2007/07/04

皇帝はボーナスを手に去った

森世田谷区議が辞職 虚偽経歴で (iza)
「区民団体が6月下旬から議員辞職を求める署名を行っており、辞職が決まった3日には1万人を超える署名が森氏に手渡される予定だった。森氏には5~7月分の議員報酬(月額61万9000円)のほか、6月29日には夏のボーナス44万4287円が支給されている。区の規定で議員報酬は1日でも在籍すると、1カ月分全額が支給されることになっている。」

世田谷区議会議員の報酬及び費用弁償等に関する条例の、2条、3条、8条をごらんください。

第2条(抜粋)

「議員の報酬の額は、次のとおりとする。

議員 月額 619,000円」

第3条

「報酬は、議長、副議長、委員長及び副委員長にあっては、その選挙又は選任された当月分から、議員にあってはその職に就いた当月分からそれぞれ支給する。」

第8条(抜粋)

「議長等及び議員で3月1日、6月1日及び12月1日に在職する者に対して、それぞれの期間につき、期末手当を支給する。基準日前1月以内に任期満了等により退職、失職又は死亡した議員についても同様とする。

2 期末手当の額は、それぞれ前項の基準日現在において、同項に規定する者に支給すべき第2条に定める報酬月額及びその報酬月額に100分の45を乗じて得た額の合計額に、3月に支給する場合においては100分の25、6月及び12月に支給する場合においては100分の165を乗じて得た額に、基準日以前3月以内の期間におけるその者の在職期間の区分に応じて、次の表に定める割合を乗じて得た額とする。

基準日が3月1日又は6月1日である場合

在職期間

3月          100分の100

1月15日以上3月未満  100分の60

1月15日未満      100分の30」 

森学元世田谷議員の基本給は、世田谷区報酬条例2条によって61万9千円。

期末手当は、まず基本歳費619,000円に対する1.45倍が基本でこれが89万7千5百50円。

6月の支給の場合、この合計額を1.65倍して満額は148万957円。

基準日6月1日移行、彼の在職期間は1.5ヶ月に満たないため、さらに100分の30を乗じた44万4千2百87円となり、彼は今月基本歳費とあわせて106万3千2百87円を手に職を辞しました。

詩情あふれる童話をいくつも残したデンマークの詩人、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの作に有名な「皇帝の新しい服」、いわゆる裸の王様があります。

着飾ることの好きな皇帝の国に二人の詐欺師が現れ、自分達は「ついている地位にふさわしくない人間か、あるいはどうしようもなく頭のわるい者には、まるで見えない布地で織られている」衣装をもっているといいふらします。

当然老大臣も、とりまきも、そして皇帝自身にもその”権威”は目に見えませんが、権威のない自分を認めたくない皇帝とその取り巻きは街にパレードに繰り出し、それを見た人々も口々にばか者と思われないよう、目に見えない衣装という権威をほめそやします。

唯一パレードを見た子供だけが、皇帝は何も着ていないと言い始め、衆目も大声をあげまじめます。

この話の一番痛いところは、皇帝と側近が、いまや衆目に指摘された裸の権威を、さらに胸を張って行進をつづけざるをえなかったところにあります。(参照:アンデルセン童話集 荒俣宏訳)

しかしわたしたちは裸の王様の話を笑うことがあっても、自らの身の回りに権威のあるブランドバッグや、権威ある肩書きへ寄り添うことには余念がありません。

ボーナスが出るまで待って辞職するその態度を見るまで、わたしたちは一等書記官という候補者が勝手に纏った権威の前に、その人の本質をはっきりとは見定められないのです。

*世田谷区役所に直接確認の電話をしたところ、以前の記事において期末手当と基準日の関係の理解に誤りがあることがわかりました。お詫びして訂正します。

 

 

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2007/05/30

与党による議員立法という速射砲

動転国会 首相、窮地回復急ぐ(朝日新聞)
「民主党は30日の厚労委での審議で、特例法案の不備をあぶり出そうともくろむ。党幹部は「ひどい法案だ。時効だけで中身が全くない」と酷評。閣僚が答弁しない議員立法であることも問題視し、松本剛明政調会長は29日の会見で「政権のあり方として責任を感じていないことに憤りすら覚える」と強めた。 」

内閣法の5条をごらんください。

第5条

「内閣総理大臣は、内閣を代表して内閣提出の法律案、予算その他の議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告する。」

