2008/01/06

実況見分という毒のカプセル

ナゾ?の白バイ事故、警察の言い分通る 大谷昭宏 「裁判官の職務放棄だ」(J-cast news)
「大谷はさらに、「地方では、警察と裁判所の関係がよくいわれる。志布志事件でもおかしなことがありました。だから最近は、裁判報道でも裁判長の名前と顔を出そうということになっている」という。ちなみに、この裁判長は柴田秀樹氏。別の裁判でも、民間の証言より警察官の証言を重視していたと、番組はいう。」

刑事訴訟法の321条3項をごらん下さい。

321条

「3  検察官、検察事務官又は司法警察職員の検証の結果を記載した書面は、その供述者が公判期日において証人として尋問を受け、その真正に作成されたものであることを供述したときは、第一項の規定にかかわらず、これを証拠とすることができる。」

交通事故などでおまわりさんが現場を調べる作業のことを、法律用語ではなく実務用語で実況見分と呼んでいます。

その実況見分を法律的に表現すれば、場所、物または人についての形状を五官の作用で感知する処分を、任意処分として行う手続だと言い換えられます。

しかし一方で同じく五官の作用で感知する処分を、強制的に行うことを刑事訴訟法上、検証と呼んでおり、この強制作業を行うためには裁判所による令状の発行が不可欠です。

結果的に、令状の不要な実況見分という作業は令状の必要な検証という作業よりも迅速に実行できるため、証拠の散逸防止には役立つことになります。

ただ裁判所を介在させない任意捜査(197条1項但書、任意捜査の原則)である実況見分は、刀の返し方一つでまた危険な道具にも成り得ます。

よって学説上の通説、および判例理論によれば、実況見分調書には321条3項の検証調書と同様の要件が満たされることを待って、証拠能力が認められるということになっています。

具体的には、書面を作成した供述者が公判期日において証人として尋問を受け、その真正に作成したものであることを供述したときに限り、証拠能力が認められるのです。

さらにそれ以上に、実況見分調書なるものは、刑事訴訟法の321条1項3号の要件を充たさなければ証拠能力は認めらないとする厳格な学説も存在しています。

裁判官の令状を介在させない実況見分というシステムが生む調書には、もともと真正に作成されないかもしれないという可能性が孕まれているのです。

そしてその時、実況見分調書は裁判という人が一生懸命に構築したシステムの腹中に、毒を運ぶ糖衣にしかなりえません。

よってもし実況見分調書が真正に作成されていないことがあきらかになったなら、裁判所は実況見分調書に321条3項を準用することを否定し、その証拠能力を公判廷において認めてはならないはずのです。(以上参照:刑事訴訟法口述過去問集 早稲田セミナー編集)

戦争が終わるまで、検察官は裁判官と同じ壇上から、被告人を見下ろして糾弾する立場にありました。

しかし戦後憲法の改革を受け、検察官は一方で社会正義の実現という使命を受け、弁護人と同じ高さに降りて被疑事実の立証に励むことになり、裁判官は、検察官の立証に矛盾がないのかを、ことごとく潰していく新しい役目を請け負うことになりました。

もし大谷氏が指摘する通り、地方においてその役割分担が疎まれ、警察と裁判所が地方権力という一つの城に同居しようとしているとするならば、”新しい戦前”はそうした城から乱発される実況見分調書によって、露払いされながらやってくるはずなのです。

 

 

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2007/04/21

SIT:NOPAIN NOGAIN

「救急車を呼べ」閃光と怒号の中、捜査員が次々に突入(読売新聞)
「警視庁によると、竹下容疑者は、ベランダに面した和室で、頭から血を流し、あおむけに倒れた状態で発見された。手足を小刻みに動かし、捜査員の呼びかけにも反応したため、同17分、銃刀法違反の現行犯で逮捕した。この突入の3時間ほど前から、SITは、同じ都営住宅の5号棟の空き部屋を利用し、突入に向けたシミュレーション(模擬訓練)を実施。ブルーシートでベランダを隠しながら、約20人の捜査員が無線を片手に突入の手順を確認した。一方、SITの突入の際には、遠巻きに様子をうかがっていた知人とみられる男性数人が、警察官の制止を振り切り、「やめろ」「死ぬな」と叫びながら102号室に向かって走り出す一幕もあった。」

警察法の第67条をごらんください。

67条(小型武器の所持)

「警察官は、その職務の遂行のため小型武器を所持することができる。」 

日本赤軍によるダッカ事件後の1977年、警察は極秘裏に対テロ特殊部隊の設立に着手しました。

同年には日本警察初の対テロ特殊部隊が秘密裏に設立、警視庁刑事部捜査一課特殊班、通称SITは1992年4月に発足しています。

SITはハイジャック、凶器使用人質立てこもり事件や誘拐事件など一般刑事事件に出動するための特殊班であり、ネゴシエーターと呼ばれる交渉担当捜査官、凶行逮捕する突入専門捜査官、遠距離から射殺する狙撃専門捜査官で主構成され、そこに無線、電話設備に精通する東京都警察通信部専門職員も加わります。

テロ事案担当の警視庁特殊急襲隊(SAT)のような、即射殺もいとわない対テロ戦術では解決が難しい一般刑事事件解決にあたるため、その設立当初は捜査一課の刑事、及びSATからの選抜者で編成されました。

実際、2003年に発生した板橋区都営アパート猟銃立てこもり事件など、難しい事件を経験しています。(参照:警視庁・特殊部隊の真実 伊藤鋼一 大日本絵画)

しかし特殊訓練と特殊重火器に身を包む彼らも、警察法上67条の範囲外にある特殊な存在ではありません。

67条は、旧警察法下での警察官の武器携帯根拠条文を、警察官等職務執行法の7条における武器使用規定だと解釈されてきたものを、改正を機に警察法の中に明記したものです。

そこにいう小型武器とは、警察官が個人装備として携帯できる程度をいうと解釈され、所持とは携帯に限定されず、その占有下にあればよいとまでは解釈されていますが、警察特殊隊員という存在と装備がその範囲内に収まるものかは微妙です。

実際1970年、広島で発生した瀬戸内シージャック事件で、ライフル銃を所持する犯人を射殺した大阪府警機動隊員は、殺人罪の告発を受けており、警察官が武器を所持する根拠法である警察法67条の非常にデリケートな性格を語っています。

それがゆえに特殊部隊の設立は秘匿、その運営も秘匿と成らざるを得ない側面があります。

しかし現実に、日本人による国外におけるテロと、国内におけるテロの両方を経験した現代を生きるわたしやあなたには、命を賭けて特殊任務を遂行できる火力を備えた遊撃班の存在がもはやどうしても必要です。

そしてそうした存在を維持するために、私たちは「法の超拡大解釈」という確信的黙認を支払っているのかもしれません。(私見)

 

 

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2007/04/04

市ヶ谷に響く皆殺しのトランペット

上田知事が「人殺し」発言で謝罪 県に意見786件(朝日新聞)
「上田知事は2日の就任式で、「自衛官の人は、平和を守るために人殺しの練習をしている。警察官も、県民の生命や財産を守るために、人を痛めつける練習をする。だから我々は『偉い』と言って褒めたたえなければならない」と話した。」

