2007/07/31

爆風で消される火遊びもある

横浜FC・カズ、海老蔵“元カノ”とロス旅行…女性週刊誌報じる (サンケイスポーツ)
「歌舞伎俳優、市川海老蔵(29)の前恋人で元テレビ朝日社員のA子さん(31)が「キングカズ」ことJリーグ、横浜FCの三浦知良選手(40)と今月上旬、米ロサンゼルスへ旅行に出かけていたと、31日発売の「週刊女性」が報じている。」

民法の770条1項1号をごらんください。

770条(裁判上の離婚)

「夫婦の一方は、次に掲げる場合に限り、離婚の訴えを提起することができる。

一  配偶者に不貞な行為があったとき。(以下略)」 

(以下参照:民法IV 補訂版 親族・相続 内田貴 東京大学出版会)

あなたはもしかすると、今の恋人に奥さんがいても、一線さえ越えなければ文句をいわれる筋合いはないとお考えかもしれません。

しかし離婚に関する最高裁判例を繊細にトレースしていくと、意外にそうともいっていられなくなります。

もともと夫婦は互いに貞操義務を法律的に負っていると考えられており、そのことを間接的に定めているのが不貞行為を離婚原因にする770条1項1号です。

そのため不貞行為の法的効果としてそれは離婚原因となるほか、不貞行為の相手に配偶者から慰謝料を請求できることになっています。

これは貞操義務の履行を配偶者に請求できる権利を、不倫相手が侵害したことを理由とする不法行為を理由として、夫婦関係外へ法的請求を突きつけるものです。

しかし不貞行為があっても、一概に不法行為に結びつくとはいえません。

たとえばその夫婦の関係はすでに破綻してしまっていたのだとしたら、最高裁の判例(平成8年3月26日)は、不貞行為による不法行為の成立を否定しています。

そして最高裁はその理由を、不貞行為が配偶者との関係で不法行為になるのは婚姻共同生活の平和の維持という権利又は法的保護に値する利益を侵害する行為だからであり、婚姻がすでに破綻しているのなら、もはやそのような権利・利益は存在しないのだという理論構築で説明しています。

ポイントは、この理論構築を逆に用いれば、たとえ性的関係がない不倫でも、婚姻共同生活の平和を破壊するような親密な関係があったなら、夫婦関係外へ不法行為をもとにした慰謝料が請求できることになりそうだという点です。

もしあなたの恋人にすでに家庭があり、その家庭が平和を維持していたのなら、一線は越えていなくともあなたにむかって慰謝料請求という爆弾が飛んできてもおかしくないと考えられるのです。

あなたの恋人が夫婦の関係をどう説明しようとも、夫婦の真実はしょせん夫婦以外にはわかりません。

だからこそ民法は、”一方にされたら許せない行為なら、他方もしてはならない”という極まともな判断だけを、不貞行為という言葉に置き換えて770条の中へ封印しています。

 

 

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2007/05/09

重婚というクラシカルなゲーム

細川ふみえ重婚疑惑否定も恋愛感情あり(朝日新聞)
「タレント細川ふみえ(35)が29日、TBS系情報番組「サンデー・ジャポン」に生出演して重婚疑惑を否定した。細川は23日発売の写真週刊誌に、7日にサイパンの教会で、妻子のある不動産会社社長A氏(44)と挙式したと報じられた。番組ではサイパンには写真集の撮影リハーサルを兼ね、A氏の会社の社員旅行に同行したと説明。「挙式のようなことはしたが、本当の挙式ではなかった」と、リハーサルの一環で交換した指輪も返したという。」

民法の732条をごらんください。

732条(重婚の禁止)

