で、責任者の過失により事故が発生したと考えられる場合、警察に対して捜査開始の請求するなら刑事告訴が利用されます。

告訴に決まった受付時間や曜日はなく、普通、警察署の刑事課で告訴が受付けられます。

刑事課にもいろいろな係がありますが、告訴の受付けをするのは知能犯係と強行犯係であり、傷害・死亡などの身体を殺傷する犯罪についての告訴は強行犯係で受け付けます。

つまりもし若い力士が部屋のしごきで死亡したのだとしたら、刑事告訴は警察署の刑事課強行犯係に対して行うことになります。

告訴は口頭でもできることになっていますが、実際には書面で提出した方が公務への訴求力があります。

また告訴状には犯罪事実の疎明資料を添付して刑事課宛に送るとよく、そのあと刑事課長に連絡をつけて面会に行き、詳しい事情を説明すると段取りがよいでしょう。

もし資料が不足していると、検察官の段階で嫌疑不充分として不起訴処分となってしまう可能性があるため、告訴時になるべく多くの資料を集めるのが大切です。

刑事被告人という立場を負わせるのは社会的に相当な重荷になるため、警察も検察も慎重になるからです。

実は告訴状の形式には特に定まったものがあるわけではなく、どのようなものでもかまいません。

しかし弁護士は通常、B4 の紙を袋とじにして、縦書で告訴状を作成します。

冒頭には「告訴状」というタイトルをつけて、その後に告訴人の住所、氏名、押印、続けて被告訴人(たとえば部屋の親方)の住所、氏名を記載します。

そして、その次に「告訴の趣旨」とタイトルを入れ、何罪で告訴するのかを簡潔に記載します。

たとえば「被告訴人の以下の所為は、業務上過失致死罪に該当すると考えられるので、至急捜査を遂げ、厳重な処罰をされたい。」となります。

次に、「告訴事実」というタイトルを入れ、事件に至った詳しい事情を書きます。

もし業務上過失致死罪なら、それが成立するための要素、つまり指導者の過失ある行為、被害者の死亡、両者の因果関係、について証拠を引用しながら説得的に書く必要があります。

そして、告訴事実の最後に、「被告人の以上の所為は、業務上過失致死罪に該当するので、厳重な処罰をされたく告訴に及ぶ。」と、結びを入れます。

次に、「立証方法」というタイトルを入れ、陳述書(山田太郎作成)」というふうに証拠として添付するものを番号をつけて挙げます。

最後に、日付を入れ、「○○警察署御中」とあて先を書いて終わりです。

もちろん親族の告訴がなくとも、重大な事件であれば警察は自主的に動きます。

しかも訴訟に何年も参加することは、とても体力・気力を奪われるものです。

それに指導者は事故を起こしたくて起こしているわけではないでしょう。

しかしおよそスポーツの範疇といえないむごい傷を負って死んだ少年は戻ってきません。

誰かが代わりに叫ばなければ、額を割られて死んでいった彼の無念は彼といっしょに焼かれるだけです。

刑事訴訟法231条2項という条文は、命を奪われた人とその家族の選択肢として国が用意したものです。

 

 

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2006/08/18

なにもかも白濁させたままにしておこう

「ちゃんと質問しなさい」 オシムの記者教育(J-castニュース)
「「マスコミの人がちゃんと質問しないなら、私のほうから今日の試合について話します」サッカー日本代表はアジア杯予選のイエメン代表戦に臨み、2対0で勝利した。オシム監督は、試合後の記者会見でこう切り出し報道陣を驚かせた。なぜオシム監督はマスコミに対して、このような態度を取るのか。この日の記者会見で「2戦目で進歩はあったか」との質問に、オシム監督は次のように切り返した。「私ですか?選手ですか?」マスコミの質問のあいまいさを鋭く突いた発言だ。」

