2007/03/28

亡き才女のためのパヴァーヌを捜そう

British teacher found dead in a bath of sand near Tokyo (thisislondon.co.uk)
「Lindsay, whose family live in a £500,000 detached house in a cul de sac, went to Japan last October after gaining a degree at Leeds University, believed to be in biological sciences. She was one of hundreds of bright young Britons, fascinated by Japan, who spend 12 months or more there after graduating to teach English as a foreign language. 」

(私訳)

「リンゼイはリーズ大学で単位を取得後、昨年10月に日本に向かった。彼女もまた、日本に魅せられそこで長くを過ごす、若く聡明な英国人のうちのひとりだった。」

憲法の22条1項をごらんください。

第22条

「何人も,公共の福祉に反しない限り,居住,移転及び職業選択の自由を有する。」 

憲法はその3章を「国民の権利及び義務」と名付け、数々の基本的人権の保障を国家に命じています。

確かに日本人が海外へ旅行にでかけること、また日本に戻ってくることは22条が保障していることは明らかですが、外国人が誰でも自由に私たちの国に出入りできるかどうかは別の問題になります。

学説上の通説は、「憲法22条は外国人の入国の自由を保障しておらず、外国人の入国の規制は、国際慣習法上、主権の属性として国家の裁量に委ねられている」と考えています。

最高裁判例も、英語教師として来日後、反戦運動など政治活動を続けたアメリカ人、ロナルド・アラン・マクリーン氏の在留期間の更新申請を法務大臣が不許可としたマクリーン事件と呼ばれる争いについて以下のように結論づけています。

「憲法22条1項は、日本国内における居住・移転の自由を保障する旨を規定するにとどまり、外国人がわが国に入国することについてはなんら規定していないものであり、

このことは、国際慣習法上、国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく、

特別の条約がない限り、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかを、当該国家が自由に決定することができる」。(昭和53年10月4日)[参照:憲法〈1〉 第四版 野中俊彦他 有斐閣]

すなわち判例理論上は、私たちの国へ入国する自由は、外国人には保障されていないという判断が現在までなされているのです。

それは明白に公安や良俗を乱すであろう外国人だけに向けて設けられた、”選択のための門扉”だと形容することが可能です。(私見)

今回、私たちの国が才女リンゼイ・アン・ホーカーさんへその門を開いてしまったことは、結果的に彼女の人生を粉々に砕いてしまいました。

わたしたちは彼女を殺めた者を取り逃がしている場合などではなく、早々に彼を捜し出して、門扉のこちら側に”法治の奏”が満ちていることを表さなければなりません。

そうでなければ、公安のために外国人に向けて設けたはずの門扉のこちら側こそ、彼らにとって徐々に野蛮に見えてくるはずです。

 

 

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2005/01/26

戦争に負けるとカーストが音を立てて崩れ落ちた

都の管理職試験制限、「国籍条項」は合憲・最高裁

憲法の14条をごらんください。

第14条〔法の下の平等,貴族制度の否認,栄典の限界〕

「すべて国民は,法の下に平等であって,人種,信条,性別,社会的身分又は門地により,政治的,経済的又は社会的関係において,差別されない。」

戦前の日本には、(1)天皇→(2)貴族→(3)平民の男→(4)平民の女という人間の格付けが頑として存在していました。

そしてそれについては特段の疑問も持たれることはなく、社会は運営されていたのです。

それは何百年も前のことではなく、世界中を巻き込んだ二回目の戦争で日本が負けるまであなたとわたしが暮らす同じ土地の上に存在していた、いわばはっきりとしたカースト制度でした。

戦後憲法の14条は、そこになんら疑問を持たれることなく存在していた日本国内における人間のランク付けに異議を唱え、貴族などという特権階層は廃止し、誰もがみな平等なのだと公に宣言した一文です。

そういった14条立法の歴史をなぞるとき、外国人の方々が公務就任権を14条で争うのは、14条立法の趣旨を逸脱しているという主張も存在しています。

公務就任権は国の政治に参加するという性格を有していて、国の政治の方向を決定付けるのはわたしたち国民なのだという国民主権原理上、外国籍の方々にそういった権力は憲法は保障していないと学説は考えるのです。