憲法の9条2項をご覧下さい。

第9条

「2 前項の目的を達するため,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権は,これを認めない。」 

ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは、その著書「職業としての政治」において、国家を定義して「正当な物理的暴力行使の独占を要求する人間共同体」なのだといっています。

そして国家による正当な暴力とは、警察権、処罰権、交戦権を意味しています。

大雑把にいってしまえば、上田知事のいう「自衛官が人殺しをする」ことが法的に認可される状態とは、このうちの交戦権に所属するものです。

しかし憲法はその9条2項後段で、国に交戦権を備えることを否定しています。

実際、イラク特措法17条4項を見てみれば、そこには正当防衛、あるいは緊急避難的な場合を除いて”武力”という国家の正当暴力は行使してはならないという条文があり、決して交戦権を発動させない歯止めが効かされています。

自衛隊で毎日の厳しい訓練に耐え、命の危険がともなう外地に向かうみなさんは、現状では一般人と同様のルール内でしかその火力を使うことを許可されておらず、当然それは交戦権に類するものではありません。

9条2項後段があるかぎり、自衛隊はそれが国内の平和のためでも、人殺しの訓練はしていないはずなのです。

ましてやおまわりさんも、”県民の生命や財産を守るための”人を痛めつける練習などしていないはずです。

これらの発言は、国家による正当暴力という概念を誤解していることでなされます。

国家の正当暴力とは、その維持に必ずやわたしやあなたという一般国民の得心が要求される権力のことです。

もし警察や自衛隊に、わたしやあなたの合意がない絶対権力を与えてしまうなら、早晩その不条理はわたしたちの無意識に見抜かれ、バスティーユのような運命をたどるはずです。

わたしたちは誰に教えられずとも、あらかじめ人と国家の正しい距離感を知っていて、そのうえで国家に正当暴力を維持させているのだといえます。(私見)

確かにわたしやあなたは、物を盗んだりしてしまったり、人を殺めてしまったときにはお巡りさんに逮捕されることを、社会に生きる一員として受け入れることができます。

しかしあらかじめ”ルールを破った人を痛めつける”練習をしたおまわりさんによって暴力を行使されることなど、人の尊厳が受け入れさせないはずなのです。

憲法には自衛隊員やおまわりさんが、わたしやあなたの同意なしに人殺しの練習や人を痛めつける練習などしないことが、とてもはっきりと約束されています。

 

 

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2007/03/29

国賠の暗視ゴーグル

タミフルに隠された真実 第二の薬害エイズに発展か(日経BP)
「なぜ、タミフルによってそのような異常行動が起きるのかの説明も、実にわかりやすく、明快に示されている。要するにに、こういうことなのだ。「タミフルは脳の働きを抑制することが動物実験と人に起きる症状から分かっています。睡眠剤や鎮静剤、麻酔剤、アルコールと同じです。アルコールを飲むと、寝てしまう人、興奮して暴れる人などがいます。麻酔剤は、強く作用すると呼吸が止まります。麻酔中は人工呼吸器で呼吸していますので死ぬことはありませんが、人工呼吸しなければ呼吸が止まって死に至ります」「脳には、それぞれの神経が秩序だって働くようにコントロールしている『統合中枢』という管制塔のような中枢があります、タミフルを飲むと、脳の中にタミフルが入り込んで、まずその部分を乗っ取ります。そうすると、いろんな神経が思い思いに勝手に動きだすために異常行動を起こすのです」「タミフルで低体温になりますが、熱が下がったと喜んではいられないのです。これは体温中枢が乗っ取られているからです。今まで経験したことのない34度や32度といった低体温になる人もいます。これは異常行動や呼吸が止まる前兆です。もっと激しく作用すると、人の命に最も大切とも言うべき、呼吸中枢が乗っ取られてしまいます。すると、呼吸が止まり、命もとまります」「つまり、体温中枢が乗っ取られると異常なまでの低体温、統合中枢が乗っ取られると異常行動、呼吸中枢が乗っ取られると呼吸困難、突然死になるのです」」

国家賠償法の1条1項をごらんください。

第1条

「1 国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。 

薬害事件における国の責任についてされた最初の最高裁判断は、平成7年6月23日第二小法廷判決です。

それはクロロキン製剤によるクロロキン網膜症に罹患した患者とその家族らが、国、製薬会社、医療機関に対して損害賠償を請求した争いでした。

最高裁は「日本薬局方に収載され、又は製造の承認がされた医薬品が、その効能、効果を著しく上回る有害な副作用を有することが後に判明し、医薬品としての有用性がないと認められるに至った場合には、厚生大臣は、当該医薬品を日本薬局方から削除し、又はその製造の承認を取り消すことができる」として、改正後の薬事法74条の2を待たずに、国家による”規制権限”の存在を認めています。

そうした規制権限の根拠は、「薬事法の目的並びに医薬品の日本薬局方への収載及び製造の承認に当たっての厚生大臣の安全性に関する審査権限に照らすと、厚生大臣は、薬事法上右のような権限を有するものと解される」のだとし、特定条文ではなく法全体の趣旨から導いています。

ただし国の責任が発生する分水嶺については、規制権限の不行使が即、国家賠償法1条1項の適用上違法と評価されるものだとはしていません。

「副作用を含めた当該医薬品に関するその時点における医学的、薬学的知見の下において、前記のような薬事法の目的及び厚生大臣に付与された権限の性質等に照らし、右権限の不行使がその許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるときは、その不行使は、副作用による被害を受けた者との関係において同項の適用上違法となるものと解するのが相当である」のだという慎重な判断フレームを置いています。

”許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められる”というフレーズは、行政の責任を問う場面でよく耳にするなじみ深い言い回しですが、一般に裁量権消極的濫用論と呼ばれています。[以上参照:行政判例百選 (2) 第5版]

現在の戦後憲法17条は,戦前憲法にはなかった公権力の行使に基づく損害の賠償責任を認めました。

そしてその具体法として、国や公共団体の損害賠償責任に関する決まりを一般的に定めたのが、国家賠償法という法律です。

その1条2項は、故意や過失がなければ国家が公務員へ求償できないことをさだめ、国家責任という概念をより純化しています。

戦後まず姿を現した純国家責任という化生は、その姿を捕らえるため判断基準という暗視ゴーグルを必要としますが、薬害におけるゴーグルがやっと与えられたのが、およそ12年前にすぎません。

未来を少しずつマシにしていくため、私たちはこれからもたくさんの失敗と、時に率直な反省を重ねていく必要があります。

 

 

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2007/03/20

我は政府にかしづき国民を育てるものなり

「死刑になるなら払う」2ちゃんねる管理者、賠償拒否(読売新聞)
「西村氏は閉廷後、報道陣に対し、過去の訴訟で確定した賠償金などについて、「支払わなければ死刑になるのなら支払うが、支払わなくてもどうということはないので支払わない」などと、支払いの意思がないことを明らかにした。西村氏は、これまでに全国で50件以上の訴訟を起こされ、その大半で敗訴が確定。未払いの賠償金や、裁判所の仮処分命令に従わないことに対する制裁金が少なくとも計約5億円に上るとされるが、西村氏が自ら支払いに応じたケースはほとんどない。その理由について、西村氏は「踏み倒そうとしたら支払わなくても済む。そんな国の変なルールに基づいて支払うのは、ばかばかしい」と話した。」