(以下参照:国会というところ 浜田 幸一 ポプラ社

新しい法律の案は、議員から出てくる場合と、政府から出てくる場合があります。

議員が法律案を発議して行われる立法を俗に議員立法と呼び、内閣法5条にある政府が法律案を提出して行われる立法を政府案にと呼びます。

政府案というのは、具体的には官僚が作成する法案のことをいい、省庁の実質的最高権力者である事務次官が事務次官会議で決めています。

そして可決される法案のほとんどは、この事務次官による政府案が占めています。

議員立法が通過する割合が少ないのは、政府案が国会に上がる前から与党の中でその内容について審議しているのに対して、議員立法は野党案が多いからです。

野党案が通らないのは、与党の支配する本会議で否決されるからですが、本会議前の委員会という審議の場で既に否決されているためで、委員会で否決になった法案が本会議で可決になることはまずありません。

つまり法案は実質的には委員会で決まっているというわけです。

国会に上がってきた法律案は、委員会で審議した結果をふまえて本会議で採決されますので、ほとんどの場合、委員会の決定が本会議に反映されるのです。

しかしたとえ与党の議員立法であっても、普通は法案が国会に上がるまでに長い回廊を通らなければなりません。

まず各政党の中には部会というものがあり、この部会で、どのような法律が必要なのか、二年も三年もかけて議論します。

部会の中で案が固まると、今度は党の政務調査会にかけます。

その政務調査会の会長が首を縦に振らなければ、法案は決して上に上がっていきません。

もし無事にこの政務調査会を通過すると、今度は総務会です。

総務会では全会一致を要求されますが、そこで了承されれば、最後に党の役員会に上がります。

役員会で決定されると、今度は国会対策委員会に下りていきます。

国会対策委員会、略称国対は政党間の話し合いを行う場で、提出法案について他党に事前に打診をなし、国会に出る前に、政党同士で話し合いが行われるのです。

そして野党が了承し、国会に提出された法案は、まず議院運営委員会に回されます。

議運が国会のどの委員会に法案の審議を任せるかを決めています。

このように通常政党内の長い旅を経て国会に現れる議員立法には、省庁の官僚が書き上げた政府案に対する議員からの質問が必要ないため、閣僚は官僚が差し出す答弁メモを読み上げる必要が、つまり省庁自身からの立法の説明が必要ありません。

つまり与党がその気になって素早く議員立法を提出すれば、法案に対する議論を尽くすという国会の名目はある意味形骸化します。

しかしその与党を形成したのは、他ならぬ、わたしやあなたの投票、あるいは投票の放棄の結果です。

民主制という体を維持しているわたしたちの国では、わたしたち、特に選挙会場に一度もいったことのないあなたには、そのことがもたらす結果に、仕組み上全く不満はないはずなのです。

 

 

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2007/03/26

政見放送:法のカプセル

’07統一地方選 予定者の政見 ネットTVで(東京新聞)
「統一地方選で行われる新宿区議選(四月十五日告示)で、立候補予定者が、インターネットの動画サイトで政策を語る「政見配信」が実施される。区内のネットTV「新宿放送局」(松永通之社長、http://shinjukutv.com)の企画。都知事選などと比べ関心が低調な区議選の盛り上げを狙う。同局は「全国でも前例のない試み」としている。」

公職選挙法の第150条1項をご覧下さい。

第150条(政見放送)

「1 衆議院議員の選挙においては、候補者届出政党は、政令で定めるところにより、選挙運動の期間中日本放送協会及び一般放送事業者のラジオ放送又はテレビジョン放送の放送設備により、公益のため、その政見を無料で放送することができる。この場合において、日本放送協会及び一般放送事業者は、その録音若しくは録画した政見又は候補者届出政党が録音し若しくは録画した政見をそのまま放送しなければならない。」 

公職選挙法150条1項後段は、NHKに候補者の政見を”そのまま放送しなければならない”と命じています。

普通放送事業者には、編集権という権利が認められていますが、政見の発表は、その編集から防がれなければ、内包する新しい価値観の芽を悪気なく摘まれてしまいかねないからです。

