2007/04/27

The Second Law:ユニクロが勝ったもの

障害者の雇用、ユニクロが1位…2位マック、3位しまむら(読売新聞)
「障害者雇用率が最も高かったのは、カジュアル衣料の「ユニクロ」の7・42%。656・5人(障害の重度や労働時間に応じ、1人の雇用を2人分と数えたり、0・5人分と数えたりする)を雇用し、全産業の平均1・52%を大幅に上回った。障害者雇用促進法は、企業などに障害者の最低限の雇用割合を定め、民間企業の法定雇用率は1・8%。」

障害者雇用促進法の37条をごらんください。

障害者の雇用の促進等に関する法律

第37条

「すべて事業主は、身体障害者又は知的障害者の雇用に関し、社会連帯の理念に基づき、適当な雇用の場を与える共同の責務を有するものであつて、進んで身体障害者又は知的障害者の雇入れに努めなければならない。」 

障害を持つ人を雇用しようという企業が多く出現することは、資本原理下の世界では基本的に難しいといえます。

しかし障害のある人への福祉の基本は、彼が職業人として自立するところにあるのもまた事実です。

そしてもし社会が両利益の調和を目指すなら、雇用の機会を社会に提供する社長さんに、資本主義という原理と社会福祉という原理のバランスをとる重要な役割を果たしてもらわなければなりません。

つまり37条にいう”社会連帯”とは、障害を持っている人を障害を持っているという理由だけで置き去りにしない社会をつくるため、民間、官公庁を問わず事業主が協力して彼らに一定の場を確保しようという理念だということになります。

さらに記事中にある雇用率とは、その社会連帯を各企業が雇用する労働者数に応じて平等に分担しようとして生み出された指針です。(参照:障害者雇用促進法の逐条解説 厚生労働省 職業安定局 高齢・障害者雇用対策部)

その数字のクリア率とは、すなわちその事業主が社会に於ける自分の役割をどの程度自覚しているのかを裏書きしているといえるかもしれません。

誰かが現実に動かなければ、現状維持あるいは衰退の道をたどらざるをえないのがエントロピー第二法則下にある社会の運命です。

そしてその熱力学法則に逆い社会が調和を取り戻すのは、「誰かとはわたしのことである」という主体性を、事業主を含めて多くの人が持った時だけに限られています。

 

 

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2007/01/20

イントレランス:絶望の素地

投げ落とし「男児が死んでもいいと思った」(日テレnews24)
「吉岡容疑者は軽度の知的障害があり、福祉施設に通っているが、動機について「施設内での人間関係がうまくいっていなかった」「警察に捕まれば施設を出られると思い、たまたま目の前を通った璃音ちゃんを襲った」と話しているという。 」

受刑者処遇法の第1条をご覧ください。

刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律

第1条

「この法律は、刑事施設の適正な管理運営を図るとともに、受刑者等の人権を尊重しつつ、その者の状況に応じた適切な処遇を行うことを目的とする。」 

知的障害のある人たちは、知能の不足によって読むことや書くこと、そして社会生活を送ることに不自由さが生じています。

その原因には、出産時の酸素不足や脳の圧迫などによる影響などもがありますが、原因不明であったり、乳幼児期の事故や生後の感染症の後遺症で脳に損傷が起こった場合などもあります。

(以下、多くを山本譲司さんの「累犯障害者」から参照させていただきます。)

法務省発行の「矯正統計年鑑」の「新受刑者の知能指数」によれば、およそ3割弱の受刑者が知的障害者なのだといいます。

しかしいうまでもなく、知的障害と犯罪の動因とに医学的因果関係など存在しません。

むしろ本来知的障害をもった人達の多くが規則や習慣にきわめて従順で争いごとを好まないといいます。

しかし知的障害は、時に善悪の判断を時にあいまいにしてしまいます。

それにより、一旦知的障害者が罪を犯してしまうと、まず刑事裁判の場では有罪を受けやすく、次に監獄の中ではリハビリなどほどこされず、さらに出獄すれば触法障害者として福祉の手からも除外されてしまうというのが現実なのだそうです。

福祉が触法障害者への関わりを敬遠するのは、行政が給付金を算定するにあたり、障害程度を日常生活動作のみで判断し、体が自由に動く障害者には給付金が加算されない点に帰着するのだといいます。

しかし体が自由に動く障害者のほうが、その分日常生活に周囲からの注意が必要なのはいうまでもありません。

もしひとたび触法障害者となれば、受け手のいない彼らは、現実的には路上生活者になるか、犯罪組織の使い走りとなるか、病気ではないにもかかわらず閉鎖病棟に収容されるしかない、もしそうでなければ再び犯罪をあえて犯すことで刑務所という触法障害者の代替保護機関に戻るしかないのだというのです。

かつて長く監獄を支配した「監獄法」には矯正や更生といった言葉が存在せず、常に過剰収容状態の刑務所では、知的障害者の矯正など現実には行われてきませんでした。

そこで2005年5月18日、監獄法を全面的に改正した受刑者処遇法が成立し、その1条には「受刑者の人権尊重」が掲げられ、触法障害者の矯正機構なども今後随時設けられていく予定です。