刑事訴訟法の189条2項をごらんください。

第189条〔一般司法警察職員の捜査権〕

「2 司法警察職員は、犯罪があると思料するときは、犯人及び証拠を捜査するものとする。」 

戦前の警察、帝国警察官がその権限を執行していた範囲、すなわち警察権についての外国人による観察記録があります。

それによれば当時全国の警察を掌握した内務省の活動は以下の様子でした。

「誕生から死に至るまで日本国内のあらゆる個人の生活の日々の細目の上に絶えざる監視の目をみはっていた。

特別高等警察は一切の政治運動あるいは社会運動を調査した。

諸種の警察機関の活動はだんだんと拡張され、第二次世界大戦の末期には、警察は、考えられるほとんどすべてのタイプの政府の施策の遂行を監督するものになっていた」。

(Political Reorientation of Japan, September 1945 to September 1948,Report of Government Section, SCAP, Section IX : Governmental Aspects of Law Enforcement, I.Reorganization of the Japanese Police)

1945年、日本が戦争に負けると日本はポツダム宣言の要求の一環として、警察の大改革を加えられました。

この改革は、ひとくちに「民主化」という言葉であらわされています。

その中心は政治警察の排除と中央集権的警察機構の解体でした。

政治警察と中央集権的警察機構とは密接な関係に立つものであり、この両者を一緒に葬り去って市民の警察をつくりだすことが意図されたのです。

(以上参照:警察の法社会学 広中俊雄 創文社)

現在の警察権には、この暴走を防ぐため三つのタガがはめられています。

それは警察公共の原則、警察責任の原則、そして警察比例の原則です。

その他ふたつの説明はまた別の機会に譲るとして、このうち警察公共の原則とは、警察権が公共の安全と秩序の維持の目的に直接関係のない私生活や私住所、民事関係には干渉することができないというブレーキです。

あなたが隣近所とのいさかいを交番に持ち込んでも、お巡りさんの腰が重いのは戦後の警察権に設けられた三つの限界によるわけです。

このときおまわりさんは、警察公共の原則を説明する言葉として、「警察は民事不介入ですから」とあなたに説明します。

戦前の統制社会を形作った旧警察権をあからさまに復権させないため、刑事訴訟法189条2項も”犯罪があると思料”されたとき以外に警察権が出動することを制限しています。

だれかが掲示板で名誉を毀損された、あるいはその掲示板の管理者責任放棄で名誉毀損状態が継続したと民事裁判に訴え出たとして、敗訴側が賠償金を支払わなかったとしても、それが”死刑”など国家がもたらす刑罰に直結していないのは以上のような歴史的変遷が関係しています。

それはあくまでも司法権によって解決されるべき問題だとしていくことが、結局一生を国家から監視されることからわたしやあなたの生活を守る知の力になります。

それが持ちこたえきれず、法改正によって警察権の拡大が徐々に認められていけばわたしたちはふたたび「陛下の警察官」という概念を条文上に見ることになります。

法と個人のかかわりはすべて主体性をどこに見つけるのかにかかわっており、現在の処その結論の行方はわたしたちにまかされています。

 

 

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2007/03/15

臨界:青い光

北陸電力が志賀原発の臨界事故隠す、制御棒外れ15分(読売新聞)
「制御棒が外れたのは、99年6月18日午前2時17分ごろ。制御棒1本の急速挿入試験のため、残り88本を動かす水圧制御弁を閉じる作業を進めていたところ、誤操作で3本が炉心から抜けた。原子炉の制御システムは、核分裂反応が継続する「臨界」に陥ったことを感知し、緊急停止信号を出したが、この3本を再挿入するために必要な加圧用窒素タンクの準備が不十分だったことなどから、ただちには再挿入できなかった。結局、弁の操作などで3本が炉心に入り、臨界が終息したのは15分後だった。臨界時の出力は定格の1%未満だったが、原子炉の制御が事実上、15分間効かない状態が続いたことになる。」

原災法の第10条1項をご覧下さい。

原子力災害対策特別措置法

第10条(原子力防災管理者の通報義務等)

「1 原子力防災管理者は、原子力事業所の区域の境界付近において政令で定める基準以上の放射線量が政令で定めるところにより検出されたことその他の政令で定める事象の発生について通報を受け、又は自ら発見したときは、直ちに、主務省令及び原子力事業者防災業務計画の定めるところにより、その旨を主務大臣、所在都道府県知事、所在市町村長及び関係隣接都道府県知事に通報しなければならない。(以下略)」 

臨界事故とは、核燃料物質がつぎつぎと核分裂反応の連鎖を起こす臨界量を越えてしまい、爆発的に増加しはじめ人間には制御できなくなる状態をいいます。

これをふせぐため核燃料物質は少量に分割して保管し、専門知識をもつ技術者が十分注意を払って取り扱わなければなりません。

にもかかわらず平成11年9月30日、茨城県東海村にあるJCOはそのウラン加工工場で臨界事故を起こしてしまい、二人の作業員が重篤な放射線被ばくにより死亡しました。

これをうけて原子炉等規制法の特別法として、原災法が2000年6月16日から施行されました。

そして事故発生時の初期動作を適格に確保するため、その10条第1項は一定の事象が生じた場合の通報を原子力事業者の原子力防災管理者に義務付けています。
(以上参照サイト:原子力図書館 http://mext-atm.jst.go.jp/

それは、中性子線の測定器など特別な機器や人員が存在せず、実際にそこでなにが起こっているのか全く判別できなかった東海村の悲劇を糧にした条文です。

本法施行前だとはいえ、わたしたちが原子力がアンコントローラブルになっていた事態を事業者から知らされるまで、8年の歳月を要してしまいました。

いったいその時周囲何キロ範囲まで中性子線が周囲の生活圏を貫通していったのか、今となってはわかりません。

もし原災法という、原子力災害からわたしやあなたの命、身体及び財産を保護することを目的に設立された法律が今後も軽んじられる事態が続くなら、法とは違った角度で事業者の真意を見つめる作業が新たに必要になります。

 

 

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2007/03/06

イドラ:被告人は愚かであれ

「『はい』以外言うな」 富山の冤罪男性に取調官(朝日新聞)
「逮捕後、思い直して、検察官と裁判官に対し一度は否認した。その後、県警の取調官から「なんでそんなこと言うんだ、バカヤロー」と怒鳴られた。翌日、当番弁護士にも否認した。すると、取調官から白紙の紙を渡され、「今後言ったことをひっくり返すことは一切いたしません」などと書かされ署名、指印させられた。「『はい』か『うん』以外は言うな」と言われ、質問には「はい」や「うん」と応じ続けたという。 起訴後の弁護士は国選で、数回やりとりをしたが、すでに取り調べで罪を認めざるを得ないと思い詰めていた。「否認しても信じてもらえない」と、公判でも一貫して認め続けた。男性は「誰かが、がんばれがんばれと言い続けてくれたら、がんばることができたかもしれない」と無念さをにじませた。判決を言い渡され「申し訳ございませんでした」と言ったが、「やってもいないのに、何でこんなことを」と悔しくて涙が出たという。」