「配偶者のある者は、重ねて婚姻をすることができない。」 

わたしやあなたの暮らす国でも、江戸時代まで正当的夫婦関係の別に不特定多数の妾との配偶を副次的夫婦関係と認める一夫多妻制が採用されていました。

明治維新政府は妾と妻は等しくこれを二等親とし、妾にも戸籍に記載する道をつけるなどむしろ公認する方向さえとりました。

それは約130年前の話ですが、やがて国際的な外聞のため、妾制度は廃止されることになりました。

高柳真三の「明治前期家族法の新装」によれば、明治十五年に施行された一夫一婦の単婚制により、はじめて近代的様式をもった婚姻法の第一歩を踏み出したのです。

これ以降、妾契約のような周辺の請求はことごとく民法90条、公序良俗違反として退けられることになっていくのです。

わたしたちの国では書類によって結婚をみとめる主義を採用していますので、これが二重に登録されるような事態は起こりがたいのですが、海外に赴いて婚姻し現地の大使館に届出をなしたような場合にチェックミスで重婚は起こりえます。(法令8条2項、13条1項但書)

そしてそのような重婚が悪意でなされれば、刑法によって二年以下の懲役が待っています。(184条)

重婚を認めていた時代の思想背景には、正当夫婦関係に子供が生まれなければ福次家族関係で家の世継ぎを確保するという、男系社会と家制度が大きく関わっていたと思われます。

一定割合の女性が事実上の重婚という状態に参加することで、潜在的に男系社会が維持されてしまうという伝統芸が、現代まで脈々と受け継がれているのかもしれません。

 

 

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2007/03/23

忍ばせた花嫁募集と民法の気圧

農業体験実習生 怒りの“告白”私は町ぐるみでだまされた! 「農家に嫁に来たんじゃない」(北海道経済)
「池田さんの「募集内容と実態が違う」という悲痛な訴えに、募集した側は「あなたの想像力が薄い」と応じたようだが、想像力を働かさなければならないような募集方法は、巧妙な詐欺行為のようなものはないか。自治体の上部機関である支庁も「自治体のやっていることで、それぞれの判断に委ねるしかない」と指導に乗り出す考えはないようだが、いかに後継者不足の農村であったとしても、誤解を招きやすい表現で「花嫁募集」を行うことは許しがたい行為だ。花嫁不足に悩む農村にはどうやら「来てしまえば、こっちのもの」という考え方があるようで、一歩間違えば池田さんもそうなっていたかもしれない。現実に「できちゃった結婚」のケースも多いと聞く。」

民法の742条1号をご覧下さい。

第742条(婚姻の無効)

「婚姻は、次に掲げる場合に限り、無効とする。

1 人違いその他の事由によって当事者間に婚姻をする意思がないとき(以下略)」 

民法という条文にははっきり書かれていませんが、婚姻の実質的要件として、もちろん結婚することへの合意がなければなりません。

婚姻の無効原因について定める742条1号も「人違その他の事由によって当事者間に婚姻をする意思がないとき」と規定することで、間接的にこれを要求しています。

ではもし婚姻してしまった人がこれを無効としたいとき、いったい”婚姻の意思”とはどのような意思をいうと解釈すべきなのでしょうか。

これに関しては、まず婚姻意思とは社会の習俗・慣習に沿った夫婦と認められる関係を形成しようとする意思だと考える立場があります。

これを実質的意思説と呼びます。

一方で婚姻意思はまた、法律効果をも目的としており、目的外の法効果をも甘受している意思だともいえます。

これを重視する考え方を形式的意思説と呼びます。

自然な心情的には、「もちろん実質的意思がなければすべての婚姻や離婚は無効だろう」といいたくなりますが、ところが現実社会では、婚姻の契約や解約による形式的な法効果を期待する人間関係が多数存在するのです。

(たとえば長く尽くしてくれたお手伝いさんに遺産を譲るためにする形式結婚などです)

民法学の内田貴先生は、婚姻と法の関わりにおいては、「行為規範」「評価規範」という視点が必要なのだと述べられています。

ここで行為規範とは、法規範がまず人々の行動する際の基準として機能している状態のことです。

また評価規範とは、一旦紛争が起きてしまってからは、同じ法規範がすでに行なわれた行為を評価する規範として働くことをいいます。

そしてこれから行為をするという場面での行為規範と、すでに行為が行なわれた場合にこれを評価する場面での評価規範とは、時に異なることもありえるという思考操作をもちいるのです。