また候補者からも150条1項後段を根拠に、政見として録取した情報をそのまま放送するよう請求できるものと考えられています。

したがって放送事業者の立場、候補者の立場の両面から、政見は内容を問わずそのまま放送されることが原則になります。

それらは政見というものが、わたしたちの意思を間接的に政治の場に反映させる、戦後手に入れたシステムの中核を担うものにほかならないからです。

しかしそのことと、政見が他の法益を侵害する場合にも例外なく削除は許されないのかという実体的な観点とは、また異なります。

たとえばあなたのお母さんと仲のよくないお隣さんが立候補して、その政見放送時間内でお母さんの悪口を、あることないこと話されたのではたまったものではありません。

この難しいバランスを巡っては現在も学説が衝突しており、最高裁によってもはっきりとした境界線は示されていません。

過去、差別用語を連発した政見をNHKに録取させ、その部分を編集・削除されてしまった候補者がNHKを訴えた争いがありました。(平成2年4月17日)

このとき最高裁は、150条の2(品位の保持)を持ち出し、150条1項後段の問題には触れることなく政見の編集を問題なしとしています。

問題のキワは、品位、善悪といった基準が政治の体制や時代の空気とともに変遷してしまうという点に存在しています。(私見)

そしてその点から出発すれば、やはり候補者の見解は極力そのまま放送することが保障されているべきだと考えられます。

なぜならば、現段階の良心でよかれと思ってなす編集が、実は次世代の幸福の芽を摘んでいる可能性もあるからです。

というわけで、現状で政見の放送は、いわば公職選挙法150条1項後段というカプセルに入れて守られ、内容によっぽどのことがあった場合は想定にない緊急措置をもって対応をするのだと考えられます。

そのカプセルは、次世代の政治の雛形かもしれない”政見”というものを、編集という現状の価値観による粘液から保護するための容器であり、「現在の価値観では図れない新しい価値観が、世の中を少しでもよくするかもしれない可能性」によって特別に発注されています。

そしてわたしやあなたは、その特注カプセルに劇薬が入っていてもわからないほどの強度を与えるべきかを、現状も悩みつづけているのです。

 

 

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2007/03/17

主砲は投票、砲弾は立候補

タレントの桜金造氏、出馬の意向=都知事選(時事通信)
「タレントの桜金造氏(50)は16日、東京都知事選(4月8日投開票)に立候補する意向を表明した。取材に対し「少子化対策や防犯に力を入れたい」と述べた。16日午後、都選挙管理委員会事務局を訪れ、立候補の関係書類を入手した。桜氏は広島市生まれで東京育ち。1975年にコメディー集団「ザ・ハンダース」で芸能界デビュー。テレビドラマや映画などで活動している。」

憲法の15条1項をごらんください。

第15条

「1 公務員を選定し,及びこれを罷免することは,国民固有の権利である。」 

公職に立候補できる権利は誰にでも保障されていそうですが、法律的には、単に投票ができる自由より年齢等比較的厳しい条件が課せられています。

実は憲法のどこにも、「国民には立候補する自由がある」とは書いてありません。

そこでこれに関してモメ事が起きると、いったい立候補する自由ってのはあるのかないのかが過去争われてきました。

(法律は立候補しようとする人に条件だけを突きつけており、立候補する自由などは書いていないという学説も有力でした)

その代表的なものとして、昭和43年に炭鉱の労働組合内の内紛が法廷に持ち込まれた事件がありました。

北海道の炭鉱労働組合で、市の議員を選挙する時、組合に利益のある統一候補者を全員で支持しようとしたところ、ひとりの組合員が勝手に立候補しようとしました。

組合役員は票が割れることを防ぐため、立候補を辞めさせようとしましたが彼は翻意せず、結局彼が当選してしまいました。

組合役員は彼に一年間組合員としての権利を停止すると通告したので、当選人を威迫したとして公職選挙法違反に問われた裁判です。
(三井美唄炭鉱労組事件 昭和43年12月4日)

このとき最高裁は、

「被選挙権を有し、選挙に立候補しようとする者がその立候補について不当に制約を受けるようなことがあれば、

そのことは、ひいては、選挙人の自由な意思の表明を阻害することとなり、自由かつ公正な選挙の本旨に反することとならざるを得ない。

したがって、立候補の自由は、選挙権の自由な行使と表裏の関係にあり、自由かつ公正な選挙を維持するうえで、きわめて重要である。

このような見地からいえば、憲法15条1項には、被選挙権者、特にその立候補の自由について、直接には規定していないが、

これもまた、同条同項の保障する重要な基本的人権の一つと解すべきである」のだとして、立候補する自由保障の法的論理構成を示してみせました。
[参照:憲法判例百選(2) 芦部信喜・高橋和之・長谷部恭男 有斐閣]

そうした判例理論、そして現在の学説上の通説によれば、わたしやあなたの投票する自由の真価を担保する形で、立候補する自由もまた保障されているというわけです。

つまり立候補の自由は、わたしやあなたの過ごす一生の環境を決めるために用意された、”表現の自由”という主砲が放つ砲弾選択の自由です。

 