刑事訴訟法の319条1項をご覧下さい。

第319条〔自白の証拠能力・証明力〕

「強制、拷問又は脅迫による自白、不当に長く抑留又は拘禁された後の自白その他任意にされたものでない疑のある自白は、これを証拠とすることができない。」 

多くの誤判事例、再審無罪事例などを研究した結果、裁判官が虚偽の自白を見抜けなかったために事実認定を誤ってしまったケースが、決して稀ではないことが明らかになってきました。

そこで自白の証明力がより研究されるようになってきました。

最初、自白の証明力の判断方法として、自白内容の具体性・迫真性・詳細性に着目し、直感や印象でその証明力を判断しようとする方法が注目されました。

しかしこの方法は、しばしば誤った有罪判決の原因となってきました。

なぜならプロの捜査官が、裁判官に突き出すことを前提に物語式に作った詳細で迫真の供述調書において、印象で嘘を見抜くことは難しいからです。

そこで次に、自白の変転の状況、客観的証拠との対比などを用いて、分析的・理論的に自白の証明力を判断する方法が注目されてきました。

たとえば有名な冤罪、松川事件第1次上告審判決における多数意見は、被告人の自白の「供述の変遷や虚偽は、これを被告人が他意あって殊更に事実を曲げて供述したことによるものとみるべき筋もないとすれば、それは、同人が、あるいは、自己の経験しなかったことや記憶の薄れたことについて、取調官から尋ねられた際、ただひたすら迎合的な気持ちか、その都度、取調官の意に副うような供述をしたことによるのではないかとの疑」を指摘しています。

この判断方法の具体的内容は、分析・整理され、「注意則」として自白の証明力判断の指針として定着化しつつあるといいます。

”やってもいない犯罪を無実の人が自白するはずなどない”、そうした思い込みは、職業裁判官であってもいつか虜にします。

愚かさと戦わなければならないのはいったいどの席に座った者なのか、それを歴史と共に解明してきたのが刑事訴訟法という文章群です。

(以上参照:白取祐司 刑事訴訟法 日本評論社

 

 

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2007/02/26

警察権:ワッパの数だけのし上がろう

鹿児島県議選事件、無罪判決受け被告側が国賠提訴へ(読売新聞)
「2003年の鹿児島県議選を巡る選挙違反事件で、公職選挙法違反に問われた同県志布志市の元県議中山信一被告(61)ら12人に対し、鹿児島地裁の谷敏行裁判長は23日、無罪(求刑・懲役6月~1年10月、中山被告らを除く10人に追徴金6万~26万円)を言い渡した。中山被告らは近く国家賠償請求訴訟を起こす方針。」

警察法の2条2項をご覧下さい。

第2条

「2 警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであつて、その
責務の遂行に当つては、不偏不党且つ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法
の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつ
てはならない。」 

警察は他の公共機関と同じく、一定職務に範囲を限られており、その範囲において公的義務を負い、公的機能を有します。

これを警察の債務、及び警察の権能といいます。

そして警察の債務は2条1項に定められている範囲であるので、警察の権能もまたこの範囲に限られなければなりません。

もしこの範囲を警察権力が超えるなら、それは権能の濫用と呼ばれることになります。

権能を濫用することは、警察の相手方たる個人の自由、権利に対して不法の干渉を加えることになるのです。

わたしたちにはその暮らす社会の秩序を乱す権利など亡く、ひとの生命・財産や公安に迷惑をかけることは許されていません。

おまわりさんの本来の役割とは、誰かが自由や権利を濫用することを取り締まり、それを制限して適当な範囲におさめるというところにあります。

しかしながら、取り締まる側の警察がその任務の範囲を超えてしまっては、逆にわたしたちの自由や権利に干渉してくることになります。

このため警察法は、警察権の濫用が起こらないように、警察組織の点について工夫を凝らしており、また濫用の結果、私人が損害を受けた場合、国家の賠償責任、や警察官の刑事訴追などの救済手段も認められています。

そのうえで、なおかつ権能があれば濫用が生じやすいので、警察機関や警察官に深く自戒をうながしているのが、警察法2条2項です。

[参照:警察法逐条解説 須貝 脩一]

一生懸命なおまわりさんたちナシでは、私たちの暮らしは絶対に成立しません。

しかし一旦出世のためのノルマを前に、2条2項をただの綺麗事に読んでしまうなら、そこには手錠と拳銃をぶら下げたもっともタチの悪い公務員だけが裸になってしまいます。

そしてそれがただの杞憂では終わらなかったことを、幻想の公選法違反事件が教えてくれているのです。

 

 

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2007/01/27

地方の骨を抜いて別物にしよう

東国原知事:ヒアリングを公開 実務に奔走、質問攻め /宮崎(毎日新聞)
「防災ヘリコプターを導入していることを聞いた東国原知事は「(鳥インフルエンザが発生した)日向市の現場まで車で往復5時間かかったが、そういうときには使えないのか」と質問。担当者が「できます」と回答すると、「知らなかった。誰も言ってくれなかった」と述べ、職員が陳謝する場面もあった。」

憲法の93条第2項をご覧ください。

第93条

「2 地方公共団体の長,その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は,その地方公共団体の住民が,直接これを選挙する。」 

憲法93条は地方の長は直接選挙で選出するとしていますが、そのアイディアの源泉は米国の国務・陸軍・海軍三省調整委員会、SWNCCが示した日本の統治体制改革の指針文書228、通称スウィンク・トゥー・トゥー・エイトに現れています。

文書によればSWNCCは当時の日本を観察し「都道府県の職員は、できる限り多数を、民選するかまたはその地方庁で任命するものとすれば、内務大臣が都道府県知事の任命を行なう結果として従来保持していた政治権力を、弱めることになるであろう。同時に、それは、地方における真の代議政の発達を、一段と助長することにもなろう。」と判断しています。

そしてそれをすぐ裏付けるように、当時の日本政府は総司令部からの新憲法案に対して、「直接選挙」という文言をただの「選挙」に修正しようとしてみたり、「知事だけは間接選挙でもよい」と修正しようと試みたりしています。

しかし当時の日本政府によるこれら一切の抵抗は総司令部に拒否され、93条に「直接」という文言は厳として残されることになりました。

天皇が勅任する大名のような知事はこうして姿を消し、戦後の知事は住民が直接彼を押し上げる形に強引に形を変えたというわけです。

[参照:日本国憲法制定の過程 高柳賢三 他 有斐閣]

地方の長の直接選挙を連合軍が強行に要求した目的地が、全体主義の根絶にあったことは容易に図り知れます。

そしてそれが憲法第八章を単に地方行政(ローカル・ガバメント)と名づけず、地方自治(ローカル・セルフ・ガバメント)と名づけていることの真意でもあるはずです。

地方自治の本旨、つまりプリンシプルは、その意味で行政を”国民を支配するための装置”から”権力を支配するための装置”に再定義したところにこそ存在するのだともいえそうです。(私見)