健常人を基準にする世界とは、不幸にして基準に足りない人の失態を絶対的に許さない世界です。

しかしたとえばわたしという人間一人をとっても、今日という一日をどれほど完全にこなせたことでしょう。

そしてもし、私のような愚鈍な人間を寛容してくれない天才ばかりがわたしを覆い尽くしていたとしたら、わたしはただ生きていることを申し訳なく、意味もわからず命絶えるまでこの肩をすぼめているしかありません。

さらにその天才たちも、やがて年老いて物の判断がすばやくなくなったとき、いったいその不寛容の世界にあってはどう呼吸ができるでしょうか。

知的障害を受けた人を見て、古来から彼らをなにか忌まわしいもののように社会から疎外してきたのがわたしたちの幼い歴史です。

やがて社会は成熟し、「彼らとて我らである」と悟ったわたしたちは、福祉という装置を社会に装着しました。

監獄法も同じような成長の末に、受刑者処遇法へと姿を変えました。

吉岡容疑者はこれまでに6回、誘拐事件を起こしてきたのだといい、ここにきて再び犯罪を犯しています。

それが許されざるものであることは、健常者となんら変わることはありません。

ただし一旦わたしたちが問題解決に主体性をとりもどせば、それは社会の安全装置が絶望を未然に防ぐ機会を、6回もしくじってきたのだとも言い換えられます。

わたしたちが福祉という装置を完全に駆動させられるまで、一人の触法障害者をどれほど罰しようとも、悲劇を生む素地は決して撤収することができません。

 

 

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2006/07/17

身体の記憶が25条を深くする

衰弱知りながら給水停止・保護申請却下 障害者が孤独死(朝日新聞)
「市水道局は9月30日、男性の状況を区役所に知らせたが、水は止めたままだった。近くの住民は、男性が公園で水をくんでいる姿をたびたび目撃している。区役所はその日のうちに、ケースワーカーと保健師を男性宅に派遣。男性は「生活保護を申請したい」と伝えた。だが、区役所は即座に保護を開始できる「職権保護」を適用しなかった。市内に住む次男から食料の差し入れがあるとして、「生死にかかわる状況ではない」と判断したからだ。」

生活保護法の第25条第1項をご覧ください。

第25条(職権による保護の開始及び変更)

「保護の実施機関は、要保護者が急迫した状況にあるときは、すみやかに、職権をもつて保護の種類、程度及び方法を決定し、保護を開始しなければならない。」 

産業革命の勃興による過酷な労働環境に疲弊した19世紀を経て、20世紀のわたしたちは福祉国家理念という思想を建築しました。

それは経済的弱者を保護し、単に機会が皆に平等だというだけではなく、生まれ与えられた能力の差や、運命の差に皆が一生を支配されないための実質的平等をつくろうという考え方です。

この思想を社会的に権利化したものを社会権と呼びます(私的定義)。

わたしたちの国でいう社会権とは、国民が人間に値する生活を営むことを保障するものであり、それは法律的に言い換えればわたしやあなたが困窮したときに国家に対して堂々と一定の行為を要求する権利のことです。

わたしたちの憲法では社会権の具体化した条文として生存権や教育を受ける権利、あるいは勤労の権利などが表現されています。

つまり生存権などの思想は「人間がかつて頭で考え出した形式平等」に対して、歴史的にわたしたちの身体感覚が出してきたNOという結論なのであり、自由を維持するためにもそれはいつも社会にはっきりと用意されていなければなりません。

さて、生活保護法とは、その生存権を理論的足がかりに、わたしやあなたがもし生活に困窮してしまうことがあったなら国が保護を行い最低限度の生活を保障するとした法律のことです。

生活保護は原則として本人の申請で開始しますが、生活に困窮し、現に保護を必要とする状態にある人のことも生活保護法は要保護者と呼んで想定しています。

そして25条は、その要保護者が急迫した状況にあるときに、実施機関が申請がないからとこれを手をこまねいて見ていることを許さず、「保護を開始しなければならない」という必要的開始を条文として明記しています。

それは基本ルールとして食べ物や水も金銭で調達することになっているこの資本主義社会において、交換チケットである金銭が途絶えることは一つの命の死を意味するからにほかなりません。

(それはもはや、”生存権とはどこまで請求できる権利なのか”といったレベルの議論でさえありません)

進学の”機会だけが”平等である、就職や起業の”機会だけが”平等である世界が百年単位では間違っていたことを、わたしたちの体の記憶は知っています。

わたしたちの街の中央にその市役所を建立し維持させ続けているのも、自由と不平等の歴史の甘渋を知るその身体の記憶によるものにほかなりません。

25条は権力を委託されたはずの機関が困窮の声を軽んじることをあらかじめ禁忌し、私やあなたの身体の記憶こそが社会の形を規定していることを再言しています。

むずかしいことはなにもありません。

役所や法というただの手段が、命より前に存在するはずはないのです。

 