 

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2007/03/14

ガラスボートの上で銛を研げ

松岡農相の光熱水費問題、閣僚からも「説明不十分」(読売新聞)
「13日の閣議後の記者会見で、松岡農相の資金管理団体の光熱水費問題について、各閣僚から擁護論が出る一方、農相が説明責任を果たすよう求める声も上がった。尾身財務相は「(農相は)政治資金規正法にのっとって適切に届け出をしている。ルール通りのことをやっているということで私はいいと思う」とし、冬柴国土交通相も「政治資金規正法にのっとっているのであれば、それ以上言うことはない」と語った。ただ、高市沖縄相は「今の説明では私自身も分からない。具体的にこういう品目でいくらかかったと、ざっくりとなら出せるのではないか」と強調。山本金融相も「通常の常識の範囲内に収まるまで議論を尽くさないと説明責任は全うできない」と述べた。」

政治資金規正法の第12条をご覧下さい。

第12条(報告書の提出)

「政治団体の会計責任者は、毎年12月31日現在で、当該政治団体に係るその年における収入、支出その他の事項で次に掲げるものを記載した報告書を、その日の翌日から3月以内に、第6条第1項各号の区分に応じ当該各号に掲げる都道府県の選挙管理委員会又は総務大臣に提出しなければならない。」 

わたしたちの国の政治は、わたしたちが直接運営しません。

そのかわりに代表者を選んで国会に送り込む、いわゆる議会制民主主義をとっています。

この議会制民主主義で政治家が本分を発揮しようとすれば、主義・主張を実現するために団体を作って、議会の多数派を形成しなければなりません。

そのためには選挙の時だけではなく、日常的に多様な政治活動が必要になります。

しかし、そのためにはなにはなくとも大量に先立つものが必要になります。

それは人件費であったり、事務費、通信費、調査費、あるいは交際費などの、つまりお金です。

そのためそういったお金をどこから調達してくるのかは、政治家の頭の中を常に占領する避けがたい問題になります。

逆に言えば政治を自分のビジネスに都合よく動かしたい団体からは、まさにそこがつけいる隙になります。

そこで代表者を送り込む私たちとしては、なんとかそこから議員が特定勢力のパシリになることを避けるための手だてをたてなければなりません。

しかし団体の献金などを直接法で封じてしまうことは、憲法の保障する表現の自由・政治活動の自由を制約してしまうことにもつながります。

そこで政治資金規正法は、せめて政治資金の流れを国民の前にガラス張りで公開し、わたしたちの判断を仰ぐために昭和23年に成立した法律です。

つまりこの法律は、やたら濁りやすい議会という海に収支報告書というガラス底のボートを浮かべ、いつも海底をなるべくわたしたちに見えやすくしようというような存在です。

もしそのガラス底をのぞき込むひとが海底に歳費を喰う魔物を見たとしても、船の底がガラスであることだけが法律ならば、わたしたちはその魔物をみすみす見送らなければなりません。

「農相は政治資金規正法にのっとって適切に届け出をしている」という言い分は、わたしたちに銛で魔物を刺すための新しい条文を要求しています。(私見)

 

 

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2005/08/29

苗も耕作者を観察する

東京12区、八代英太氏が無所属で出馬表明(読売新聞)
「八代英太氏が29日午前の記者会見で、東京12区不出馬の方針を撤回した理由に挙げたのは、一時は「比例選擁立」をにおわせるなど、迷走した小泉首相や党執行部への怒りだった。八代英太氏は「『郵政民営化の次は福祉だ。あなたは本当に日本の福祉を支えてきた。あなたの出番だ』と激励された。『おれを信じてくれ』と4回も励まされた」と、首相との水面下のやり取りもぶちまけた。」

憲法15条の1項をご覧下さい。

第15条〔公務員の選定罷免権〕

「公務員を選定し,及びこれを罷免することは,国民固有の権利である。」

誰にも国民として立候補の自由が与えられています。

与えられているといっても、憲法に「立候補の自由」がはっきり書いてあるわけではありません。

しかし15条の1項に「パブリック・サーバントを選択・解雇する権利は国民にしかない」と書いてある文章を裏読みしてこれを保障します (判例・通説)。

つまりいろいろな人が自由に立候補できるからこそ、私たちにしかない「パブリック・サーバントを選択・解雇する権利」が実効化するのだと解釈することで、選挙権と被選挙権とを一体視する理論です。

