2008/01/28

ルール・イスラミア:人ほどの存在よ

ハンド再予選開催でアジア連盟「東京五輪不支持」(iza)
「国際ハンドボール連盟(IHF)は「中東の笛」と呼ばれる疑惑判定を糾弾した日本と韓国の訴えを聞き入れ、予選のやり直しを決定した。しかし、傘下であるはずのAHFは手続きの不当性を盾に取り、対決姿勢を鮮明にする。アハマド会長はIHF寄りの日本を「違法な大会を支持する国を、今後どうして信用できるだろう」と攻撃した。」

国際ハンドボール連盟の試合ルール、8.6をご覧下さい。

International Handball Federation Rules of the Game

Rule 8 Fouls and Unsportsmanlike Conduct

「It is permitted to: 8:6 Seriously unsportsmanlike conduct by a player or team official,on or outside the court (for examples, see Clarification No. 6),shall be punished with disqualification (16:6d).」

(私訳 ルール8:ファウルおよびスポーツマンらしくない行為

8:6、選手またはチームの審判によるひどくスポーツマンらしくない行為は、コート内あるいは外で失格にできる) 

法というものを端的にいえば、それは強制をともなったルールなのだといいかえられます。

もし法律からその強制力を剥がしてしまい、いったんただのルールに戻せば、それはわたしたちひとりひとりが幸福を追求する権利と、わたしたちが所属するそれぞれの集団の運営との折衷案でしかありません。

個々人の帰属する集団にルールが存在することが、遠回りにわたしたちが幸福をできるだけ追求できるよう機能しているのです。

しかし誰もが必ずしも折衷案に納得するわけではありません。

そういうときのため、ルールに強制力を装備したもの、それが法律と呼ばれているわけです。

ところでそもそもわたしやあなたはなぜ、国家が強制力をもってひとつの約束事を強制してくる事態をすんなりと受け人れているのでしょうか。

それは法律とよばれるものが、現時点で考え得るもっとも公平な正義であることを、わたしやあなたが納得しているはずからだと考えられています。

このわたしたちの感覚のことをルソーは、一般意志と呼びました。

ただもう少しよく考えると、なぜ人の一般意志が正義なる社会折衷案の正解に限りなく近くたどり着けるのかは不思議な気がします。

人間の歴史とは、一方で過ちとその修正の歴史だったともいえるからです。

この点、自然法思想と呼ばれる考え方は、人には理性があるからこそ、正義という正解にたどり着けると考えます。

かつてトマス・アクィナスは、著書『神学大全』のなかで、世の中の法律を「神の法」、「自然法」、「実定法」の三つに分類しました。

まず神の決めた絶対的な法があり、そのうちで理性のある人間だけに見える一部の法があり、これを自然法と呼びます。

そしてそれをもとに人間ほどのものが具体的に作り上げたルール、それが実定法だという分類です。

実はイスラム教徒には古くから教徒のための神が作った生活基盤を規定する法律、「コーラン」が存在していました。

キリスト教徒は彼らイスラム教徒の揺るがざる論理的基盤に対抗するため、コーランという「出版されている神の言葉」に対抗して出版されざる神の言葉、「神の法」という概念を編み出したといいます。

そして「人を殺してはいけない」「物を盗んではいけない」など全世界共通のルールは、神の法のうちから人の理性の目に見えた自然法だとしたのです。

それを具体的法律に直したものが実定法です。

キリスト教徒の務めは、「神の法」に従うこと。

そのためには、「自然法」に従うこと。

さらには「自然法」に従う限りで「実定法」に従うということです。

やがて啓蒙思想の時代、国家が教会の支配を脱して神の法はなくなりました。

その結果、「自然法」が繰り上げ第一位となったわけです。

やがて自然法という思想ツールは、一国の王の首まで切り落とすフランス革命を発動させるまで機能しました。

そしてそれらはすべて、キリスト教徒がコーランに対抗するため建築したアイデアだったというのです。(以上参照:橋爪大三郎 人間にとって法とは何か (PHP新書)

クウェートの王族が事実上支配するといわれるハンドボールのアジア連盟。

王の言葉は神の言葉だとルールを運用する審判への絶対服従を要求するのか、「王といえども」の自然法思想により不合理なルール運用には国際ハンドボールルール8.6を適用してこれに対抗できるとするのか。

スポーツのルールへの解釈ひとつとっても、それぞれがそれまで従ってきた神の衣が見え隠れしているのだと、気の利いた心理学者ならいうかもしれません。

 

 

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2007/09/02

公平のためのルールで従順な選手を殺そう

お粗末運営、競歩で誘導ミス/世界陸上(ニッカンスポーツ)

「世界に醜態をさらすミスだ。周回を数える係員と、道路を挟み反対側にいる記録係の連絡ミスにより、山崎の周回は47・5キロ地点で1周多く、カウントされていた。「(山崎は)終わりや」という指示に係員は、そのまま競技場へ誘導。直後、救護担当役員が間違いを伝え呼び戻すべく山崎を追いかけたが、その権限がなく、ためらううちに山崎は行ってしまったという。」

陸上競技ルールブック2007から、第230条の12項をごらんください。

「第230条 競歩競技

「⑫ 審判長が審判員,監察員またはそれ以外の報告により,競技者がコースをはずれ距離を短くしたと判定した場合,競技者は失格となる。」 

競歩とは、本規則230条1項によれば、「いずれかの足が、常に地面から離れない(ロス・オブ・コンタクトにならない)ようにして歩く」状態を保って速度を競い合う競技ということになります。

さらに「前脚は、接地の瞬間から垂直の位置になるまで、まっすぐに伸びていなければならない(ベント・ニーにならない)」とまで厳格にそのフォームを定めています。

このため単純に速度を競い合う他のランニング競技に比べ、競歩が道路上で行われる場合、「主任を含め6人から9人の競歩審判員」が配置されてそのフォームを審査しています。(2項4号)

そして競歩の定義に反するおそれがあるときは、競技者は黄色のパドルで注意を受け(3項)、もし「ロス・オブ・コンタクト」あるいは「ベント・ニー」があれば審判員は赤カードを競歩審判員主任に出さなければなりません。(5項)

もし競技者が3人以上の審判員から赤カードを出されたら失格となります。(6項1号)

さらに競歩審判員主任が、歩型違反を認定すれば、彼は競技者を単独で失格にする権限を持っています。(3項1号)

これほどまでにフォームに厳しい競技である競歩であれば、審判員を勤める方々の質の高さこそが、競技当日に選手達がそれまで賭けてきた選手人生を裏打ちしてくれるのだといえるでしょう。

あの大舞台で周回を数え間違えた審判員の方に、気のゆるみなど勿論なかったはずです。

もし欠けていたものがあったとすれば、どれだけ一生懸命おつとめだったとしても、やはり冷静に”大舞台での審判としての能力”だといわざるをえません。

老人たちが徹底的に責任を取る姿勢を見せなければ、今後誤誘導があった場合にはどう対処すればよいのかというリスクを、競技者達の頭の片隅から離すことはできません。

 

 

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2007/08/22

文部科学省:相撲協会のタニマチ

朝青龍に条件付きで帰国容認へ(ニッカンスポーツ)
「モンゴルの日本大使館前で抗議集会が開かれ、監督官庁の文部科学省が事情説明を求めるなど、事は協会内の問題にはとどまらない。番付発表を1週間後に控えた秋場所に水を差しかねず、何より協会の自浄能力が問われるなど事態をこれ以上、師弟間の問題だけに放任できない状況に追い込まれたのも、帰国容認の背景にはあるようだ。」