憲法の21条をご覧ください。

第21条

「集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は,これを保障する。

 検閲は,これをしてはならない。通信の秘密は,これを侵してはならない。」 

車を運転するためには、フロントウインドウから信号の変化や標識、横断歩道などがはっきり見えなければなりません。

ガソリンは十分な量が入っているのか、メーターでわからなければなりませんし、高速道路を走るならETCカードが挿入されているのか、さらにタイヤの振動がシートによく伝わることで空気圧が足りているかを感じることができなければ、不測の事態を呼びかねません。

戦争に負けるまで、私やあなたの車は、大本営発表という名のもと国家という内燃機関が自由にそのフロントウインドウの景色を書き換えていました。

そのため国家という乗り物自身の行きたい方向にドライバーであるはずのわたしたちは連れ去られ、もろとも焼かれることになったのです。

問題は、国家という内燃機関もドライバーという国民も同じ人間という生物が演じているというところにあります。

そうであれば自動車のように、ただ機関を交換しても事故防止にはつながりません。

人が必ず失敗する生き物である以上、国民というドライバーの安全のためには車の全ての状況、進もうとしている方向を把握できる権利があるのだと、機関に向かって圧倒的に宣言しておく必要があるのです。

それが、わたしたちの「知る権利」です。

それは状況の多元的報告とドライバー自身に対する選択肢を存在させることにより、真のダイレクションを把握させる操縦システムであるといえます。

そしてその知る権利は、大部分を”報道機関”というモニターによって実現されることになっています。

もし自動車の内燃機関が(人の業として)また勝手に暴走をし始めるなら、ドライバーにその意図を伝達させないよう、まずこの報道というラインをコントロールしようとするはずです。

逆に言えば車を永劫ドライバーの支配下に置くためには、エンジンのチューンナップの前になによりもまず情報伝達ラインを確実にしておくことが先決になるのです。

「憲法」という国家への圧倒的命令が、一切の表現の自由を保障しているのはこのためです。

ただし国民というドライバーズシートに座るのは、国際A級ライセンスをもった人ばかりではありません。

それぞれの年代や育った環境、時代背景の相違があり、たとえそれらが全て同一であったとしても、人は誰一人ひとつの風景から同じ風景を見ていない生き物です。

このためあまりに鋭敏な情報伝達は、各人の運転席に無用な混乱を生んでしまう危険があります。

つまり相手がマスになればなるほど、報道機関というものは最初から情報の鋭度を落として伝達することを宿命づけられています。

記者やキャスターの言葉が常に「総論の総論」、誰からも褒められる言葉に装飾されがちであることも、憲法21条の背負うあまりにも重大な役割を考えれば擁護できないこともありません。

ただし私やあなたという生物には「権力を与えられ次第暴走しようとする」という習性のほかに、もともと「その言葉のほとんどを借り物で組み合わせている」というもうひとつの見過ごせない習性が付随しています。

何故ならば、わたしたちはそうでもしないと限られた時間のなかで上手く進化できないからです。

この習性がいったん報道記者やその集団のなかでしつこく根を張ると、今度はメディアそのものの抵抗属性によって国民まで情報がうまく伝達されないリスクが発生しはじめます。

すべて聞いたようなフレーズで会話して一日を終えることほど、人にとって安心で安全らしく見える処世術は他にありません。

しかしオシム監督は自らが体験した戦争の歴史として、借り物の言葉に依拠することの真の危険性を知っています。

自分の言葉で考えること、言葉そのものも疑うこと、それはわたしたちにとって一番キツい仕事だけれど、果実はそこにしかないのではないかと彼の会見は問いかけています。



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2006/07/13

人は怒りの虜になる

ジダン問題FIFAが調査 マテ処分も (スポニチ)
「イスラム教徒による自爆テロが国際問題となる中「信者=テロリスト」と判断する図式はフランスでは差別思想とされている。マルセイユ生まれのジダンだが、両親はイスラム教国アルジェリアからの移民。現在も同国には親族が残り、ジダンも自身のルーツに誇りが強いと言われる。今回は体調が悪く入院中の母親に対する侮辱だったという説もあり、フランス内外で波紋を呼んでいる。今季から人種差別には勝ち点はく奪を含めた厳罰姿勢を示し、W杯でも差別反対の啓発活動に力を入れてきたFIFA。理事の日本協会・小倉副会長は「証拠が出て事実が確認されれば出場停止や罰金になるかも」と語っている。FIFA規約では宗教や出自を含む差別的な言動で中傷すれば最低5試合の出場停止処分を科される。」