ところで、もともとプリンシプルという言葉には、”背骨”という意味が並存しています。

そして”行政の再定義”が地方自治の背骨なのだとすれば、あらゆる手管でその骨を抜いてしまえば、地方は独自権力を保ったまま93条2項にある「直接」という二文字の真価を発揮させないままにしておくことは可能になります。

逆に言えば新しく知事になった人が、ローカル・セルフ・ガバメントをどれほどその本旨通りに機能させられるかという点も、自分はどちら側からきた人間なのかをどこまで意識しつづけられるかに、かかっているのだといえそうです。

 

 

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2006/12/27

美しい国にすると彼は言う

再審決定取り消し 毒ぶどう酒事件 被告側が特別抗告(神戸新聞)
「過去、確定死刑囚四人が最終的に無罪になった再審開始決定に、検察側が抗告などの異議を唱えたのは各一回だけで、いずれも再審公判の一審で無罪が確定していた。同高裁刑事一部は昨年四月、弁護側の毒物鑑定などの新しい証拠を「無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠」と評価。「自白の信用性に重大な疑問がある」として再審開始を決定、死刑執行を停止していた。」

刑事訴訟法の433条1項をご覧下さい。

第433条〔特別抗告〕

「この法律により不服を申し立てることができない決定又は命令に対しては、第405条〔憲法違反・判例違反〕に規定する事由があることを理由とする場合に限り、最高裁判所に特に抗告をすることができる。」 

わたしやあなたがもしなにかの間違いで刑事裁判の被告となってしまったとき、刑事訴訟法によって不服を申し立てることができない決定や命令に対しては、憲法違反・判例違反があるこ時のみ、最高裁判所に特に抗告することができます。

これを特別抗告とよびます。

そもそも特別抗告を含む、「上訴」という制度は、事実の認定や法令の解釈、それに量刑の誤りなどをただすための非常ボタンです。

そのような非常ボタンを押してまで、厳粛な裁判の流れをとどめようとするのは、もし「これが裁判である」と決めた形を逸脱した手法を用いて犯人だとされてしまった人がいたならば、その人を救い出すことがなによりも優先される事項なのだと、わたしたち自身が決めているからです。

つまり裁判の展開において真剣にして、見逃してはならない本質とは「その裁判は、我々の決めたルール通りの形を維持して結論を出したか」という点にあります。

その意味で「疑わしきは被告人の利益に」の原則は、世の中が善人だらけなどとは一言もいっていません。

それは、「疑わしい人を次々と処刑した時代への逆行」を拒絶する原則なのだといえます。

歴史をふまえるとき、「では真犯人はいったい誰だというのか?」という点にだけわたしたちは夢中になるべきではありません。

常に制裁を求める社会の感情からさえ死守する「裁判の構造」そのものが、時代の逆行を踏みとどまらせる装置にほかならないのです。

それを見越して、先人は特別上告という非常ボタンを刑事訴訟法に設置しています。(極私見)

年明けに弁護団は、このボタンを押します。

そして三権分立の荘厳な建前をよそに、司法の頂点が出す結論はいつも、時代の微妙な風向きの変化をわたしたちに教えます。

 

 

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2006/11/13

刑事は早朝、玄関に立つ

倉庫からジーンズ31本窃盗「犯罪証明ない」と無罪 (zakzak)

「山本裁判官は判決理由で、衣料品店の在庫管理がずさんで被害品が特定できないとし「男性がリサイクル店に売ったジーンズと盗品が一致する」との検察側の主張には裏付けがないと指摘。「ジーンズを見知らぬ男から買い、売却したとする男性の弁解は不合理だが、直ちに虚偽とみることはできない」と述べた。」

刑事訴訟法の333条第1項をご覧下さい。

第333条〔刑の言渡し、執行猶予の言渡し〕

「被告事件について犯罪の証明があったときは、第334条の場合を除いては、判決で刑の言渡をしなければならない。」(以下略) 

刑事訴訟法333条により、刑事裁判が誰かの行為を有罪だと判決するためには、起訴状記載の公訴事実について「犯罪の証明があった」ことが必要だということになっています。

ここで「犯罪の証明があった」とは、証拠に基づいて公訴事実の存在が肯定され、犯罪の成立が認められたことをいいます。

その証明の程度は、「合理的な疑いを超える」高度なものでなければなりません。

そして、その証明は、「疑わしきは被告人の利益に」の原則に従ってなされることになっています。

よって犯罪の証明に関して「合理的疑いが残る」と裁判所が判断したときには、「疑わしきは被告人の利益に」の原則に従い、無罪判決が下されます。

なぜこのように、わたしやあなたが憎む「悪い人」を裁くはずの裁判は、まどろっこしい仕組みになっているのでしょうか?

「疑わしきは被告人の利益に」とは、推定無罪という原則が導く具体的規範のことでいう原則は憲法31条や、刑事訴訟法336条が根拠となっています。

推定無罪の原則とは、誰もが裁判所の有罪判決まで、罪を犯していない人として扱われなければならないという原則のことをいいます。

それは史上、フランス人権宣言によって初めて宣言されています。

その時代、フランスの国家権力は気に入らない人間をどんどん悪名高きバスティーユ監獄に放り込んでいました。

彼らは監獄に入れられる正当な理由がないばかりでなく、いつ出てこられるかのあてさえもなく拷問や虐待を受けていました。

この事態がフランス革命を生んだことはご存じの通りであり、その証左に市民たちは大挙してまずそのバスティーユを襲撃しています。

当時の状況を憂いていたベッカリーアは、『犯罪と刑罰』という著作のなかで挙証責任を国家側に負わせる提言をはじめてなしています。

わたしやあなたが一旦国家に罪を疑われたら、自分でその無罪を証明することはとても難しかったからです。

それ以降、推定無罪の原則は、いつの時代も権力の暴走をチェックするために司法をスキャンしています。

検察による有罪の証明がやたらと大変なのは、そうした機能を期待されているからです。

そしてわたしやあなたは、その原則が時に真の犯人を取り逃がす可能性さえ織り込み済みでその動作を認めています。

それはたとえば、あなたのお母さんが唐突に盗人の罪を着せられ、無罪の証明に途方に暮れるような社会に比べれば、よほどマシなのです。

 

 

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2006/10/22

札束:コントローラの電源

藤田社長爆弾告発、安晋会関連物件も偽装(日刊スポーツ)
「アパは安倍首相の後援会「安晋会」の有力後援者で、同社の広報誌には、自らCMにも登場するアパホテルの元谷芙美子社長らと安倍首相がワインをたしなむ写真が掲載されている。そのため、藤田被告は、安倍首相と親しいアパを守るために、自身がスケープゴートされたと思ったようだ。暴露本の出版も明らかにし「耐震偽装事件に結び付けることは真実の歪曲(わいきょく)だ。あなたたちが真実のジャーナリストなら真実を知らしめるべきだ」と訴えた。」

政治資金規正法の第3条1項をご覧下さい。

政治資金規正法

第3条

「第3条 この法律において「政治団体」とは、次に掲げる団体をいう。
1.政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、又はこれに反対することを本来の目的とする団体
2.特定の公職の候補者を推薦し、支持し、又はこれに反対することを本来の目的とする団体
3.前2号に掲げるもののほか、次に掲げる活動をその、主たる活動として組織的かつ継続的に行う団体
イ 政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、又はこれに反対すること。
ロ 特定の公職の候補者を推薦し、支持し、又はこれに反対すること。」 