法人税法の4条1項をごらんください。

第4条

「1 内国法人は、この法律により、法人税を納める義務がある。ただし、内国法人である公益法人等又は人格のない社団等については、収益事業を営む場合又は第84条第1項(退職年金等積立金の額の計算)に規定する退職年金業務等を行う場合に限る。」 

(以下参照:スポーツの法律相談 青林書院)

力士はそもそも、財団法人日本相撲協会の協会員です。

それは株式会杜で言えば会社と従業員のような立場になります。   

したがって力士は、所属する部屋との間ではなく、相撲協会と選手契約を締結していることとなります。

しかし力士は、プロ野球選手やJリーガー、ボクサーのような統一契約書により選手契約を交わしてはいません。

入門審査に合格し、力士として協会員となったことにより、相撲協会との選手契約が成立しているのです。

ではその契約内容はどこに書いてあるのかというと、相撲協会寄付行為細則に報酬などが定められています。

(たとえば横綱の月給は、その77条で、273万7千円と定められています。)

力士は、部屋との間に契約関係がなく、相撲協会との間に選手契約を結んでいるので、もし部屋を移転しても契約相手の変更という意味での移籍という問題が生じません。

親方が軽んじられるのだとすれば、法的にはそうした下地が影響しているのかもしれません。

なぜ相撲協会がそうした特殊な契約形態を採用しているのかといえば、相撲協会が民法34条の規定する公益法人であるからです。

公益法人とはその名の通り営利を目的としない法人だとされます。

しかし世の中になんでも二重基準があるように、”付随的に”営利行為を行うことは公益法人であっても自由だとされます。

しかも公益法人は、法人税法上、収益事業以外が非課税になる、いわば特別優遇団体です。

そしてそれを根拠づけているのが、法人税法の4条1項です。

(そもそも収益事業の税率自体が、法人税法66条3項により一般の法人より優遇設定されています。)

このような特別優遇が約束される団体の設立には、主務官庁による許可が要求されます。

(そうでなければ一般の法人の間に納税の不公平感をもたらします。)

そして日本相撲協会におけるその主務官庁こそが、文部科学省ということになります。

つまりはもし、相撲協会内部に自身で拭えない構造上の問題を抱えているのだとしたら、彼らを公益法人として認可しつづけなければならない文科省のメンツこそが丸つぶれになる形なのです。

 

 

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2007/07/01

特別な稽古で少年は死んだ

親方誠意なし…17歳力士急死、耳は裂け根性焼き痕 (zakzak)
「「顔面は赤く腫れ、身体中にはアザとすり傷。耳は裂けていた。さらに太腿にはたばこを押しつけたやけどの痕が3カ所あった」。斉藤さんの叔父(44)はこう語った。新潟県の自宅に戻った遺体の惨状は正視に耐えられないものだった。「今は何も考えられない。頭がパニックになっている…」と憔悴(しょうすい)しきった声で話した父親(50)は血圧が200まで上昇し、寝込んでしまった。「お兄ちゃん子だった小学3年の妹は、遺体のあまりの惨状を目の当たりにし、全身を痙攣させ、半狂乱で『お兄ちゃーん』と叫んだ」(叔父同)。遺族は弔問に訪れた友人らにも、「とても見せられない」と、遺体と対面を断った。」

刑事訴訟法の231条2項をごらんください。

第231条

「2 被害者が死亡したときは、その配偶者、直系の親族又は兄弟姉妹は、告訴をすることができる。但し、被害者の明示した意思に反することはできない。 」 

(以下引用:スポーツの法律相談 青林書院

スポーツの現場で、責任者の過失により事故が発生したと考えられる場合、警察に対して捜査開始の請求するなら刑事告訴が利用されます。

告訴に決まった受付時間や曜日はなく、普通、警察署の刑事課で告訴が受付けられます。

刑事課にもいろいろな係がありますが、告訴の受付けをするのは知能犯係と強行犯係であり、傷害・死亡などの身体を殺傷する犯罪についての告訴は強行犯係で受け付けます。

つまりもし若い力士が部屋のしごきで死亡したのだとしたら、刑事告訴は警察署の刑事課強行犯係に対して行うことになります。

告訴は口頭でもできることになっていますが、実際には書面で提出した方が公務への訴求力があります。

また告訴状には犯罪事実の疎明資料を添付して刑事課宛に送るとよく、そのあと刑事課長に連絡をつけて面会に行き、詳しい事情を説明すると段取りがよいでしょう。

もし資料が不足していると、検察官の段階で嫌疑不充分として不起訴処分となってしまう可能性があるため、告訴時になるべく多くの資料を集めるのが大切です。

刑事被告人という立場を負わせるのは社会的に相当な重荷になるため、警察も検察も慎重になるからです。

実は告訴状の形式には特に定まったものがあるわけではなく、どのようなものでもかまいません。

しかし弁護士は通常、B4 の紙を袋とじにして、縦書で告訴状を作成します。

冒頭には「告訴状」というタイトルをつけて、その後に告訴人の住所、氏名、押印、続けて被告訴人(たとえば部屋の親方)の住所、氏名を記載します。

そして、その次に「告訴の趣旨」とタイトルを入れ、何罪で告訴するのかを簡潔に記載します。

たとえば「被告訴人の以下の所為は、業務上過失致死罪に該当すると考えられるので、至急捜査を遂げ、厳重な処罰をされたい。」となります。

次に、「告訴事実」というタイトルを入れ、事件に至った詳しい事情を書きます。

もし業務上過失致死罪なら、それが成立するための要素、つまり指導者の過失ある行為、被害者の死亡、両者の因果関係、について証拠を引用しながら説得的に書く必要があります。

そして、告訴事実の最後に、「被告人の以上の所為は、業務上過失致死罪に該当するので、厳重な処罰をされたく告訴に及ぶ。」と、結びを入れます。

次に、「立証方法」というタイトルを入れ、陳述書(山田太郎作成)」というふうに証拠として添付するものを番号をつけて挙げます。

最後に、日付を入れ、「○○警察署御中」とあて先を書いて終わりです。

もちろん親族の告訴がなくとも、重大な事件であれば警察は自主的に動きます。

しかも訴訟に何年も参加することは、とても体力・気力を奪われるものです。

それに指導者は事故を起こしたくて起こしているわけではないでしょう。

しかしおよそスポーツの範疇といえないむごい傷を負って死んだ少年は戻ってきません。

誰かが代わりに叫ばなければ、額を割られて死んでいった彼の無念は彼といっしょに焼かれるだけです。

刑事訴訟法231条2項という条文は、命を奪われた人とその家族の選択肢として国が用意したものです。

 

 

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2006/08/18

なにもかも白濁させたままにしておこう

「ちゃんと質問しなさい」 オシムの記者教育(J-castニュース)
「「マスコミの人がちゃんと質問しないなら、私のほうから今日の試合について話します」サッカー日本代表はアジア杯予選のイエメン代表戦に臨み、2対0で勝利した。オシム監督は、試合後の記者会見でこう切り出し報道陣を驚かせた。なぜオシム監督はマスコミに対して、このような態度を取るのか。この日の記者会見で「2戦目で進歩はあったか」との質問に、オシム監督は次のように切り返した。「私ですか?選手ですか?」マスコミの質問のあいまいさを鋭く突いた発言だ。」