FIFA懲罰規定 (FDC) の第55条第1項をご覧ください。

FIFA Disciplinary Code

Section 3. Offensive and racist behaviour

Article 55 Racism

「1. Anyone who publicly disparages, discriminates against or denigrates someone in a defamatory manner on account of race, colour, language, religion or ethnic origin will be subject to match suspension for at least five matches at every level. 」

(私訳)

セクション3. 人種差別的振る舞い

第55条 差別

「1.人種、肌の色、言葉、宗教あるいは種族的出身のために中傷的なやり方で公に誰かを誹謗するか、差別するか、侮辱した人は誰でも、最低でも5試合の出場停止とする(以下略)」 

サッカーワールドカップという新しい悦楽を知ってしまったわたしたちは、代表チームを応援するたび、ニッポン、ニッポンと普段意識しない国名を連呼し、ピッチに向けてひと時のナショナリズムに酔うことを許されます。

それは試合観戦をより熱いものにし、むしろFIFA自身歓迎するところでもあるでしょう。

しかし世界中からいろいろな肌の色や宗教をもった人たちが自国の選手を応援するために大挙集結するワールドカップという構造は、どこかで気を緩めれば人種間対立の様相をも漂わせるのりしろをもっています。

それゆえ右傾化した思想を背景にもつといわれる、いわゆるフーリガンズのアピールの舞台としても古くから利用されています。

そしていったん人種偏向思想の喧宣の場としてワールドカップのスタジアムが飲み込まれてしまえば、”代理戦争”というサッカーの代名詞から”代理”という題目は不要となるでしょう。

FIFAがその懲罰規定の第55条のように、人種差別行動をした者に対して5試合もの出場停止という強力な罰則を用意して憂慮しているのも、その点であろうと思われます(私見)。

確かに他のスポーツに比べ、サッカーの国際試合は相手国のゴールネットを突き揺るがすという強烈な象徴性が存在します。

しかし問題はサッカーという固有のスポーツのルールの内側にはありません。

問題は”怒り”という感情が人間を盲目にするという仕事のほうにあります。

たとえばわたしたちがいつの日か国家規模の経済問題に苦しみ、同時に近い将来不可避である移民問題に直面したとしましょう。

このとき、「この憤懣の元は移民のせいなのだ」と、わたしたちの外側にその原因を求めるのなら、怒りはいつまでも事の本質をわたしたちに捕らえさせないはずです。

むしろ無力感にかられたわたしたちは、己の人生と添い寝するため怒りによる盲目を時に都合よく利用さえするかもしれません。

怒りという感情には人を虜にして離さない蜜の味がひそんでいます。

それはたとえあの名選手ジダンであろうとも、強豪フランスの手からワールドカップを滑り落とさせてしまうまで夢中にさせてしまうほど、狂おしい味です。




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2006/05/16

部分社会:管理されない宝島

最後にサプライズ 久保が落選(スポニチ)
「この日、久保は体をケアするため山形にいた。落選の一報は移動中の新幹線の中。佳奈子夫人(29)からの電話で知った。一昨年10月から椎間板(ついかんばん)ヘルニアの治療に専念し、全国を回って治療を重ねる努力を見てきた夫人は「居ても立ってもいられなくて…」と長女と二女と一緒に迎えに来た。大好きな父親が落選したことを知った長女は「ジーコ嫌い」とショックを受けていたという。」