政治資金規正法上、後援会など政治団体は3条1項にて規定されています。

普通後援会には企業の会員も多く所属、いや主力メンバーとして所属するわけですが、かつて最高裁は企業献金に関して昭和45年6月24日、八幡製鉄事件という非常に注目を集めた判例を出しています。

それは現在の新日鐵が自民党に政治献金したことをうけ、株主が会社の目的外の行為であると会社に代位し、献金金額の返金を代表取締役に求めた訴訟でした。

そこで最高裁大法廷は、「憲法第三章に定める国民の権利および義務の各条項は、性質上可能なかぎり、内国の法人にも適用されるものと解すべきであるから、会社は、自然人たる国民と同様、国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対するなどの政治的行為をなす自由を有するのである。政治資金の寄附もまさにその自由の一環であり、会社によってそれがなされた場合、政治の動向に影響を与えることがあったとしても、これを自然人たる国民による寄附と別異に扱うべき憲法上の要請があるものではない。」としています。(引用:憲法判例百選〈1〉 有斐閣)

つまり会社がどこに政治献金しようが、常識範囲内なら株主は企業政治献金を定款の目的外だとして文句は言えないのだと結論づけているのです。

そして学説上の通説によれば、なぜ法技術上の人格である法人などに、人権という人間にとっても大切な権利がが認められるのかは、その納税実績など、ひとえに現実としての社会的実体性に求められるのだということになっています。

しかし法学問上は、必ずしも八幡製鉄事件における判例理論は諸手をあげては歓迎されていないようです。

つまり、そもそも厳密にいって投票権や参政権等周辺諸権利を、自然人である国民のもとから仮想人格にすぎない法人へ拡張解釈していってよいものかという憂慮です。

もし資力が個人とは比べものにならない会社やそのグループの献金がアンコントローラブルに認められ続けるのなら、その巨額の政治献金がわたしやあなたの明日を押しつぶす可能性が孕まれているといえます。

事実、政治資金規正法も献金を「政治活動に関する寄附」と呼び、会社等の団体は,政党・政治資金団体及び資金管理団体以外の者に対しては,政治献金をしてはならないとするなど,法人の政治献金が圧倒的に世界をコントロールしてしまう日を警戒しています。

確認検査会社の社長の主張のひとつは、「首相の後援会有力会社が疑義にかかわったためそのスキャンダルが黙殺された」というものです。

もしその言の通りなのだとすれば、それは会社という巨人のもたらす巨額の政治献金が、入居者という個人達をいよいよ圧殺したという図をキャプチャーしたことになります。

それはまさに政治資金規正法の憂慮した事態の現実化を意味しています。

その世界とは、企業という巨人がいかに巨大なのかが、その足に踏まれるまで(たとえば部屋を購入するまで)わからない、目隠しの世界のことです。
 
 
 

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2005/10/27

ニセのエルモとおとり捜査という諸刃のメス

偽者「エルモ」、観光客にチップをせびって逮捕(CNN)
「警察には以前から、有名キャラクターに扮した男たちからチップを強要されたという苦情が寄せられていた。これを受け今年9月には、人気キャラに扮する人々を集めて、無理にチップを要求しないように指導し、従わなければ法的に取り締まると通告していた。今回の逮捕にあたっては、警官2人が英語を話さず米国のチップ習慣になじみのないフランス人観光客を装い、おとり捜査で現行犯逮捕した。」

刑事訴訟法の197条1項本文をご覧下さい。

第197条〔捜査に必要な取調べ〕

「捜査については、その目的を達するため必要な取調をすることができる。(以下略)」

おとり捜査とは、路上のエルモにチップの要求をさせるようにあえて誘い込み、いざ要求したところで逮捕するという捜査方法です。

通常、海外ではおとり捜査が認められていても、日本ではおとり捜査は認められていないなどといわれますが、実際には日本でも判例上おとり捜査は犯人の訴追や処罰に影響をなんら及ぼさないと考えられています。

なぜなら麻薬や売春など、隠密裡かつ常習的に行われる犯罪に対しては、おとり捜査抜きでは犯人検挙や証拠収集が現実的に困難だといえるからです。

ただし実体的真実発見と同時に刑事訴訟法における重要な二大テーマである人権保障の要請も、違法・合法の判断の中には描かれていなければなりません。

おとりが完全にやりたい放題になれば、犯罪に誘わなくて済む人へ犯罪人のレッテルをどんどん貼っていく国になってしまうからです。

欧米では例えば、鍵をつけっぱなしにした自動車を少年が盗んだ場合、逆に鍵をつけっぱなしにした大人が責められるような社会意識があります。

犯罪者にしなくていい少年を、大人がスキを見せて悪の道に誘うことはなかったのだという理論です。

このためアメリカでは捜査員によるおとり捜査を犯意誘発型と機会提供型に分け、犯罪誘発型の捜査を違法とする「わなの理論」というものがあり、日本でもそうした要件立てをするのだといわれています。

つまりことがもし日本でも、エルモが既にやる気まんまんだったときには、捜査官がスキだらけの観光客に扮したとしても機会提供型のおとり捜査であり、人格的自律権を侵害したとまではいえないため、刑事訴訟法の 197条1項本文にある任意捜査として許されるものと考えられるのです。

おとり捜査官にチップを要求してきた路上のエルモには、先だって取り締まりの予告が行われていたことから、必要以上にやる気まんまんだったことが推定されます。

社会の深い場所にある病巣を鋭くえぐり出すと同時に、使い方を間違えれば健康な細胞も切り取ってしまうメス、おとり捜査も、とっても悪いエルモに対しては行使が否定されません。

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2005/08/03

偽ブランド店への店舗賃貸と放たれた猟犬

偽ブランド店:知りながら賃貸した女2人、書類送検 大阪

「調べでは、2容疑者は東成区東小橋3の商店街にそれぞれ店舗を所有。シャネルなど高級ブランドの偽物のバッグなどを販売すると知りながら、昨年11月~今年5月、経営者の男らに相場の5倍以上の月18万~20万円で貸した疑い。2容疑者は「経営していた洋品店が不振で、偽ブランド店の方が高く貸せるのでもうかると思った」などと容疑を認めているという。」

刑事訴訟法の第189条第2項をご覧下さい。

第189条〔一般司法警察職員の捜査権〕

「2 司法警察職員は、犯罪があると思料するときは、犯人及び証拠を捜査するものとする。」

犯罪が組織的になると個人で行われる場合に比べて巧妙・強力になり、その捕捉や立件が非常に難しくなります。

そこで平成11年、組織犯罪を対象に個人でそれを行ったときより重罰に処することで組織犯罪を威嚇する、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律(通称 組織犯罪処罰法)が成立しました。

また同年、同じ目的で一定の犯罪の捜査のための通信傍受を認めた「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」や「刑事訴訟法の一部を改正する法律 」も成立しています。