憲法の21条をご覧ください。

第21条

「集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は,これを保障する。

 検閲は,これをしてはならない。通信の秘密は,これを侵してはならない。」 

車を運転するためには、フロントウインドウから信号の変化や標識、横断歩道などがはっきり見えなければなりません。

ガソリンは十分な量が入っているのか、メーターでわからなければなりませんし、高速道路を走るならETCカードが挿入されているのか、さらにタイヤの振動がシートによく伝わることで空気圧が足りているかを感じることができなければ、不測の事態を呼びかねません。

戦争に負けるまで、私やあなたの車は、大本営発表という名のもと国家という内燃機関が自由にそのフロントウインドウの景色を書き換えていました。

そのため国家という乗り物自身の行きたい方向にドライバーであるはずのわたしたちは連れ去られ、もろとも焼かれることになったのです。

問題は、国家という内燃機関もドライバーという国民も同じ人間という生物が演じているというところにあります。

そうであれば自動車のように、ただ機関を交換しても事故防止にはつながりません。

人が必ず失敗する生き物である以上、国民というドライバーの安全のためには車の全ての状況、進もうとしている方向を把握できる権利があるのだと、機関に向かって圧倒的に宣言しておく必要があるのです。

それが、わたしたちの「知る権利」です。

それは状況の多元的報告とドライバー自身に対する選択肢を存在させることにより、真のダイレクションを把握させる操縦システムであるといえます。

そしてその知る権利は、大部分を”報道機関”というモニターによって実現されることになっています。

もし自動車の内燃機関が(人の業として)また勝手に暴走をし始めるなら、ドライバーにその意図を伝達させないよう、まずこの報道というラインをコントロールしようとするはずです。

逆に言えば車を永劫ドライバーの支配下に置くためには、エンジンのチューンナップの前になによりもまず情報伝達ラインを確実にしておくことが先決になるのです。

「憲法」という国家への圧倒的命令が、一切の表現の自由を保障しているのはこのためです。

ただし国民というドライバーズシートに座るのは、国際A級ライセンスをもった人ばかりではありません。

それぞれの年代や育った環境、時代背景の相違があり、たとえそれらが全て同一であったとしても、人は誰一人ひとつの風景から同じ風景を見ていない生き物です。

このためあまりに鋭敏な情報伝達は、各人の運転席に無用な混乱を生んでしまう危険があります。

つまり相手がマスになればなるほど、報道機関というものは最初から情報の鋭度を落として伝達することを宿命づけられています。

記者やキャスターの言葉が常に「総論の総論」、誰からも褒められる言葉に装飾されがちであることも、憲法21条の背負うあまりにも重大な役割を考えれば擁護できないこともありません。

ただし私やあなたという生物には「権力を与えられ次第暴走しようとする」という習性のほかに、もともと「その言葉のほとんどを借り物で組み合わせている」というもうひとつの見過ごせない習性が付随しています。

何故ならば、わたしたちはそうでもしないと限られた時間のなかで上手く進化できないからです。

この習性がいったん報道記者やその集団のなかでしつこく根を張ると、今度はメディアそのものの抵抗属性によって国民まで情報がうまく伝達されないリスクが発生しはじめます。

すべて聞いたようなフレーズで会話して一日を終えることほど、人にとって安心で安全らしく見える処世術は他にありません。

しかしオシム監督は自らが体験した戦争の歴史として、借り物の言葉に依拠することの真の危険性を知っています。

自分の言葉で考えること、言葉そのものも疑うこと、それはわたしたちにとって一番キツい仕事だけれど、果実はそこにしかないのではないかと彼の会見は問いかけています。



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2006/07/13

人は怒りの虜になる

ジダン問題FIFAが調査 マテ処分も (スポニチ)
「イスラム教徒による自爆テロが国際問題となる中「信者=テロリスト」と判断する図式はフランスでは差別思想とされている。マルセイユ生まれのジダンだが、両親はイスラム教国アルジェリアからの移民。現在も同国には親族が残り、ジダンも自身のルーツに誇りが強いと言われる。今回は体調が悪く入院中の母親に対する侮辱だったという説もあり、フランス内外で波紋を呼んでいる。今季から人種差別には勝ち点はく奪を含めた厳罰姿勢を示し、W杯でも差別反対の啓発活動に力を入れてきたFIFA。理事の日本協会・小倉副会長は「証拠が出て事実が確認されれば出場停止や罰金になるかも」と語っている。FIFA規約では宗教や出自を含む差別的な言動で中傷すれば最低5試合の出場停止処分を科される。」

FIFA懲罰規定 (FDC) の第55条第1項をご覧ください。

FIFA Disciplinary Code

Section 3. Offensive and racist behaviour

Article 55 Racism

「1. Anyone who publicly disparages, discriminates against or denigrates someone in a defamatory manner on account of race, colour, language, religion or ethnic origin will be subject to match suspension for at least five matches at every level. 」

(私訳)

セクション3. 人種差別的振る舞い

第55条 差別

「1.人種、肌の色、言葉、宗教あるいは種族的出身のために中傷的なやり方で公に誰かを誹謗するか、差別するか、侮辱した人は誰でも、最低でも5試合の出場停止とする(以下略)」 

サッカーワールドカップという新しい悦楽を知ってしまったわたしたちは、代表チームを応援するたび、ニッポン、ニッポンと普段意識しない国名を連呼し、ピッチに向けてひと時のナショナリズムに酔うことを許されます。

それは試合観戦をより熱いものにし、むしろFIFA自身歓迎するところでもあるでしょう。

しかし世界中からいろいろな肌の色や宗教をもった人たちが自国の選手を応援するために大挙集結するワールドカップという構造は、どこかで気を緩めれば人種間対立の様相をも漂わせるのりしろをもっています。

それゆえ右傾化した思想を背景にもつといわれる、いわゆるフーリガンズのアピールの舞台としても古くから利用されています。

そしていったん人種偏向思想の喧宣の場としてワールドカップのスタジアムが飲み込まれてしまえば、”代理戦争”というサッカーの代名詞から”代理”という題目は不要となるでしょう。

FIFAがその懲罰規定の第55条のように、人種差別行動をした者に対して5試合もの出場停止という強力な罰則を用意して憂慮しているのも、その点であろうと思われます(私見)。

確かに他のスポーツに比べ、サッカーの国際試合は相手国のゴールネットを突き揺るがすという強烈な象徴性が存在します。

しかし問題はサッカーという固有のスポーツのルールの内側にはありません。

問題は”怒り”という感情が人間を盲目にするという仕事のほうにあります。

たとえばわたしたちがいつの日か国家規模の経済問題に苦しみ、同時に近い将来不可避である移民問題に直面したとしましょう。

このとき、「この憤懣の元は移民のせいなのだ」と、わたしたちの外側にその原因を求めるのなら、怒りはいつまでも事の本質をわたしたちに捕らえさせないはずです。

むしろ無力感にかられたわたしたちは、己の人生と添い寝するため怒りによる盲目を時に都合よく利用さえするかもしれません。

怒りという感情には人を虜にして離さない蜜の味がひそんでいます。

それはたとえあの名選手ジダンであろうとも、強豪フランスの手からワールドカップを滑り落とさせてしまうまで夢中にさせてしまうほど、狂おしい味です。




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2006/05/16

部分社会:管理されない宝島

最後にサプライズ 久保が落選(スポニチ)
「この日、久保は体をケアするため山形にいた。落選の一報は移動中の新幹線の中。佳奈子夫人(29)からの電話で知った。一昨年10月から椎間板(ついかんばん)ヘルニアの治療に専念し、全国を回って治療を重ねる努力を見てきた夫人は「居ても立ってもいられなくて…」と長女と二女と一緒に迎えに来た。大好きな父親が落選したことを知った長女は「ジーコ嫌い」とショックを受けていたという。」