これを「評価規範の行為規範からの分離」と呼びます。

これによれば、事情によっては評価規範を行為規範から分離させ、実質的婚姻意思がなくても婚姻は有効であるという扱いを認める余地が発生し、単なる便法としての婚姻がその目的達成を失敗している場合には、原則通り行為規範をそのまま評価規範として用いて、意思を欠くから婚姻は無効なのだということも可能になります。[参照:民法IV 補訂版 親族・相続 内田貴 東京大学出版会]

”婚姻の意思”は事情によってその解釈を変えることが可能だということになりそうです。(私的解釈)

そしてそれら法理論操作は、実質意思にせよ、法効果期待にせよ、すべて”当人の意思の尊重”がベースにあることは間違い有りません。

意思自治、それが民法の空間を支える気圧だからです。

 

 

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2007/03/09

インセスト:タブーであって違法でないこと

近親婚にも遺族年金 最高裁初判断、受給資格認める(中日新聞)
「泉徳治裁判長は判決理由で「内縁関係の近親者は厚生年金保険法で保護されるべきではない。ただ農業後継者確保などを目的に、おじめいなどの内縁関係は散見され、その関係形成経緯や周囲の受け止め方、生活期間、子の有無などから反倫理性や反公益性が小さければ年金を受給できる」との初判断を示した。その上で「原告の場合は叔父の子を養育するのが目的で親族や地域も受け入れ、円満に生活していた」として請求を認めた。」

民法734条の1項をごらんください。

第734条〔近親婚の禁止〕

「1 直系血族又は3親等内の傍系血族の間では,婚姻をすることができない。但し,養子と養方の傍系血族との間では,この限りでない。」 

法律上、自分達の婚姻を社会に認めさせる、つまり事実婚と呼ばせないために、民法はまず739条で届け出を要求します。

そしてその届けを役所に認めさせるために、更に民法は二人の婚姻の意思が合致していることを前提に、四つの実質的要件を要求しています。

731条 婚姻できる年齢であること

732条 重婚ではないこと

733条 待婚期間はすぎていること

そして734条から736条が、近親婚ではないことを要求するのです。

(更に未成年の場合、婚姻に父母の同意を要求されます)

近親婚とは、親等の近い親族間の婚姻をいい、民法は、直系血族間、3親等内の傍系血族間、直系姻族間の婚姻を禁止しています。

叔父さんと姪は3親等内の傍系血族にあたり、わたしたちの社会では法律上この婚姻を認めないことにしています。

インセストがなぜタブーとされるのかは、感情や俗説を越えれば、科学的説明はなされていません。

ただし仮に生まれくる赤子に身体的害は与えなくとも、遺伝形質を2倍にはし、近親以外と結婚していればもてるはずだった遺伝子的発展の可能性は子供から剥奪しているとはいえます。