実は昭和43年に、組合の要請を振り切って立候補してしまった組合員と、所属組合の衝突を裁いた三井美唄炭鉱労組事件と呼ばれる争いがありました。

その判例は『被選挙権を有し、選挙に立候補しようとする者がその立候補について不当に制約を受けるようなことがあれば、そのことは、ひいては、選挙人の自由な意思の表明を阻害することとなり、自由かつ公正な選挙の本旨に反することとならざるを得ない。』

『したがって、立候補の自由は、選挙権の自由な行使と表裏の関係にあり、自由かつ公正な選挙を維持するうえで、きわめて重要である。』

『このような見地からいえば、憲法15条1項には、被選挙権者、特にその立候補の自由について、直接には規定していないが、これもまた、同条同項の保障する重要な基本的人権の一つと解すべきである』と明言しています。

当該議員はたしか立候補を一旦断念したとき、「自公連立の妨げになるので」という理由を発表されたはずですが、今度は比例名簿に記載されなかったことで「約束を破られたので」やはり今回無所属で結局東京12区に出馬されることにしたそうです。

もし候補者と投票者の関係が商取引ならば、「それは御社の社内事情であって弊社にはなんの関わりもないのでは?」といいたくなるようなお話ですが、最初に当該議員が国民に提示した立候補取りやめ理由は、間接的には無意味化することになります。

立候補する人の自由はともかく、候補が自らの意思に反して出馬を取りやめるのは、国民側からの視点を忘れなければ憲法15条1項で定められたパブリック・サーバントを選択する幅を一旦狭めらたことになりますので、わたしたちは無意識に候補者の出馬取りやめ理由にはいちいち耳を傾けて、次回のためにその人となりを判断する材料にしています。

国民とは、国会議員にならんとする人たちからみれば畑の一苗(票田)にしか見えないかもしれませんが、わたしたち苗のほうも畑にやってくる耕作者の言動には物言えぬ苗ならばこそ意外なほど十分注意しているのです。

言動を一貫させようと努める態度のことを、私たち苗は清廉と呼んでいます。

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2005/08/22

ケインズの亡霊が解体はダメだと叫ぶ

郵政反対派が「新党日本」 代表は田中長野知事(朝日新聞)
「参加は前衆院議員3人と参院議員1人の計4人にとどまり、5人以上が必要とされる公職選挙法上の「政党」の要件を満たすことができず、政治団体として発足した。 」

政治資金規正法の第12条1項をご覧下さい。

第12条(報告書の提出)

「政治団体の会計責任者は、毎年12月31日現在で、当該政治団体に係るその年における収入、支出その他の事項で次に掲げるものを記載した報告書を、その日の翌日から3月以内に、第6条第1項各号の区分に応じ当該各号に掲げる都道府県の選挙管理委員会又は総務大臣に提出しなければならない。(以下略)」

政治資金規正法は、政治団体と公職の候補者の政治活動の公明と公正を確保し、民主政治を健全に発達させようという趣旨の法律です。

ではなぜ12条のような、献金元の公表を求める法律がそのことに有効なのでしょうか。

それは巨額の献金によって、代表民主制というルールの下で理念を実現しようとしている政治団体が、特定の団体の利益のための使い走りになることをさけようとする立法です(私見)。

ここで代表民主制とは、権力の行使を選挙によって選ばれた代表者だけにさせる、間接的な国民主権の行使の仕方です。

日本国憲法前文にも「そもそも国政は,国民の厳粛な信託によるものであつて,その権威は国民に由来し,その権力は国民の代表者がこれを行使し,その福利は国民がこれを享受する」と書いてあるのですが、これが間接民主制を承認しているといわれています。

つい最近も日歯連の献金のあと、歯医者さんにとってとても有利な法案調整が自民党を通して行われたことがはっきりしたことがありましたが、政治資金規正法はまさにこういった事態を避けるための立法といえるでしょう。

政治団体である新党日本、その構成員の小林興起氏は元旧通産省出身の元役人、滝実氏は旧自治省出身の元役人、荒井広幸氏は郵便局長のご子息、そして青山丘氏と田中康夫氏はどちらもケインズ型(利益誘導型)政治の直系である小沢一郎氏と非常に近い位置にあるといわれています。