憲法の76条1項をご覧ください。

第76条〔司法権〕

「1 すべて司法権は,最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。(以下略)」

ルマンの松井大輔など、個人的には他にも入れて欲しかった人材が漏れてはいますが、たとえば司法にその不服を訴えることはできるでしょうか。

司法権とは、紛争に法律を適用して結論を断言、強制できる国家の権力のことです(私的定義)。

そのような権力があちこちの機関に分際していたのでは、いつのまにか”ケンカの強い軍事裁判所の結論のほうが、一般裁判所の結論より優先する”という世の中になりかねません。

そうすると”なんのことはない、司法権とは結局時代の支配者の機嫌とゲンコツの大きさのことか”と思われ出しかねません。

そこで憲法76条の1項は司法権を最高裁、高裁、地裁、簡裁など一系統内から外に漏れ出さないように密封し、司法権の真実を形作るようにしています。(極私見)

ただしこの司法権、なんでもかんでも自由に裁きうる権力では決してありません。

形式的には裁判所が判断を下せる問題だとしても、司法権による裁定をもたらさないほうが紛争中の関係各位にとっても裁判所にとっても幸福である問題というものが世の中には存在します。

たとえば大学の単位認定に関する紛争や、宗教上の教義の解釈に関する紛争などです。

それらと司法権が対峙するとき、司法権の限界の問題と呼ばれて結論の出口が考査されることになります。

判例はこのとき、一般市民法秩序と直接関連しない純然たる内部紛争は、すべて司法審査の対象にはならないのだと線を引きますが、この考え方が一般に「部分社会の法理」と呼ばれています。

ただしこの理論、用い方一つで人権歪曲を局所的に放任するツールとなり得ますので、学説上はその一般運用に抵抗して、「そこに限界があるかどうかは事案ごとの個別判断が必要である」のだと唱えています。

もしエースストライカー、久保竜彦選手や、最後までジーコ監督と上手くいかなかったディフェンダーの松田直樹選手がW杯日本代表メンバーから漏れてしまった選考の不当を、誰かが法律的に訴えようとしても、裁判所はあえて日本サッカー協会の裁定には踏み込まないように、「部分社会の法理」を持ち出す可能性が大きいと考えられます。

スポーツという、せっかく権力から純粋に自立した社会(というファンタジー)には、裁判所の役割などあえて最初から割り振られていないからです。

さらにはそのような場所に強引に司法権を出動させれば、せっかく密封した司法権の濃度を薄くすることにもなりかねません。

日本代表を選抜するという役目を引き受けた監督は、その時点であらゆる贔屓からの罵声を浴びることを覚悟していますが、国際試合での勝利の味を都合良く味わいたいだけのファンの方は、往々にして負けたときに監督の人選を罵りがちです。

しかしろくに走ることも出来ない私にも、もしドイツW杯に自立的に参加できる方法があるとすれば、「ジーコジャパンはきっと勝つ」という言葉を粘り強く最後まで送り続けるという態度を選択することこそ、それであるはずなのです。


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2006/03/21

野球の権力国とすり抜けたタイトル

Team of Rising Sun leaves Classic as No. 1 (WBC)
「Its back to the wall in Round 2, Japan rallied to advance, and now it can claim the title of World Baseball Classic champion. 」

(私訳)
日出ずる国のチームがNo1の先史を残した
「ラウンド2で生還したジャパンチームは、今ワールドベースボールクラッシックチャンピオンのタイトルを手にした。」

ワールドベースボールクラッシック規則の第一文をご覧下さい。

World Baseball Classic announces rules and rule modifications

「The World Baseball Classic, Inc. (WBCI) announced today the rules for play for the inaugural World Baseball Classic. The tournament, which will be played under the Official Rules of Major League Baseball and will include the use of a designated hitter, will feature the following rules: 」

(私訳)

ワールドベースボールクラッシック規則及び修正規則

「WBCIは以下の通り規則および支配修正を発表する。メジャーリーグの公式ルール下で行われる、本WBCトーナメントは以下の規則を特色とする。(以下略)」 

国際大会は、ルール、運営に一国の恣意性が出るようでは発展性は望めません。

やはり本来サッカーでいうFIFAのように、国際野球連盟(IBAF)が運営することが形式上もっとも公平です。

しかし肝心のメジャーリーグ協会がIBAFに加盟していない現状では、その主催は世界 No1の称号の実質性が疑わしくなります。

そこで野球の世界大会は、どうしてもアメリカによる組織が主催することになります。

事実ワールドベースボールクラッシック第一回は、WBCIという組織によって運営されましたが、そのWBCIはほかならぬメジャーリーグ機構とメジャーリーグ選手会で作った組織のようです。

本大会規約も文言通りWBCIが作成しており、多くのルールがメジャーリーグから引用されました。

次に日程もアメリカだけが休養をとれるように組まれ、また審判団もほぼアメリカ人による構成で、他国からの審判は各一名づつにとどまりました。

またアメリカが自ら組んだトーナメントB組には、他に南アフリカ、メキシコ、カナダだけが存在しました。

その上これを勝ち進んでいたとして、勝ち上がってくるA組の組み合わせとは中国、台湾、日本、韓国。

そして準決勝は、このA組対B組で行われたため、ドミニカやキューバ、プエルトリコやベネズエラなど強豪国らが押し込まれたC組、D組からの勝者とは、アメリカは準決勝はおろか、決勝になるまで当たらないしくみになっていました。

しかし過去の戦歴を別として、韓国を下した日のコンディションの王ジャパン、そしてキューバを堂々ダブルスコアで一度も逆転されることなく下した今日のコンディションの王ジャパンは、文字通り世界一の実力を明らかにしました。

アメリカはそういう日本、そしてアメリカを負かしたメキシコ、あるいは真の強豪韓国を安く読み、自らと同じラウンドに組み入れたという自らの策に足を絡め取られてしまったのだと、今となってはいえるのです。

この問題の解消が図られるまで、WBCのルールは真の意味での国際ルールとは呼べないことを承知の上で、野球を愛する人達が世界中から第二回WBCに挑むことになります。

全ては野球を愛するがためです。

困難な状況のなか、ついに優勝まで勝ち進んだ王ジャパンがチャンピオンというタイトルを奪取したことは、決して解消されないジレンマをはさんだ参加国と主催国のどちらに向けても、強烈なインパクトを残したはずです。

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2006/02/24

荒川静香さんの金メダルと、透明な器

荒川静香選手が金メダル(NHK)
「トリノオリンピック、フィギュアスケートの女子シングルで、荒川静香選手が金メダルを獲得しました。今大会、日本初のメダルで、フィギュアスケートでは日本選手として初の金メダルです。また、冬のオリンピックの日本女子の金メダリストは、1998年の長野大会のフリースタイルスキー女子モーグルの里谷多英選手以来2人目です。また、この種目では、1992年のアルベールビル大会の伊藤みどり選手の銀メダル以来14年ぶりのメダル獲得です。」

国際スケート連盟の2004シングル・ペアスケーティングレギュレーション、第322条をご覧下さい。

ISU SPECIAL REGULATIONS SINGLE & PAIR SKATING 2004

Rule 322

Marking of single and pair short and free programs

1. Technical Score

a) Scale of Values

Below in f) is a Scale of Values Table of the elements of Single and Pair Skating which if necessary can be updated in ISU Communications. This Scale of Value contains Base Values of all the elements and adjustments for the quality of their execution.