近親婚について、ロビンソン・ジェファースが「悲劇の彼岸にある塔」という詩のなかで、ひとつのギリシア神話を描いています。

ミケーネの王アガメムノンがトロイ戦役にギリシャ軍を率いて出征中、彼の妻クリュタイムネストラは彼女の叔父エジステウスを情夫として引き入れました。

王アガメムノンがトロイから帰還したとき、彼女は夫を殺害してしまいます。

続いて彼女は幼い息子オレステスをも国外に追放し、娘エレクトラを奴隷の地位におきます。

成年し復讐にあらわれたオレステスは、色仕掛けまでして命乞いをする母クリュタイムネストラを殺害してしまいますが、そのことで気が触れてしまい森のなかで幻影を見ます。

「自分は暗闇のなかを動く自分たちの幻影を見た

それらすべては自分が行なったこと、あるいは夢みたものだ

お互いを凝視して男は女を追い女は男にしがみついた

戦士たちと王たちは暗闇のなかでお互いに引き合った

みんなはなくなった人びとの一人ひとりを心のなかで愛したりそれと闘ったりしていた

自分をほめてくれる他人の目を探し求めた

決して自分自身ではなく、他人の目を

彼らが後ろをふり返ると、彼らはただ始点に立っている一人の男を見る

あるいは前方に目をやる終点に一人の男を見る

また見上げればはげしく輝いている大空を大またで歩きかつ楽しんでいるものを見る

それをあなたは神々と呼ぶ

ひるがえって心のなかを見るとあなた方の欲望はすべて近親相姦である」

親殺しオレステスは、やがて女神アテナによって許されることになります。

[出典:ロロ・メイ 失われし自己をもとめて 誠信書房]

ジェファースが描いたように、社会が近親婚を禁ずるもまた、居心地のいい家族の支配から脱して人に真の自由をうながすための、古来からの集合無意識的な施策であるかもしれません。

ただ社会が法的認定を与えないことと、人に誰かを愛する自由のあることは、また違ったレベルのお話です。

今回の最高裁判断もそのレベルの差異を詳細に検討し遺族年金の受給を認めているように読めます。(私見)

 

 

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2006/11/01

居を分けてかげろうを忘れよう

中村獅童と竹内結子が「離婚」(Yahoo)
「複数の関係者によると、2人は今夏以降、ほとんど顔を合わせたことがないとされる。竹内は、独身時代から所有していた都内のマンションを結婚当初はトランクルームのように使ってきたが、9月ごろから長男を連れてそこで生活を始めた。2人の愛の巣である都内のマンションは高層で、子供には危険なこともあるとの判断から、自由に遊べる公園が近くにある、この“別宅”を選んだ。獅童が仕事で多忙なため、事実上の別居状態になっていたが、双方の周辺も、この段階では「夫婦間に目に見えるような亀裂はなかった。仲は良かったはず」としている。しかし、家族3人のために良かれと選択したこの“別居”が、皮肉なことに2人の精神的なつながりをも遠ざけていく結果となってしまったようだ。」

民法の752条をご覧下さい。

第752条〔同居・協力・扶助義務〕

「夫婦は同居し,互に協力し扶助しなければならない。」

民法752条にいう、夫婦が同一の場所に居住して生活をともにする法律上の義務の
ことを夫婦同居義務といいます。

それは夫婦間の協力義務の基本となるものです。

一方が同居に応じないときは,同居請求もすることができます。

しかし当然ですが、その強制を国家が執行することはできません。

では、お互いの主義として同居をしない「別居結婚」を選択した夫婦の合意は、民法752条を前にして無効となるのでしょうか?

これについて、かつて我妻栄博士は「判例評釈」の中で「夫婦の間に同居すべき場所についての協議があったかどうかの問題を含めて、どこが同居に適当な場所か、そこに同居すべき旨を命ずべきかどうかなど一切は、家裁の専権的・終局的判断(審判)に従うべきもの」だと述べられています。

同居の義務を形式性で推し量るには、結婚の本質はあまりにもやわらかいのです。

その制度から法律の衣を引きはがせば、一人の女性と男性が偶然出会い、いつかお互いを幸福にしたいと思ったというかげろうだけが残ります。

もっとも尊く、同時に脆いそのかげろうが維持できなくなれば、あとは親権や財産処理を法に規定してもらう、他人同士に戻るしかないのです。

 

 

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2006/09/28

誠意の空虚は足元を打つ

羽賀研二が29歳家政婦と結婚(goo)
「羽賀は94年から5年間、梅宮アンナと交際。アンナの父親でタレントの梅宮辰夫(68)を巻き込み、世間をにぎわせた。「アンナパパ」と呼ばれた梅宮が2人の交際に困惑する様子が連日、新聞、テレビで報じられた。「羽賀には誠意が感じられない」というアンナパパに対し、羽賀は「誠意を伝えたい」と応戦。いつのまにか「誠意」が流行語になり、羽賀は「誠意大将軍」の異名を取った。」