憲法の76条1項をご覧ください。

第76条〔司法権〕

「1 すべて司法権は,最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。(以下略)」

ルマンの松井大輔など、個人的には他にも入れて欲しかった人材が漏れてはいますが、たとえば司法にその不服を訴えることはできるでしょうか。

司法権とは、紛争に法律を適用して結論を断言、強制できる国家の権力のことです(私的定義)。

そのような権力があちこちの機関に分際していたのでは、いつのまにか”ケンカの強い軍事裁判所の結論のほうが、一般裁判所の結論より優先する”という世の中になりかねません。

そうすると”なんのことはない、司法権とは結局時代の支配者の機嫌とゲンコツの大きさのことか”と思われ出しかねません。

そこで憲法76条の1項は司法権を最高裁、高裁、地裁、簡裁など一系統内から外に漏れ出さないように密封し、司法権の真実を形作るようにしています。(極私見)

ただしこの司法権、なんでもかんでも自由に裁きうる権力では決してありません。

形式的には裁判所が判断を下せる問題だとしても、司法権による裁定をもたらさないほうが紛争中の関係各位にとっても裁判所にとっても幸福である問題というものが世の中には存在します。

たとえば大学の単位認定に関する紛争や、宗教上の教義の解釈に関する紛争などです。

それらと司法権が対峙するとき、司法権の限界の問題と呼ばれて結論の出口が考査されることになります。

判例はこのとき、一般市民法秩序と直接関連しない純然たる内部紛争は、すべて司法審査の対象にはならないのだと線を引きますが、この考え方が一般に「部分社会の法理」と呼ばれています。

ただしこの理論、用い方一つで人権歪曲を局所的に放任するツールとなり得ますので、学説上はその一般運用に抵抗して、「そこに限界があるかどうかは事案ごとの個別判断が必要である」のだと唱えています。

もしエースストライカー、久保竜彦選手や、最後までジーコ監督と上手くいかなかったディフェンダーの松田直樹選手がW杯日本代表メンバーから漏れてしまった選考の不当を、誰かが法律的に訴えようとしても、裁判所はあえて日本サッカー協会の裁定には踏み込まないように、「部分社会の法理」を持ち出す可能性が大きいと考えられます。

スポーツという、せっかく権力から純粋に自立した社会(というファンタジー)には、裁判所の役割などあえて最初から割り振られていないからです。

さらにはそのような場所に強引に司法権を出動させれば、せっかく密封した司法権の濃度を薄くすることにもなりかねません。

日本代表を選抜するという役目を引き受けた監督は、その時点であらゆる贔屓からの罵声を浴びることを覚悟していますが、国際試合での勝利の味を都合良く味わいたいだけのファンの方は、往々にして負けたときに監督の人選を罵りがちです。

しかしろくに走ることも出来ない私にも、もしドイツW杯に自立的に参加できる方法があるとすれば、「ジーコジャパンはきっと勝つ」という言葉を粘り強く最後まで送り続けるという態度を選択することこそ、それであるはずなのです。


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2006/03/21

野球の権力国とすり抜けたタイトル

Team of Rising Sun leaves Classic as No. 1 (WBC)
「Its back to the wall in Round 2, Japan rallied to advance, and now it can claim the title of World Baseball Classic champion. 」

(私訳)
日出ずる国のチームがNo1の先史を残した
「ラウンド2で生還したジャパンチームは、今ワールドベースボールクラッシックチャンピオンのタイトルを手にした。」

ワールドベースボールクラッシック規則の第一文をご覧下さい。

World Baseball Classic announces rules and rule modifications

「The World Baseball Classic, Inc. (WBCI) announced today the rules for play for the inaugural World Baseball Classic. The tournament, which will be played under the Official Rules of Major League Baseball and will include the use of a designated hitter, will feature the following rules: 」

(私訳)