これらは総称して俗に組織的犯罪対策三法と呼ばれています。

かつて霞ヶ関を狙った地下鉄サリン事件は、「私たちの社会は善意が覆っている」という共通幻想を黒く塗りつぶしました。

さらに犯罪を犯す人々が国境をまたいで活動し始め、それにより犯罪人捕捉を難しくしていますので、各国が同一価値観を結んで協力しあうべき要請も高まっています。

組織的犯罪対策三法はこうした組織による犯罪の複雑化、広域化に対応していこうとする立法なのだと説明されています。

一方、こうした法群が立体的に機能しはじめることには、識者から非常に懸念も示されています。

すなわち組織的犯罪対策三法の立体運営からは、読みようによっては捜査機関の私たちに対する「どんな連中も油断するとすぐにでも犯罪を犯そうとするのだ」という視点を読み取ることが可能だからです。

刑事訴訟法はその189条で捜査は「犯罪があると思料されるとき」に初めて出動することをおまわりさんに許しています。

その立法趣旨は「社会法益の保護をなるべく早期に実現せよ」という糾問的要請と、「誰も彼もを犯罪の嫌疑にかけるような捜査はするな」という弾劾的要請の拮抗の表現にあると思われます(私見)。

刑事訴訟法という猟犬は、真実発見の方向に牙を研ぎすぎれば必ず噛まなくてもよい人権をも切り裂いて血を流してしまう獰猛さをも持ちあわせているのです。

盗聴などという予備的な捜査や、今後立法を予定されている共謀罪などという会話そのものを取り締まる法は、その哲学中に「真正の悪人」などというものを観念することがあたかも許しているかのようです。

偽ブランドショップに店舗を貸すという単に家賃を受け取っただけの女性二人は、明らかな情知により組織犯罪処罰法の第11条、犯罪収益等収受で書類送検されました。

しかし組織的犯罪対策という三頭の猟犬は、改正というヤスリをその牙にかけられることで、今後の適用範囲が非常に不明確になる特質をもっています。

手綱を緩める改正をずるずる許せば、彼らの行く先は狩人自身にも見えなくなっていくのです。
 

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2005/07/24

誤って射殺された電気技師とキングジョンの亡霊

射殺男性は爆破事件とは無関係=ロンドン警視庁 (Yahoo)

「ロンドン警視庁は23日、地下鉄ストックウェル駅で警官が射殺した男性は、21日の爆破事件とは無関係であったことを認めた。男性はブラジル人の電気技師で、3年前からロンドンに住んでいた。」

マグナカルタの39条をご覧下さい。

Magna Carta 39 due process of law

「No free man shall be taken or imprisoned or disseized or exiled or in any way destroyed, nor will we go upon him nor send upon him, except by the lawful judgment of his peers or by the law of the land.」 

(私訳)

「自由たる人は、法の下の裁判か国の法によらざれば、連行や拘束、奪取や法不加護、追放などを受けることはない。」

13世紀のはじめごろ、イギリスとフランスは領土や王権の話でたえず揉めるようになりました。

1209年、イギリスのジョン王はローマ教皇とけんかをして教会を破門されてしまいたし、フランスの王とけんかにまけてフランスにあった領土を失ってしまっていました。

そのうえで財政に行き詰まり、重税が国に課されるようになると、高い身分を有していた僧侶や貴族がこのだめな国王の舵取りに嫌気をさすようになっていました。

そこで彼らは国王に対して世界史上はじめて63個の条文を守らせることを約束させました。

これが世界最古の法律、マグナ・カルタです。

マグナ・カルタには現代、世界各国の掲げる憲法の、原形となった記述がいくつも書かれていました。

それはたとえば

・新税は貴族と僧侶に相談してから課すこと

・土地の相続税は気分次第で変えないこと

・City(ロンドン)には商業の自由やさまざまな特権を与えること

などです。

そしてマグナカルタのなかでも特筆すべき重要性をもった条文が第39条、適正手続(デュー・プロセス条項)だといわれます。

私たちの国の憲法も31条において適正手続の精神をマグナ・カルタから召喚しています。

そしていまやそれは地上に人間と権力被委託機関(国家)が有る限り、はずせなくなった、史上の産物であるといえます。

今回の事件の情報を世界各地の新聞でいろいろ読んでみると、誤射された電気技師のブラジル人青年は、もともと住所間違いから尾行されたうえ射殺されてしまったようです。

明らかに適正手続は踏まれていませんが、現在ロンドンでは licence to kill (殺しの許可証)が全警官に事実上出されているとさえ書く大衆紙もあります。

無法の世界を支配したキング・ジョンを墓から呼び出してしまうのは、いつの時代も恐怖心です。

そして terrorism の目的が terror (恐怖)の植樹である以上、適正手続の鎧を貫通して青年が射殺されてしまう事態は、テロルの一面的成功を表現してしまっています。
 

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2005/06/12

50円の古新聞による逮捕とバスティーユの襲撃

時価50円の古新聞盗み逮捕 資源回収所から持ち去る(livedoornews)

「警視庁深川署は11日、東京都江東区の資源回収所から古新聞約10キロ(時価50円相当)を持ち去ったとして、窃盗の現行犯で自称資源回収業ら2人を逮捕した。

フランス人権宣言の第8条をご覧下さい。

第8条

「法律は厳格、明白、必要な刑罰でなければ定めてはならず、犯行の前に設定され、公布され、かつ、適法に適用された法律によらなければ処罰されない。

(原文)
Declaration des Dorits de l'homme et du Citoyen de 1789
Art.8
La Loi ne doit étabir que des peines strictement et évidemment nécessaires, et nul ne peut être puni qu'en vertu d'une Loi établie et promulguée antérieurement au délit, et légalement appliquée. 」
 

件の古紙回収業者、区の所有物を窃取すなわち持ち去っていますので、235条の書いてある通りの動作はしています。

これを構成要件該当性といいます。

しかし刑法は私たちから権力を受託した歯止めの効かない国家が、同じ人間を檻に入れたり、命を法の名の下に奪ったりする判断システムですので、慎重を期すためこのほかに、違法性、そして有責性という全部で三つのザルを使って、最後まで落ちてきた人だけを皆が納得して罰を与えることにしています。

この三つのザルを犯罪構成要素といいます(詳しくは本誌左上の、”六法に書いてあること”ご参照下さい)。

つまり構成要件該当性を認定されたあとは違法性の判断に入るわけで、違法性とは端的に「彼、彼女は刑法の罰を与えるに十分な悪い奴だ」といえるかどうかという判断のことです。

このためたとえば正当防衛で人を殴った人は、たとえ構成要件上暴行罪にあたる行為をしていても違法性が阻却されます。

さて、たかだか50円分の新聞を盗んだ窃盗行為、いくら額は関係ないといっても司法が彼らを前科者にしようとするに十分な違法性があるといえるのでしょうか。

この問題を解決しようとするのが、刑法における「可罰的違法性理論」と呼ばれるものです。

可罰的違法性とは、構成要件該当行為に含まれる、刑事処罰に値する質的及び量的内容のことです。

そして一般的には違法な行為だとしても、そこに可罰的違法性がないのなら犯罪の成立を肯定しないのが可罰的違法性理論で、学説上の通説だといわれます。

この通説には、謙抑主義と呼ばれる思想が表出しています。

謙抑主義とは、刑法の刑罰という直接的で過酷な制裁手段行使は、穏やかな他の制裁で効果のない時だけ最小限度出動させようという態度です。

50円分の財産の窃取行為に対していきなり司法が刑法で前科者にしようとするのは、やはり刑の必要最小限の出動という精神より別の判断基準が優先しているように感じられます(私見)。