民法の1条2項をご覧下さい。

第1条〔信義誠実の原則〕

「2 権利の行使及び義務の履行は信義に従ひ誠実に之を為すことを要す」

市民相互のルールである私権について、民法は第1条でその基本原理を定めています。

そしてその2項が定めるのが信義誠実の原則とよばれる一般条項です。

信義誠実の原則とは、相手方から一般に期待される信頼を裏切ることのないように、誠意をもって行動すべきであるという原則をいいます。

六法全書の中で、ほぼ唯一「誠意」を全面的な基準に採用するのが一条二項、信義則です。

それが唯一なのは、そのような不確定な基準を条文に盛り込むことは、用い方次第でどのような法解釈も可能になる危険性を秘めているからです。

さて婚約ですが、もともとその道のりに不確定要素が多い男女間のお付き合いにおいて、いったいどのような法的価値をもっているのでしょうか。

結婚の約束については民法に明文規定がなく、判例や学説の解釈にゆだねられているのが実情です。 [以下参照:民法判例百選 家族法 有斐閣]

まず明治35年3月8日判例は婚約と内縁を区別せず婚姻の予約など法律的には無効だと判断していました。

その後大正4年1月26日判例が内縁に関する判決が婚姻の予約は契約として有効であること、しかしそれを強制することはできないこと、不当破棄の場合には損害賠償の責任があること、その損害賠償は債務不履行責任であることを明らかにしています。

さらに昭和6年2月20日判例が法の保護に値する婚約は、当事者が誠心誠意で将来夫婦になることを合意していればよく、何らの方式も必要でないという判断をしています。

さらに最高裁昭和38年9月5日第一小法廷判決は「Y男,X女間には婚姻予約が成立したことを認定しているのであるから、不当にその予約を破棄した者に慰謝料の支払義務のあることは当然であって、X女の社会的名誉を害し、物質的損害を与えなかったからといって、その責任を免れうるものではない。」として婚約の不当破棄を不法行為として慰謝料の支払を命じた第1審・第2審判決を認容しています。

これら数々の判例の積み重ねにより、現代では婚約を横着に破棄すれば裁判所が損害賠償を命令する社会ができあがっています。

結局、婚姻の予約をした人は、誠意を糊に一方当事者に法律的な責任をすでに負っています。

法律論を離れても、自分独自の「誠意」の解釈は、もれなく自分自身に蓄積していくはずです。
 
 

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2005/08/14

協議離婚という神から自由な条文

杉田かおる:離婚で大誤算!禁煙ポスター(毎日新聞)

「杉田が登場しているのは財団法人「結核予防会(JATA)」のポスター。ピンクのセーターを着た杉田がほほ笑み「セレブは、吸わない。」「“禁煙”で勝ち組になりましょうよ。」と、杉田が前面に出してきた「セレブ」「勝ち組」のキーワードが躍っている。」

マタイによる福音書の19章6節をご覧下さい。

The Gospel According to MATTHEW

「So that they are no more two, but one flesh. What therefore God has joined together, don't let man tear apart.」

(私訳)

「故に彼らは二つではなく、もともと一つなのだ。神がそうとしたものを、人がごときが離してはならない。」 

西洋人にとって聖書は時代で移り変わる法律書以上に絶対指導書的地位にあるといいます。

中でも新約聖書に含まれるマタイ福音書には以上のような記述があり、この神との契約を重視したヨーロッパでは長く実態を別として、法律が離婚を認めることはありませんでした。

欧米の法が神との契約という観念から自由になりはじめ、夫婦の自由な離婚を改正で認めはじめたのは、わずか三十数年前からです。

この点、私を含め宗教に全く興味のない平均的日本人の作る法律では、離婚は比較的自由に認められてきました。

日本の離婚という観念は、西洋法と違い神に睨まれてはこなかったのです。

主にそれは協議離婚なのか、それとも裁判離婚なのかという手続き面だけの改正を繰り返してきた日本の離婚に関する法律は、かつて女性の視点からは至らない面があったとしても、より本質的には欧米法よりも柔らかく幸福でした。