私訳

「表Fに全要素の基礎点および調整点の要素採点表を明示する。ISUはこれを逐次改訂できる(以下略)」
 

2002年に行われたソルトレークオリンピックでは、フィギュアスケートに関し疑惑の採点が続出し、ついには日本人を含めて選手団が抗議文を提出する事態にまで至りました。

これをうけてフィギュアの採点方法は大幅に変更され、これまでの審判個人個人の採点の集積だった方法を否定。

技の要素を審議する審判団と技術の高さを審議する審判団がグループとしての採点を一選手ごとにまとめて行う方法が採用されることになりました。

採点競技にはどのような法を持ち込もうとも、潜在的にジャッジの主観がメダルの行方を左右してしまう要素を最終的に払拭しきれませんが、新採点法では採点表に基づいたジャッジの平均点を採用するため、少なくとも選手は合計点だけで自らの順位を追えることになりました。

ソルトレークの選手団の抗議文はより透明に近いルールを呼び出したのです。

女王の名にふさわしい堂々とした演技は、公正な新しい採点法の見つめる中でアジア人として初めての金メダルをもたらしました。

値千金のこの金メダルは荒川静香さんの才能と努力を証明すると同時に、採点競技は公正な容器(レギュレーション)が用意されてはじめて才能を公正に評価するのだという一面をも証明したかもしれません。

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2005/12/28

文言が守るスケートリンクの公正

初めに美姫ありき…代表は選考前から決まっていた 渡部絵美さん選考前から“3人”予言 (ZAKZAK)
「渡部さんは、選考前、夕刊フジに「今の実力からすれば、選ばれるべきなのは浅田(真央)、中野(友加里)と、村主か荒川のどちらか。でも、代表は安藤と村主、荒川になるので見ていなさい」と断言していた。なぜか。「日本スケート連盟(JSF)の現状というべきですか。やはり、スポンサーの問題が大きいと思います」代表3選手は、JSFが「親会社」とする日本オリンピック委員会(JOC)が、スポンサーから資金を集めるための「シンボルアスリート」に選ばれている。個人にも大手企業のスポンサーも付いており、「連盟は彼女たちを落とせない」と読んでいたからだ。」

国際スケート連盟の総合規約、108条の2のa)をご覧下さい。

International  Skating Union General Regulations

Rule 108
2. Age limits for Figure Skating / Ice Dancing
a) In ISU Senior Championships and the Olympic Winter Games only skaters may compete who have reached at least the age of fifteen (15) before July 1st preceding these Events;

(私訳)

「シニアチャンピオンシップや五輪に限っては、前年の7月1日前日までに15歳以上でなければ出場できません」 

どのような事情があったのか、第六位だった安藤選手は見事代表に選ばれました。

とはいっても、浅田選手が五輪に出られないのは連盟の規約として現に世界中のプレーヤーに向けて公示されていたわけですので、日本スケート連盟の台所事情とは直接の関係はありません。

天才的な彼女の滑りを観た誰しもがその規約と彼女の誕生日の微妙な差ゆえに「そこをなんとかならないのか」といいたくなる気持ちもわかりますが、それが通るならなんのために規約があるのかよくわからなくなります。

選手達は規約を研究し、ギリギリのところで戦って勝利を得ようと4年間を費やすわけで、天才プレイヤーの出現毎にイチイチ文言解釈がころころ変わってしまうなら、他のプレイヤーとしてもやっていられないでしょう。

どのような特殊例があらわれようと、文言の形式性が保たれることは規約の存在意義を再強化するはずです。

なぜならどのような理由で作られたルールであるにせよ、その文言が誰にも公平に予測可能性を提供することこそ、あらゆるルールの核心的な価値であるはずからです。

浅田選手につぎのチャンスが回ってくるのは彼女が19才の時だといいますが、結局その時こそ、ルールを基準に勝敗を決めることを選択した連盟や観客として、彼女に挑戦権を渡すべき真っ当なタイミングなのだと思います。

浅田選手が五輪とスケートの女神に愛されているならば、そのタイミングでこそきっと今よりも魅力的な演技を見せてくれるに違い有りません。



法理メール? 

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2005/11/21

高橋尚子さんが課した未来への債権

<女子マラソン>高橋V 悪夢から2年「時間動き出す」(毎日新聞)
「高橋選手はこの優勝を、「オセロゲームで黒を全部、白に変えられたかのよう」と表現した。引退すら考えたつらかった時間はもう過去のこと。「暗やみに入っても夢を持つことで、一日一日が充実する。皆さんにもそのことを感じてほしい」。この2年間で走る喜びだけでなく、人生の喜びを知ったという高橋選手の言葉に、観客からはひときわ大きな拍手がわいた。」

民法の399条をご覧下さい。

第399条〔債権の目的〕

「債権は金銭に見積ることを得ざるものと雖も之を以て其目的と為すことを得」 

債権とはひとつの行為を要求できる権利のことです。

あなたがお友達に10万円貸しているという「債権」があっても、それはお友達の持つ10万円という現金への所有権は意味しません。

正確に言うと、『その10万円を彼の銀行口座から下ろさせて、さらにあなたに手渡すよう行動を請求できる権利』それこそが「債権」の正体です。

それが証拠に民法399条は、”たとえ金銭的約束でないものも債権である”と宣言し、たとえば有名歌手と約束した自分のお店で歌ってもらう権利なども立派な債権だということになっています。

あなたの「債権」が及ぶのはあくまでも「お友達の行為」についてであって、お友達の口座残高そのものには及びませんが、そのことは資本主義の機密性を糊付けする「所有権の絶対」を死守しつつ、さらに合意をもって他人の所有物への事実上の支配を許すというバネを作り出しています(私見)。

債権がバネであるとは、債権という「約束」によって、人間が本来縛られているはずの時間的・空間的拘束から自由になるための道具の発明であるということであり、裏返せば「債権」は、人間というネットワーク生物がよりよく生きるために標準装備していた機能であるとも言い換えられます。

我妻栄博士も、名論文「近代法における債権の優越的地位」のなかにおいて「人類が物権のみを以てその財産関係となし、経済取引の客体として居った時代には、人類は、いわば、過去と現在とのみに生活したのである。しかし、債権が認められ、将来の給付の約束が、現在の給付の対価たる価値を有するようになると、人類はその経済関係のうちに、過去と現在の財貨の他に、更に将来のものを加ふることが出来るようになる。」と述べられています。

トップアスリート・高橋尚子さんは、2年前敗北を喫した同じレース、同じ相手に再び挑み、優勝するという偉業を成し遂げました。

それはこれまでの高橋尚子さんに対する社会の評価を塗り替え、さらには高橋さん自身の過去の意味も「成功の為の材料だった」と真逆に塗り替えることに成功しています。

前述の書において我妻博士は、かつてのジョセフ・コーラーの言葉を引用し、債権の発明により『過去は未来の役に立ち、未来は過去の役に立つ。時の障壁は打破せられ人類は、何等妨げられるところなく、時間と空間とを征服するに至る』のだと表しています。

2年前の高橋尚子さんが、それから2年後の自分自身に課した「再び栄光を勝ち取れ」という「債権」は、見事彼女自身によって給付され、そのことはコーラーの看破した債権の仕事をきっちり証明しているのだといえます。


 法理メール?