ただし海外旅行もままならなかった憲法の立法当時における外国人の法的な解釈と現在のそれは、異なってきてもある意味自然なはずです。

もし理論的に外国人という存在が国民主権の枠内に相容れないというのなら、そろそろ、「公務就任権のない外国人」という枠への定義付けそのものを修正してもよい時期にさしかかっているのではないでしょうか。

生まれてからずっと日本で育ち、国籍だけが日本にない人々がわが国にはたくさんいるわけです。

そうした方々が参政権の枠外に今後も取り残されてよいものかどうか疑問が残ります。

国力の強化とは、世界から孤立することではないはずだからです。

 
 

法理メール?

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2005/01/24

国境:衰退する概念

クルド人家族は仮放免延長(共同通信)

出入国管理及び難民認定法、通称入管法の第24条をご覧ください。

第24条(退去強制)

次の各号のいずれかに該当する外国人については、次章に規定する手続により、本邦からの退去を強制することができる。
一 第三条の規定に違反して本邦に入つた者
二 入国審査官から上陸の許可等を受けないで本邦に上陸した者(以下略)

たとえば静岡県が、知事の許可を得ずに越境したとして、隣の愛知県人を静岡県から強制退去したら、あなたの胸の中にはどのような形の感情が現れるでしょうか。

海外との行き来が頻度を増すに付け、国家という区切りが幻想であることがあからさまになりはじめています。

たとえば北米のティワナという街において、その南では経済が借款のためとことん行き詰まり、北側にフェンスを越えれば世界最高の資本主義の実験場が待っているので、毎日命がけの国境越えの攻防が行われています。

地表上に人が引いた白線の前にたくさんの命が苦しんでいます。

区切り、縄張りというものがなぜ生まれるのか、それは自然発生的原理なのか、38度線はなぜ完全な直線なのか、地球の生命力が下り始めているときに国家という単位は絶対であっていいのかなど、入管法24条からは諸問題が透けて見えます。

すでに欧州においては通貨の統一が実行されました。

情報の世界においても、電話回線を伝って公平な情報という財貨の共有がおおまかにいって実現されはじめています。

ことによると、人は来るべき次の世界に対して共闘を無意識に準備しているのかもしれません。
 


(Copyright(C) 恵比寿法律新聞)

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2004/12/15

外国人女性の消防団入団と「当然の法理」

外国籍の女性消防団員が入団 岩手・釜石(毎日新聞)
「岩手県釜石市の消防団に15日、市内に住む中国籍の隋懿さん(33)が入団した。消防庁によると、外国籍の女性消防団員は全国で初めてという。」

憲法の22条をご覧下さい。

第22条

「何人も,公共の福祉に反しない限り,居住,移転及び職業選択の自由を有する。 

かつて外国人は日本の公務に就けないのかという争いがありました。

そのとき最高裁は、消防団員のような公務を「第三の類型」と呼び、国の統治作用に関わる蓋然性及びその程度が極めて低く、外国人がこれに就任しても、国民主権の原理に反するおそれはほとんどないのでOKだとしました。

彼女は22条1項(職業選択の自由)、14条1項(法の下の平等)の名の下に彼女(保健婦さんが上級職への公務員就任を拒否されました)の権利は守られたわけです。

ただし同じロジックを用いて、第一の類型(国の統治作用に直接に関わる公務員)、第二の類型(国の統治作用に間接に関わる公務員)への外国人の就任ははばまれました。

これを当然の法理の問題と呼びます。

それらへ外国籍の人がかかわれないのは”当然の法理”だと、論議を拒む巨大な壁のようなタームで説明したからです。

当然の法理の問題は早晩これからの日本人の身体感覚の変革によって改善されていくものと思われます。(私見)

誰が考えても、たまたま日本に生まれて外国籍だったことで優秀な人材が国家運営にかかわれないのは両者にとって不利益です。

またわたしやあなたが日本人として生まれたのもたまたまにすぎず、この世がババ抜きゲームであってよいはずがないのですから。

 

 

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