かつて十八世紀、マリーアントワネットら貴族はベルサイユ宮殿の中で放蕩のかぎりを尽くし、逆にその体制に逆らうものには必要以上の刑をもってバスティーユ牢獄に大量収監していました。

このためフランス革命はまず、そのバスティーユを人々が襲撃したことから火の手が上がり、そしてその結果生み落とされたのが他ならぬフランス人権宣言です。

「不要な刑の濫発」は王の首を落とすほど人に悲しみを与えたのです。

冒頭フランス人権宣言8条前段で「必要な刑罰で(nécessaires)」という文言を用い、謙抑主義を念押ししたのはこれがためです。

一時期、日本の最高裁も採用していると見られていた可罰的違法性といういわば穏健な理論も、昨今の判例はこれに同調しない方向にあるともいわれています。

区民の皆で苦労して集めた新聞という区の財産を勝手に業者が持って行くのは確かに腹立たしいでしょう。

しかしたった50円分の古新聞窃取という行為に対して最終的に司法が刑事罰を与える方向を市民が怒りにまかせて安直に支持してしまうのは、歴史を遡れば他ならぬ私たちと法理との手を離してしまいかねません。

私たちにはこの点に十分な注意が必要です。
 

 
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2005/05/01

職務質問の任意性と天皇の下僕

埼玉県警巡査部長が発砲、男性が重傷 職質中もみ合いに(goo)

「巡査部長は数メートル離れた場所から、威嚇射撃はせず、いきなり発砲したという。発砲した後、巡査部長は「おれは終わりだ」などと叫び、茂みに逃げ込んだという。」

警察官職務執行法2条3項をご覧ください。

第2条(質問)

「3 前二項に規定する者は、刑事訴訟に関する法律の規定によらない限り、身柄を拘束され、又はその意に反して警察署、派出所若しくは駐在所に連行され、若しくは答弁を強要されることはない。」

(意訳:警官の質問だろうとも、答えたくない人には答える義務はない。) 

かつて警察官はその正式名称を警察官吏といいました。

官吏とは天皇の下僕という意味です。

その警察官吏を治めた行政警察規則第三条は、その職務内容を「第一、人民の妨害を防御すること、第二、健康を看護すること、第三、放蕩淫逸を制止すること、第四、国防を犯そうとする者を隠密中に検索警防することの四件とす」と定めていました。

それはよく言えば分厚いパターナリズム、悪くいえば非常におせっかいなところまで警察官吏がズカズカと踏み込める危険性をもった内容を持ったものでした。

現在の行政警察規則にあたるのが警職法ですが、その親玉は刑事訴訟法であり、そしてその刑事訴訟法も逆らえないのが法律の大ボス、憲法です。

国家概念を一人の王から規定していた旧憲法は、戦争に負けた後GHQにより「一人一人の命を出発点に国家を組みあげる憲法」に大改造されました(私見)。

そのため新憲法は、配下の刑事訴訟法、そして警職法に「職務質問のための停止は強制処分に至らない範囲でのみ許される」ことを念押ししています。(憲法三三条・三五条、刑訴法一九七条一項)。

これを強制捜査法定主義と呼びます。

そしてこれがために、警察官の職務質問は任意の範囲でなければならないのです。

なぜならば、そうでない職務質問は、人権の最後の避難所である裁判所の許可(令状)の目の届かないところで、好きなように暴走しはじめる契機をあたえるものであり、それではおおよそ「一人一人の命を出発点に国家が組みあがっている」状態とはいえないからです。

人は誰しも他人から重んじられて生きていたいと願っています。

そのため幾ばくかの権力を日常的に与えられると、誰でもその拡大と永続、すなわち濫用をどうしても志向してしまいます。

先人は歴史を踏まえて警職法という安全な構造を作りましたが、いつのまにかその構造のなかを意図しない形で力が流動を続け、もともとの構造が表現した意味も内部から変えつつある可能性があります。

もし万が一その場合は、新しく世の中の力学を規定しなおす構造(法)の建築が必要であるのかもしれません。
 

 
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2005/03/15

起訴便宜主義で美人を逃そう

小泉今日子さん、起訴猶予処分に あて逃げで東京区検(朝日新聞)

刑事訴訟法の248条をご覧ください。

第248条〔起訴便宜主義〕

「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる。」

起訴猶予とは、訴訟条件を具備し犯罪が成立するのに、検察官の独断で不起訴にする処分のことです。

刑事司法のレールに当該者が乗ることで社会的に”犯罪者”というレッテルが貼られてしまうことを避ける効果があります。

しかし逆にいえばこの裁量範囲が広げすぎると、同じ犯罪でも検察官の判断で訴追されたりされなかったりすることになります。

そうなると結局、犯罪を犯した人の社会的評価は、検察官の機嫌次第だという暗黒の社会に逆戻りする危険も潜みますので、起訴猶予を好ましく評価しない向きもあります。

新聞配達のバイクに車をぶつけてそのまま走り去り、コメントが「たいしたことないと思った」というのは個人的には信じられない発想です。

ただただ、検察官が小泉今日子さんの猛烈なファンだから起訴猶予にしたってことではないことだけを祈ります。

もしそうだったなら、世の中がマズい方向に足を向けはじめていることの兆しですから。

 

 

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2004/12/20

自白:証拠の女王

検事が被告の妻に「自白させて」圧力・二審で無罪確定

「一審・高知地裁で公判中の同年11月、捜査、公判を担当した高知地検の検事が八恵さんを地検に呼び、「きちんとしゃべらせてほしい」「認めていれば刑務所に入ることもない」などと一方的に話し、面会の際、真一郎さんを説得するよう求めたという。」

検察庁法の4条をご覧下さい。

第4条

「検察官は、刑事について、公訴を行い、裁判所に法の正当な適用を請求し、且つ、裁判の執行を監督し、又、裁判所の権限に属するその他の事項についても職務上必要と認めるときは、裁判所に、通知を求め、又は意見を述べ、又、公益の代表者として他の法令がその権限に属させた事務を行う。」

この条文には、検察官は単に利害対立を前提として一方の利益を追求するといった地位にあるわけではなく、公益の代表者として裁判所に法の正当な適用を請求すべき地位にあるべきだということが書いてあります。

検察官は確かに社会秩序の維持に奉仕する行政官ではあります。

しかし告人の正当な利益も十分に配慮し、手続の適正を確保する準司法官的役割を果たすことが要請されているのです。

ではなぜ今回の検察官は、間接的な自白の強要に走ったのでしょうか?

まさか高知地検の検察官が4条を無視して、現実問題ノルマに追われる事件件数処理マシンの一部に成り下がっていたということではないと信じます。

かつて自白を証拠の女王と呼び、あらゆる手段でこれを強制した時代が続きました。

そして今回の一件も、残念ながら今日もなお自白追求型の捜査が行われている片鱗を匂わせるものではあります。
 

 
(Copyright(C) 恵比寿法律新聞)

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