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2005/11/01

ゴルファーはメーカーに印象という莫大な資産を投射する

「藍は成長」ソレンスタム絶賛(Livedoorスポーツ)
「思えば昨年の11月2日。宮里はソレンスタムと、横峯さくら、東尾理子を交えた9ホールのスキンズマッチで初対決した。「メンタルが凄いんですよ。テレビで見ているよりもっとどっしりしているというか…」。間近で見てきた“世界の女王”のゴルフをうまく表現できず、宮里はそのもどかしい思いを「とにかく凄いんです」という言葉で強引に締めくくった。」

民法の91条をご覧下さい。

第91条〔任意規定と異なる意思表示〕

「法律行為の当事者が法令中の公の秩序に関せざる規定に異なりたる意思を表示したるときは其意思に従ふ」 

芸能人、有名人にとって、そのブランドイメージが封入された肖像には、一般人とちがった意味合いが併存しています。

おニャン子クラブ事件と呼ばれる判例でも、東京高裁は「芸能人の氏名・肖像が有する「顧客吸引力のもつ経済的利益ないし価値」は保護に値する」と認めています(平成3年9月26日)。

有名人の肖像には”そっとしておいてくれ”というたぐいのプライバシーには収まらない経済的利益があり、これを無断使用すれば侵害行為があると認定できる別の角度の要保護利益が存在するということです。

実際に宮里藍さんと専属契約を結んだブリヂストンスポーツは、新たな購買層の取り込みに大成功したのだといいます。

では、わたしたちはなぜそれほどまでに、颯爽とした一流選手の使う道具やウエアを好むのでしょうか。

モーターショウのピカピカに磨き上げられた車の近くに美女が立つのは、いうまでもなく彼女の美しさ、好ましさをユーザが車の中に同視する効果を望んでいるからであり、しかもその手法が長年続いているのは驚くべき効果が裏付けられているからです。

これをアリゾナ州立大学教授のロバート・B・チャルディーニは「連合の原理」と呼びました。

商品と名声を結びつけることにメーカーが大金を投じるのは、消費者が探しているのは味気ないスペック比較などではなく、いかに好ましいイメージとその商品が結びついているのかだからです。

民法の大原則の一つに契約自由の原則というものがありますが、これは契約の内容や形式をどうするか、契約を結ぶか結ばないかは当事者の自由であるという原則のことです。

直接の根拠条文は存在しませんが、中でも91条の中には意思自由の原則のあらわれを見ることが可能です。

それは個人の人格の自由を尊んで生まれたルールだといえますが、法学的形式性を離れて、心理学的に精査すれば、24時間のうち自分がどれほどの時間、自分自身で判断を下しているのかは実は非常にあやふやな部分でもあります。

そんなとき91条を裏返しにして、「私は私の選択をしたのだ」と誰でもない自分自身から言われてしまえば、民法上の契約の成立は納得せざるをえませんし、そうだからこそ富の偏在は起こっているのかもしれません。

もしあなたがコンシューマー・コントロールから自由になりたいのなら、「自分が宮里藍さんが好きなことと、自分の腕にどのクラブがあっているのかは別の話である」ことに自覚的になる必要があります。

ただし、それが幸福なことかどうかは別としてです。

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2005/09/28

長嶋茂雄さんというあらかじめ勝利したスクリプト

巨人次期監督は原氏を軸に13日に一本化…星野氏破談で新展開(サンスポ)
「江川氏には低視聴率からの巻き返しを図りたい日本テレビからの待望論もある。また中畑氏は持ち前の明るいキャラクターと、脳こうそくに倒れた長嶋茂雄氏=巨人軍終身名誉監督=に代わって昨年のアテネ五輪で日本代表チームを指揮した実績を評価する声もある。」

教育勅語の冒頭部をご覧下さい。

教育ニ関スル勅語

「朕惟うに我が皇祖皇宗国を肇むること宏遠に德を樹つること深厚なり

我が臣民克く忠に克く孝に億兆心を一にして世世厥の美を濟せるは此れ我が国体ノ精華にして教育の淵源亦實に此に存す(以下略)」

長嶋茂雄さんのプロ野球のデビュー戦は金田正一投手から食らった4打席 4三振から始まりました。

プロデビューが4三振では、プロでやっていけるかどうか不安にならなかったかという問いに対して、長嶋茂雄さんは即座にこう答えたそうです。

「とんでもない、そんなことはぜんぜん思いませんでしたね。だって、プロでやれる手ごたえは持っていましたから。はい、そのために大学の4年間をどうすごそうかと考えて、それこそ死ぬ気で猛練習を重ねてプロに入ったんですから。もう大丈夫、ぜったいプロでやれるって確信を持ってね。」(出典:長嶋はバカじゃない 小林信也 草思社)

私たちは、凡人のように結果を出すための方法論などに迷わず、まず未来の自分を明らかに確信しておいてから、宇宙人的行動であらかじめ勝利した自分を切り出してしまう長嶋茂雄さんに目がくらむほど魅了されてしまうのだと思います。

長嶋茂雄さんとは一方で、とかく時間軸にとらわれて将来を気にやみ、あげくに結果を思うように出せないという極普通の私たちに対して、鮮やかなダンスで人生のひとつの真実を見せてくれる天才舞踏家なのかもしれません。

さて教育勅語ですが、明治憲法が発布された翌年の1890年、天皇が教育の基本姿勢に関して国民に直接語った言葉として発表されています。

それはまず「皇祖皇宗」、すなわち天皇が収めるこの国でという君主主権宣言の言葉で始まり、国民は「臣民」すなわち君主の国に尽くす者、また国家体制を神話ベースに解釈する「国体」というキーワードも盛り込まれていました。

戦争に負けると国民主権体制に反する教育の基本思想である教育勅語は問題視されることになり、「主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる」として昭和23年に国会で無効化が決議されました。

これをうけて現在の教育基本法は、その前文に「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない」の言を置き、個人に主権がある時代の教育であることを再言しています。

現在の私やあなたが国体のために教育を受けず、教育基本法の3条にいうように「能力に応ずる教育を受ける機会を与えられ」るためには、私たちが戦争に負けたあと、個人の能力の開花が結果的に国家の発展にも資するのだという発想の一大転換が必要でした(私見)。

しかし現在の教育基本法が国民主権原理に基づくものとはいえ、教育システムがかならずしもいい結果をだせていないという意見が言われはじめてずいぶんたちました。

教育勅語が否定された現代、子供達がまず最初に大人から伝達されるべきものは九九や書き順ではないということの証左かもしれません。

できることなら巨人軍新監督には、長嶋茂雄さんのような「あらかじめ勝利したスクリプト」をもっている希有な大人になってもらい、その確信で未来を削り出す様子を子供達に見せてもらえればと思います。

それをインプリントされた子供達には、その後の挫折が挫折でなくなるのです。

法理メール? 