ワールドベースボールクラッシック規則及び修正規則

「WBCIは以下の通り規則および支配修正を発表する。メジャーリーグの公式ルール下で行われる、本WBCトーナメントは以下の規則を特色とする。(以下略)」 

国際大会は、ルール、運営に一国の恣意性が出るようでは発展性は望めません。

やはり本来サッカーでいうFIFAのように、国際野球連盟(IBAF)が運営することが形式上もっとも公平です。

しかし肝心のメジャーリーグ協会がIBAFに加盟していない現状では、その主催は世界 No1の称号の実質性が疑わしくなります。

そこで野球の世界大会は、どうしてもアメリカによる組織が主催することになります。

事実ワールドベースボールクラッシック第一回は、WBCIという組織によって運営されましたが、そのWBCIはほかならぬメジャーリーグ機構とメジャーリーグ選手会で作った組織のようです。

本大会規約も文言通りWBCIが作成しており、多くのルールがメジャーリーグから引用されました。

次に日程もアメリカだけが休養をとれるように組まれ、また審判団もほぼアメリカ人による構成で、他国からの審判は各一名づつにとどまりました。

またアメリカが自ら組んだトーナメントB組には、他に南アフリカ、メキシコ、カナダだけが存在しました。

その上これを勝ち進んでいたとして、勝ち上がってくるA組の組み合わせとは中国、台湾、日本、韓国。

そして準決勝は、このA組対B組で行われたため、ドミニカやキューバ、プエルトリコやベネズエラなど強豪国らが押し込まれたC組、D組からの勝者とは、アメリカは準決勝はおろか、決勝になるまで当たらないしくみになっていました。

しかし過去の戦歴を別として、韓国を下した日のコンディションの王ジャパン、そしてキューバを堂々ダブルスコアで一度も逆転されることなく下した今日のコンディションの王ジャパンは、文字通り世界一の実力を明らかにしました。

アメリカはそういう日本、そしてアメリカを負かしたメキシコ、あるいは真の強豪韓国を安く読み、自らと同じラウンドに組み入れたという自らの策に足を絡め取られてしまったのだと、今となってはいえるのです。

この問題の解消が図られるまで、WBCのルールは真の意味での国際ルールとは呼べないことを承知の上で、野球を愛する人達が世界中から第二回WBCに挑むことになります。

全ては野球を愛するがためです。

困難な状況のなか、ついに優勝まで勝ち進んだ王ジャパンがチャンピオンというタイトルを奪取したことは、決して解消されないジレンマをはさんだ参加国と主催国のどちらに向けても、強烈なインパクトを残したはずです。

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2006/02/24

荒川静香さんの金メダルと、透明な器

荒川静香選手が金メダル(NHK)
「トリノオリンピック、フィギュアスケートの女子シングルで、荒川静香選手が金メダルを獲得しました。今大会、日本初のメダルで、フィギュアスケートでは日本選手として初の金メダルです。また、冬のオリンピックの日本女子の金メダリストは、1998年の長野大会のフリースタイルスキー女子モーグルの里谷多英選手以来2人目です。また、この種目では、1992年のアルベールビル大会の伊藤みどり選手の銀メダル以来14年ぶりのメダル獲得です。」

国際スケート連盟の2004シングル・ペアスケーティングレギュレーション、第322条をご覧下さい。

ISU SPECIAL REGULATIONS SINGLE & PAIR SKATING 2004

Rule 322

Marking of single and pair short and free programs

1. Technical Score

a) Scale of Values

Below in f) is a Scale of Values Table of the elements of Single and Pair Skating which if necessary can be updated in ISU Communications. This Scale of Value contains Base Values of all the elements and adjustments for the quality of their execution.