言葉を尽くして外部に対する自我を守ろうとしたタレントさんは、同じ言葉によって内部の幸福を破壊してしまいました。

しかしそもそも協議で離婚ができるというシステムの中に、私たちは自由を行使できているのだという構造をはっきりと見なければなりません。

タレントさんは彼女自身の言葉で、一体誰に、何を証明しようとしていたのかを一旦静かに観ておく必要があります。

神と契約しない私たちの民法763条〔協議上の離婚〕は、タレントさんにそのための自由な時間を与えることに成功しています。
 

法理メール?

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2005/05/25

元生徒との結婚という、例外の結実

男子生徒「強姦」で服役終えた元教師、相手の元生徒と結婚(CNN)

刑法の177条をご覧下さい。

第177条〔強姦〕

「暴行又は脅迫を用いて13歳以上の女子を姦淫した者は,強姦の罪とし,3年以上の有期懲役に処する。13歳未満の女子を姦淫した者も,同様とする。 」

個人的にはこのニュースを読むとなんだかわからないさわやかな後味の残る気がするのですが、日本の法律でその理由を検討してみます。

(被害者が男児だったので女子という文言には一応拘らないことにします)。

私たちの刑法の177条、強姦罪が守ろうとするのは「性的自由」と呼ばれる利益です。

「性的自由」とは、こと性行為にあっては愛情という内心をもとにそれを誰と行うかを自立的に行動決定できる自由のことだと言い換えられそうです(私的定義)。

すると事は「愛情」を起点に語られる性質の、すなわち外形判断にそぐわない性質の法益であるということになり、被害者にとっての判断能力が十分発達した時点での内心が踏みにじられたら、それはすなわち「性的自由」が侵害されたということになります。

そのため女性が13歳未満の時には、暴行・脅迫がなくても、また同意があっても強姦罪になるわけです。

なぜなら彼女の判断能力は、自身を守るのに十分発達しているとは一般には考えられないからです。

最高裁の判例にあっても、「復讐のために全裸写真をとった行為は性的自由は侵害していない」としたものがあります(昭和45年1月29日)。

さらに最高裁はかつて不明確だといわれた青少年に対する「淫行」の意味を、(1)青少年の心身の未成熟に乗じた不当な手段による性交又は性交類似行為、(2)相手を自己の性的欲望の満足の対象としてしか扱っていないと認められる性交又は性交類似行為の2類型であるともしています(昭和60年10月23日)。

CNNによれば、女性教師は、当時小学校6年生の男子生徒と性的関係をもち、児童強姦罪で6ヶ月の服役後、再び同じ生徒と性的関係をもって同じ児童強姦罪で7年半服役して、とうとうその男性と結婚することになりました。

どうやらこの女性教師の行為は日本の最高裁の基準を用いれば、当時外形的には自己の性的欲望のため不当に男児の性的自由を侵害したと見られたようです。

同意があっても男児の判断能力の未発達を法的に擬制して罰せられたといえます。

とすると男児は10年かけて、法律の擬制を超えて彼の判断能力が正しかったことを証明したようです。

一方、女性教師のほうも当時の内心が法律が判定したような児童を性的欲望の満足の対象にしか扱ったものではなかったことを10年かけて証明したような後味を覚えます。

子ども達を守るため、これからも「未成熟ゆえ同意があっても強姦になる」という法律による未成熟の擬制は存続されなければなりません。

しかし今回に限って本質的に女性教師と男児が争ったのは、法律よりも得体の知れない形をした怪物だった気がします。
 

 
(Copyright(C) 恵比寿法律新聞)

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2005/05/10

民法は婚姻の届け出を待っている

獅童&結子が結婚!既に妊娠も?