要件を満たさないため政党にはなれなかったとはいえ、政治団体は政治資金規正法が正式に監視下におくものです。

もし今後どこかに合流するとしても、優秀な人たちのそれぞれに一定有力団体による政治コントロールの手段とならぬ矜持があることを期待しています。
 

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2005/07/03

愚民観:あなたが選挙に行かない理由

東京都議選、投票率前回やや下回る…午前10時現在 (Yahoo)

公職選挙法143条をご覧下さい。

第143条(文書図画の掲示)

「選挙運動のために使用する文書図画は、次の各号のいずれかに該当するもののほかは、掲示することができない。

5.前各号に掲げるものを除くほか、選挙運動のために使用するポスター選挙運動のために、アドバルーン、ネオン・サイン又は電光による表示、スライドその他の方法による映写等の類を掲示する行為は、前項の禁止行為に該当するものとみなす。(以下略)」 

私の家にも赤い文字の封筒が渋谷区選挙管理委員会から届いています。

通常私が投票する場合、投票所の手前に立ててある候補者ポスターをチラっと見て、一瞬の判断で決めなければなりません。

これだけインターネットが普及した現在、ぜひ投票前にゆっくり各候補者のホームページを見て決めたいところです。

東京都の場合、選挙管理委員会のホームページで重いPDFファイルが開くのを待つと、各区の候補者名だけは見ることが出来ますが、それが各候補者のホームページにリンクされているようなことはなく、候補者名をひとつひとつ検索窓に入れて候補者のページを引くことになります。

渋谷区では、ホームページを独自に設置していた候補者が3名、党のページに候補者の記事があったのが1名。

東京都選挙管理委員会のホームページによれば、「選挙運動にわたらない純粋な政治活動として、インターネットのホームページを利用する事は自由に出来ます。しかし、選挙運動期間中に開設したり、書き換えたりする事は、禁止行為となり、公職選挙法に違反します。」との見解に落ち着いているようです。

どうやら公職選挙法はホームページによる選挙運動について、あまり前向きでないようです。

今日はこれがなぜなのか、ネットの片隅で考察してみましょう。

そもそも選挙運動とは、特定の選挙における特定の候補者の当選を得ることを直接の目的としてなされる行為で、「選挙運動の公正を維持するため」、厳しく拘束されているのだといわれます。

しかし私たちの国の公職選挙法は、他の国に類を見ないほど、際だって厳しく選挙運動を制限されているという事実はあまり知られていません。

皆が投票所から足が遠のいているのには、そこにちゃんと遠因があるのです。

選挙とはあなたの意思を直接、社会の形に及ぼそうとするほぼ唯一の方法です。

たとえばあなたがブランド物のバッグが好きなら「区は年に一回、区民にどこぞのブランドバッグを支給すること」という理念を掲げている候補者に投票していいのです。

このひとりひとりの声が社会の運転士に届く制度を「国民主権」と呼びます。

この仕組みにおいて、いったいどこの候補がブランドバッグ好きなのかを知ることは非常に重要な要素ですので、選挙運動はこの意味で本来尊重の上に尊重を重ねるべき手続きだといえます。

もちろん夜間の選挙運動などが制限されるのはもっともですが、なぜ公職選挙法は大切な選挙運動に対して、事前運動や事務所の数、選挙カーに乗り込む人の数まで制限しているのでしょう。

この点憲法学の浦部法穂先生によれば、驚くべきことに現在の公職選挙法の厳しすぎる要件は、初めて一般人が立候補することを許された普通選挙法の中で、一般庶民の意思が選挙に反映されるのを阻止しようとした厳しい選挙運動制限規定が、ほぼそのまま継受されているのだということです。

しかし1925年当時と現在では、主権のありかが天皇から国民へという180度違った場所にあり、現在の砂漠のような味気ない選挙活動をもたらす公職選挙法では皆が投票所から足が遠のいていることも公職選挙法の成り立ちからもたらされているとさえいえます。

「選挙に行こう!」と啓蒙活動のアクセルをしながら、公職選挙法がまるで我々が投票することにサイドブレーキをかけているような状態です。

個人的には、たとえば選挙運動中は選管が運営するサーバで、統一フォーマットに従い、公式ホームページを各候補者ごとに並べ、自身のオリジナルページは選挙期間中閉じさせるなど、公平さを保ったままインターネットを用いてより有益な情報を有権者に届ける方法などいくらでもあるように思います。

公職選挙法の読み方として選挙運動を「悪」とばかり捉えるやりかたをわたしやあなた自身が選択していないとしたら、いったい誰がわたしたちを投票所から遠のけようとしているのか、一度よく分析してみる必要があります。

 

 

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