私訳

「表Fに全要素の基礎点および調整点の要素採点表を明示する。ISUはこれを逐次改訂できる(以下略)」
 

2002年に行われたソルトレークオリンピックでは、フィギュアスケートに関し疑惑の採点が続出し、ついには日本人を含めて選手団が抗議文を提出する事態にまで至りました。

これをうけてフィギュアの採点方法は大幅に変更され、これまでの審判個人個人の採点の集積だった方法を否定。

技の要素を審議する審判団と技術の高さを審議する審判団がグループとしての採点を一選手ごとにまとめて行う方法が採用されることになりました。

採点競技にはどのような法を持ち込もうとも、潜在的にジャッジの主観がメダルの行方を左右してしまう要素を最終的に払拭しきれませんが、新採点法では採点表に基づいたジャッジの平均点を採用するため、少なくとも選手は合計点だけで自らの順位を追えることになりました。

ソルトレークの選手団の抗議文はより透明に近いルールを呼び出したのです。

女王の名にふさわしい堂々とした演技は、公正な新しい採点法の見つめる中でアジア人として初めての金メダルをもたらしました。

値千金のこの金メダルは荒川静香さんの才能と努力を証明すると同時に、採点競技は公正な容器(レギュレーション)が用意されてはじめて才能を公正に評価するのだという一面をも証明したかもしれません。

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2005/12/28

文言が守るスケートリンクの公正

初めに美姫ありき…代表は選考前から決まっていた 渡部絵美さん選考前から“3人”予言 (ZAKZAK)
「渡部さんは、選考前、夕刊フジに「今の実力からすれば、選ばれるべきなのは浅田(真央)、中野(友加里)と、村主か荒川のどちらか。でも、代表は安藤と村主、荒川になるので見ていなさい」と断言していた。なぜか。「日本スケート連盟(JSF)の現状というべきですか。やはり、スポンサーの問題が大きいと思います」代表3選手は、JSFが「親会社」とする日本オリンピック委員会(JOC)が、スポンサーから資金を集めるための「シンボルアスリート」に選ばれている。個人にも大手企業のスポンサーも付いており、「連盟は彼女たちを落とせない」と読んでいたからだ。」

国際スケート連盟の総合規約、108条の2のa)をご覧下さい。

International  Skating Union General Regulations

Rule 108
2. Age limits for Figure Skating / Ice Dancing
a) In ISU Senior Championships and the Olympic Winter Games only skaters may compete who have reached at least the age of fifteen (15) before July 1st preceding these Events;

(私訳)

「シニアチャンピオンシップや五輪に限っては、前年の7月1日前日までに15歳以上でなければ出場できません」 

どのような事情があったのか、第六位だった安藤選手は見事代表に選ばれました。

とはいっても、浅田選手が五輪に出られないのは連盟の規約として現に世界中のプレーヤーに向けて公示されていたわけですので、日本スケート連盟の台所事情とは直接の関係はありません。

天才的な彼女の滑りを観た誰しもがその規約と彼女の誕生日の微妙な差ゆえに「そこをなんとかならないのか」といいたくなる気持ちもわかりますが、それが通るならなんのために規約があるのかよくわからなくなります。

選手達は規約を研究し、ギリギリのところで戦って勝利を得ようと4年間を費やすわけで、天才プレイヤーの出現毎にイチイチ文言解釈がころころ変わってしまうなら、他のプレイヤーとしてもやっていられないでしょう。

どのような特殊例があらわれようと、文言の形式性が保たれることは規約の存在意義を再強化するはずです。

なぜならどのような理由で作られたルールであるにせよ、その文言が誰にも公平に予測可能性を提供することこそ、あらゆるルールの核心的な価値であるはずからです。

浅田選手につぎのチャンスが回ってくるのは彼女が19才の時だといいますが、結局その時こそ、ルールを基準に勝敗を決めることを選択した連盟や観客として、彼女に挑戦権を渡すべき真っ当なタイミングなのだと思います。

浅田選手が五輪とスケートの女神に愛されているならば、そのタイミングでこそきっと今よりも魅力的な演技を見せてくれるに違い有りません。



法理メール? 

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