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2005/09/24

男子シンクロに期待されるボトムアップ型組織論

津高:ウォーターボーイズ、初公演(毎日新聞 - 三重)
「生徒は1年9組の13人。担任の藤田隆司教諭(36)は、男子生徒がシンクロに挑戦する姿を描いた映画「ウォーターボーイズ」(01年公開)を見て以来、「プールのある学校に着任したら、男子生徒にシンクロをやらせたい」と思い続けていた。」

国際水泳連盟(FINA)のシンクロナイズドスイミング競技規則、第14条をご覧下さい。

FINA SYNCHRONISED SWIMMING RULES 2005 - 2009 

「SS 14.1 Time limits for Technical Routines and Free Routines including ten (10) seconds for deck movement:」

(私訳)

「14条の1 以下に各種目の規定時間を定める。尚陸上動作はいずれも10秒以内とする。」 

条文にいうテクニカルルーティンとは、音楽にあわせて決められたテクニックを含んだ演目のことだそうで、フリールーティンは自由に表現する演目だそうです。

どちらも時間が定められていますが、シンクロナイズドスイミングの世界共通ルールであるFINA規約によれば、陸上動作はいずれも10秒以内と定められています。

そうしますと、実は男子シンクロでおなじみのプールサイド観客直前で披露するダンスなどは時間オーバーで減点対象になってしまいます。

そしてそれよりなにより、男子シンクロは現在、日本水泳連盟のシンクロナイズドスイミング委員会がみとめる”正式な競技”ではありません。

委員会で男子の競技化がはじめて正式な議題になったのが、やっとこの4月のことです。

委員会は男子シンクロが一過性のブームであること、逆に言えば競技として公式認可したあとで、競技人口や観客が減っていくことを憂慮しています。

ただ観客動員数がそれほど高くないと思われる競技などもオリンピックの正式種目となっていることを考えれば、ある程度の数の選手層と、彼らによる恒常的熱意の表現こそ競技化を進めさせるといえるでしょう。

(収益可能性ばかりで決定されていくとすれば、それは徐々にスポーツ振興とは呼べなくなります。)

現在のところ「男子シンクロを正式競技化する」とだけ言われれば、私たちの見たいユーモアを含んだ男子高校生の全力投球は FINAシンクロ競技規則 14条などにはばまれて消えてしまうかもしれません。

映画やTVの「ウォーターボーイズ」で見たような、また昨今の学校で夏に行われるようなユーモアもある男子シンクロも並行して残した方がよいと観客側が要望するなら、そういう声を届ける必要もあるでしょう。

そして日本水連はそうした声を採取して、FINAとは関わりなくそうしたローカルルールを設ける自立性を有していてかまわないと思います。

(FINA競技規則も1条で国際コンペティションの時だけは共通ルールに従うように言っています。)

活動を下から積み上げていくやり方は、大きな組織を統治する一つの有効な手法です。

 

 

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2005/08/18

サポーターもフィールドに立つ方法がある

サッカー:日本が2-1でイラン降す W杯アジア最終予選(毎日新聞)

「後半32分に、ダエイを倒してPKを与えてしまった中沢は「後半15分ぐらいから足がつっていた。足が動かず『ダメだ』と思った」と残念そう。前半から積極的な展開だったため「飛ばしすぎたかな」とも。先制し、さらに苦しい時間帯に追加点と、ある意味で理想的な展開だっただけに「無失点に抑えたかった。1点奪われたから引っかかるものがある」とさえない表情だった。」

FIFAによる、ドイツワールドカップのレギュレーションの1条2項後段をご覧下さい。

Regulations 2006 FIFA World Cup Germany.

Art. 1

「The winner will be awarded a replica of the FIFA World Cup trophy as its permanent possession.」

(私訳)

「本物はダメだけど、勝ったらワールドカップトロフィーの複製品をあげるね。」

足がつりながら15分間も走り続けるとは、サッカーという職場への期待と、それに応えることの過酷さははかり知れません。

そしてもし首尾良くもし世界で一番のチームとなっても、彼らが永久に持っていいのはW杯の複製品でしかないことがレギュレーション1条2項後段に書かれています。

すると彼らが世界の頂点を目指す本旨は、カップという実物を彼らのホームに備え付ける利己的喜びであるはずがなく、きっとそこにたどり着くまでに一人でも多くの自国民にサポーターになってもらって、自国のサッカー産業をより発展させることにこそあるといえるでしょう。

私たちの手にはサッカーはブームだと背を向けてしまう自由もあり、逆にサポータは12人目のプレーヤーだとのめり込む自由もあります。

しかし一つだけ確かなことは、私たちに寿命というものがある以上、どのような態度をとろうとも、そのことに各自の残り時間を刻みつける取り返しのつかない選択をしているのだということです。

それからすればスポーツであれ政治であれ、単に指導者やプレーヤが作った仕事に対して、ただ単に批判に始終して何も生み出さない態度は、自分の残り時間を刻むのに値するとは思えません。

もしあなたやわたしが政治家やプレーヤーそのものでないとしても、彼らを能動的に応援するという選択をとることは、創造という言葉の一片に時間を投じたことにはなります。

ワールドカップレギュレーション1条2項という条文を、「私たちには寿命がある」というファクターを通して眺むれば、それが少しずつ浮かんではこないでしょうか。
 
 

法理メール?

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2005/07/28

ベッカムへの唾とハンムラビ法典

ベッカム、戸田のツバ吐き激怒/親善試合(Yahoo)

「FWロナウドは前半終了間際、元W杯審判の岡田正義氏の死角で戸田に蹴りを入れた。後半になってもRマドリードのイレブンは戸田に対する執拗(しつよう)なハードコンタクトを繰り返し、ついには戸田を右ひじ負傷による交代(後半36分)に追い込んだ。」

ハンムラビ法典の第196条をご覧下さい。

§196

「もしアヴィールムがアヴィールム仲間の目を損なったなら、彼らは彼の目を損なわなければならい。」(ハンムラビ「法典」 中田 一郎 (翻訳))

現在の地中海近く、長く続いた戦乱の後、メソポタミアを統一することに成功したバビロニアの王、ハンムラビは、シュメールに伝わる法典を編纂し、世界最古の法律をまとめました。

これがハンムラビ法典です。

強い者が街を闊歩する世界に統治を取り戻すべく、ハンムラビ法典は身分制度や刑罰制度を厳しく定めましたが、その中で現代でももっとも引用される有名な条文が196条、「目には目を」です。

このタリオ(同害復讐)の原則と呼ばれる条文は「やられたらどんどんやり返せ」という意味の一文ではなく、「目をやられただけなら、目以上の害を加えてはならない」という意味で読むべきであるといわれます。

なぜならばハンムラビ法典196条は厳密に「アヴィールム」という身分の者同士でのルールであると文言が規定しており、その条文は同じ身分の階層同士なら同じ応報が必要であるという哲学の現れだからです。

それ以下の身分の者の目をアヴィールムが傷つけた場合、金銭賠償で終わらせるべしと定められていました。

目を害した者の目が害されるとき、それらの者はともにアヴィールム身分にあることを証しますので、ロナウドから戸田がケリを入れられたのは「同族同士のルールはこうだ」という表現であるともハンムラビ法典ならいえます。