「人気歌舞伎俳優の中村獅童(32)と、売れっ子女優の竹内結子(25)が結婚することが9日、明らかになった。」

民法の45条1項をご覧ください。

第45条〔法人の設立登記〕

「1 法人は其設立の日より主たる事務所の所在地に於ては2週間,其他の事務所の所在地に於ては3週間内に登記を為すことを要す」

(意訳:会社は登録しなければ、危ないので社会から会社として扱われない)
 

当たり前ですがあなたが好きな人と結婚するという行為はとーっても昔、法律なんてできる前から人が自然にやっていた習俗です。

しかしその上で民法は、二人の人間が夫婦になることについていろいろ必要な条件や、夫婦になったら負わなくてはならない義務なんかについていろいろ定めています。

なぜ「空気を吸ったら、適時後に吐かなければならない」とか「歩行中右足を出したら、すかさず左足を出さなければならない」とでもいうような法律でも必要なごとく、人の自然な婚姻という行為が大々的に法律で定められているのでしょう。

特段意味がないのなら、「別にお互い好きなんだから、紙切れなんてどうでもいいじゃないか」という彼の言葉通りでいいのかもしれません。

民法「第2節 婚姻の効力」以降には、たとえば第752条に「夫婦は同居し,互に協力し扶助しなければならない。」などと、旦那さんが遊びほうけているときは法律を持ち出して裁判所に叱ってもらえるような結婚による法律的権利・義務が書かれています。

結婚届は集団に権利義務の主体になる能力を与えるという意味で45条の法人の登記にとてもよく似ている法技術なのです。

反対に言えば、中村獅童構成員と篠原ともえ構成員がなんらかの同好会を作ったとしても、届けがなければ団体自体には権利義務を享受する能力は発生しません。

こういった権利義務主体にならない集団を「権利能力なき社団」と呼びますが、これが男女間にあっては「内縁関係」です。

起業した人だれもが社会的信用を求めて法人格を欲しがるように男女関係も社会で公式に登録されると、特段の社会的信用が集団自体に与えられます。

民法が結婚という自然な行為に各種の規定を与えているのはこの意味で本人達のためでもあり、同時にそれは彼らの結束度を信頼して関わる社会の安全のためでもあります(私見)。

あなたには婚姻届を恋人の言葉通りにファンタジックに認識する道もありますし、法律的に正確に解釈する道もあります。

しかし男女であれ、ビジネスの集団であれ、これを内部から見れば、一定期間様子を見ることは大切ですから、正式な届けを出すまでは権利義務主体にならないという余地が設けられていることには意味があります。

(結婚にあってはこの余地が設けられていることを法律婚主義と呼びます。)

なによりも、民法は篠原構成員と中村構成員が互いに望んだ時でなければ、結婚や法人格という権利義務を与えないことを原則としているのです。

それを意思主義と呼びます。
 

法理メール?

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2005/03/14

残り時間とパートナーが重ねる笑顔の数

社内不倫で辞任のボーイング元CEO、妻から三行半(CNN)

民法の770条1項1号をご覧ください。

第770条〔裁判上の離婚原因〕

「夫婦の一方は,左の場合に限り,離婚の訴を提起することができる。
(1) 配偶者に不貞な行為があったとき。(以下略)」

不貞な行為とは、配偶者として貞操義務に反する行為という広い守備範囲を持ち、姦通より広く貞操義務に忠実でない一切の行為だと考えられています。

したがって浮気の決定的証拠がなくとも、770条1項1号所定の原因があるとして離婚を請求できる場合があります。

ただし相対的事情を勘案して裁判所が認めない場合もあります。

もし戸籍を入れるほど惚れた人間を運良く見つけられたら、生き物としてもっとも頭の良い残り時間の投資方法は、その相手にどれだけよい物語を残せるかに全力を傾けることだと思うのですがいかがでしょう。

人には皆、限られた時間しか残されていないのですから。
 

法理メール?

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