球を蹴り合ってゴールを決める競技で顔にツバをはきかけるのは正当業務行為とはいえない暴行(刑法208条)であるどころか、その行為が示す象徴性は、西洋人にとって日本人が考える以上の屈辱を与えますので騒ぎになるのも当然といえます。

混乱をさけるためには選手に向かって意図的なツバ吐きという行為があったのかなかったのかを、まずはっきりさせることが必要になります。

そしてもしそれがあったとしたならば、いくら世界の一流選手とのプレーに同等意識が不可欠だとしてもJの各選手に行為の法的評価と、何よりも行為の示す象徴性とをレクチャーすることが必要かもしれません。

ハンムラビ国法の編纂したハンムラビ法典はバーブ・イリ(神の門)と呼ばれた都市、バビロンを発展させ、ジグラット(聖なる塔)と呼ばれる巨大建築や空中庭園をもたらしました。

砂漠に巨塔を建てたのはハンムラビ法典で人々が心に一線を引いたからなのだと、古代の歴史が証明しているのです。

 

 

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2005/07/17

野茂への戦力外通知と侍の謀反

野茂に戦力外「オファー待つ」 (スポニチ)

「米大リーグ、デビルレイズは16日、野茂英雄投手(36)に戦力外通告をした。球団は今後10日間、野茂を、保有権の放棄を告知するウエーバーにかけ、他球団からのトレード、あるいは獲得の申し込みを待つ。獲得申し込みがない場合、野茂はマイナーと契約するか、自由契約となって自由に移籍交渉をするかの選択になる。」

侍の法律、御成敗式目の第9条をご覧下さい。

九 謀反人の事
「右、式目の趣・兼日に定め難き歟。且つは、先例に任せ、且つは、時の儀に依りて、之を行わ被る可し。」

(意訳)

九 謀反人をどうすべきか
「謀反の刑罰を細かく決めておくのは難しい。過去の判例を参考に当該事情を勘案しつつ判じること。」

御成敗式目は、鎌倉時代につくられた武士の法律です。

その優れた内容によって、室町時代・戦国時代・江戸時代に渡り、武士の行動規範を作る際の見本にされました。

ここで謀反とは、天皇や将軍など権力者に逆らって軍を起こし、現体制を転覆させようとする罪のことです。

現刑法にも77条内乱罪があり、首謀者は、死刑又は無期禁錮に処するとされていますが、もともと国家という幻想は、国の統治システムとか憲法の統治ルールによってたつものなので、それらを現行法を乗り越えて破壊しようとするいわば国家に直接刃物を向けた内乱罪に対しては、諸国が古くからもっとも警戒しています。

しかもこの犯罪の悩ましいところは、謀反が成功すれば、御成敗式目という法律も転覆し、結局裁かれるのは失敗した謀反だけということになるところで、そのため内乱罪には現実の結果は必要なく、危険を生んだだけで罰せられるしかありません。

こういう性質の犯罪を刑法学で危険犯と分類します。

野茂英雄投手はつい先日日米通算200勝という前世代の誰もが想像できなかった快挙を成し遂げました。

デビルレイズは野茂投手にとって8球団目です。

そういった安定しない環境で200勝を挙げるという事実の積み重ね、どれほど評価しても足りる物ではありません。

しかも野茂選手は球団との軋轢から大リーグ入りを表明した1995年当時、全てのマスコミから海外逃亡であるとなじられたのが現実です。

野茂は日本中から、「彼は何がしたいんだ?」という声を受けてもものともせず、本当に大リーグに渡って、しかもアリーグ、ナリーグともにノーヒットノーランを達成するという大リーガーとしても4人目の栄光を築きました。

野茂選手のしてきたことは、現代の「声援と移籍システムの整備」を用意されて送り出されるスター選手たちとは、その軌跡の質がまったく異なります。

大リーグのオールスターに日本人として初めて選出されたときも、不調で現地のファンからブーイングをうけたときも、感情をあからさまにすることなく黙々と投げ続けてきました。

野茂の大リーグ入りで、日本球界の閉鎖体質、翻訳すれば、「大リーグなんて、夢のまた夢」という認識は打ち壊され、見事謀反は成功しました。

日本球界のなかに「大リーグへの移籍」という堂々とした筋道をつけたのはIT社長でも、”たかがオーナー”でもなく、かつての危険犯、野茂英雄なのです。

野茂選手があと何年現役で投げられるのかはわかりませんが、その野球人生がどのような形で終わろうとも、心あるスポーツファンがいつまでも尊敬と感謝の念を忘れることはありません。

幕府を転覆させてしまった一人の野武士、野茂英雄が御成敗式目九条で裁かれることは、もうないのです。

 

 

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2005/07/11

サッカー選手のストレスと自由の果ての味

ストレス、不安に悩む「不幸せ者」、サッカー選手調査(CNN)

「ローマ(ロイター) 金持ちで、高級車を乗り回し、美しい女性とデートするなどのイメージが強いサッカー選手だが、イタリアの調査機関「Eta Meta」は、選手は多くの不安や悩みを抱える「不幸せ者」である、との調査結果を発表した。」

アメリカ独立宣言、第二文をご覧下さい。

The Declaration of Independence of the 13 United States of America, in General Congress Assembled

「We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal,that they are endowed by their Creator with certain unalienable rights,that among these are life, liberty and the pursuit of happiness. 

(私訳)
俺たちは次の真実を自明であると主張する。俺たちはみな等しく作られている。天地を創った人によって、皆平等に譲渡不可能な権利が与えられている。そしてその中には、生命、自由および幸福の追求が含まれている。」
 

独立宣言の6年前、イギリス軍がボストン入植者に発砲したボストンの殺戮があり、、3年前、ボストン港に停泊していたイギリスの東インド会社貿易船は、ボストン市民によっておそわれ、大量の紅茶が海の藻屑に消えました。

これに怒ったイギリス国王は艦隊によりボストンを封鎖、対して入植者たちの代表はフィラデルフィアにひそかに集結、13の植民地代表がはじめて大陸会議を開き、イギリスから独立した政治を行おうと決議しました。

大陸会議からバージニアに帰った代表者、パトリック・ヘンリーは、イギリスとの戦争に尻込みするバージニアの議員達に対し、「自由を,しからずんば死を」という有名な演説をぶち、自由とは人の生に不可欠な準備であることを呼びかけます。

やがて入植者とイギリス軍の間に戦火が起こり、1776年ジェファーソンが書いた独立宣言が大陸会議で認められ、7月4日に世界中に発表されました。

この時をもって植民地だった13の州はアメリカ合衆国となり、7月4日は独立記念日となりましたが、自由を勝ち取るための本当の死の闘争はそこからはじまりました。

アメリカ軍は少ない物資と軍資金に苦しみながら戦うことを余儀なくされ、文字通りたくさんの死を星条旗の下に並べましたが、5年間の流血のあと辛くもフランスとアメリカが同盟を結ぶことに成功し、イギリス軍はとうとう白旗を揚げました。

こうして私たちは、世界ではじめて王や貴族でない民衆が政治を決める国が誕生した背景に、自由のために命を投げ出した無数の名もない入植者たちの決意を見ることができるのです。

独立宣言第二文を俗に「幸福追求権」と呼び、私たちの憲法も13条で独立宣言と同じように「生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利」という文言を用いてこれを保証しています。

私たちの国のルールにこれが書かれたのが今から約60年前で、その憲法は、今から約230年前に「自由なければ生なし」として生まれた国アメリカとの戦争