 

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2005/01/30

想像の轍に現実を通そう

「職場にも補助犬同伴認めて」法改正求め連絡協議会(日経新聞)

身体障害者補助犬法8条と10条を比較してください。

第八条(公共交通機関における身体障害者補助犬の同伴)

「公共交通事業者等は、その管理する旅客施設及び旅客の運送を行うためその事業の用に供する車両等を身体障害者が利用する場合において身体障害者補助犬を同伴することを拒んではならない。(以下略)」

第十条(事業所又は事務所における身体障害者補助犬の使用)

「事業主は、その事業所又は事務所に勤務する身体障害者が当該事業所又は事務所において身体障害者補助犬を使用することを拒まないよう努めなければならない。」

一方は拒んではならない、もう一方は勤めなければならないとなっていて、民間施設では現状おとがめなしということのようです。

わたくし自身オートバイに乗っていたときの事故で右ひざにボルトが3本入っていて、真夏でも痛みで温シップをよくしています。

それでも一時は一生杖をはなせないだろうといわれていましたのでとても幸運でした。

しかし何ヶ月か車椅子を経験しましたし、1年は杖をつきました。

私の経験上からは、体が急に不自由になったとき最も心的負担となるのは、何かをかならず人にお願いしなければならないということです。

健常であればなにげなく一人でできることも、障害があると誰かに声を掛けて協力してもらわなければなりません。

そしてそのことでその人の時間を無駄にしてしまうことに普通はとてもストレスを感じてしまいます。

だからあなたが街で不自由な人に声をかけられたら、その人は声をかけることだけでとてもがんばっているのだということをイメージしてあげてください。

わたくしが入院していた大学病院の大部屋にはたくさんの重症者がいました。

わたくしのちょうど向かいには、頑健そうな元建設現場の監督さんが、ほんのちょっと足を踏み外してなんのことはない段差に頭を打ち付けただけで全身不随になって寝ていました。

子供は自転車で全速力のまま下り坂を走ります。

自動車が飛び出してくる可能性をまだ想像できないからです。

障害者に対して力になれない立法をする人も、誰にでもすぐ近くに別のカタチの人生が口を開けていることを理解することができない人です。

自身が打ちのめされることなくその立場を想像するために、立法能力と別の分野の能力が要求されています。 




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2005/01/08

そして老人は商材になった

特養老人ホームで6人死亡、食中毒か感染症の疑い 広島

「市によると、7日午後、市保健所に「市内の老人ホームで食中毒らしきものが発生していないか」との匿名の電話があったのが発覚のきっかけだった。発症から発覚まで10日近くかかっており、市は、施設内での事故について自治体への速やかな連絡を義務づけている老人福祉法などに抵触する可能性もあるとみて、関係者から事情を聴いている(朝日新聞)。 」

老人福祉法第29条をご覧ください。

第29条(届出等)

「3 都道府県知事は、この法律の目的を達成するため、有料老人ホームの設置者若しくは管理者に対して、その運営の状況に関する事項その他必要と認める事項の報告を求め、又は当該職員をして、その施設の設備若しくは運営について調査させることができる」

それまで生活保護法でまかなわれていた高齢者への法的養護を実現したのが1963年制定の老人保護法です。

その趣旨はいうまでもなく、自らの権利を守る能力が潮が引くように失われていった老人を法律をもって保護するところにあります。

ただし上記報告義務に違反しても、罰則としては30万円以下の罰金でしかありません。

失われた7人の命を、もし商材のように考えている老人ホーム経営者の存在が立証されたなら、より強力な罰則を設けた改正老人福祉法を用意すべきであると解します。

途中で命を失うことがなければ、私達は皆、老齢を迎えるはずなのですから。 




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2004/12/27

福祉は国の腕力

社会福祉法の3条をご覧下さい。

第3条(福祉サービスの基本的理念)

「福祉サービスは、個人の尊厳の保持を旨とし、その内容は、福祉サービスの利用者が心身ともに健やかに育成され、又はその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるように支援するものとして、良質かつ適切なものでなければならない。」

ロンドンに1年ちょっと住んでた頃の話です。

クラファムコモンという川の南側、あまり治安のよくないあたりにある古いフラットに住んでいました。

なんでも昔、夏目漱石さんが住んでいたあたりなのだとか。

少し前に喘息になっていた私は夜中にどうにも息ができなくなってきて「確か川向こうに病院があったはず」と自転車に乗って病院に行くことにしました。

道すがらパトカーがとまってたので「あの~ゼイゼイ、病院はどの辺でしたっけ?ゼイゼイ」と男女の警官に尋ねてみました。

額からは呼吸できなくて脂汗がでてきていました。

「川のあっちらへんやで~」と教えてくれたので礼をいってゼイゼイ夜中のロンドンをまた自転車でこぎだしましたが、しばらくしてそのパトカーが孟スピードで私に向かってバックしてきました。

警官は私を引き止め、しばらくすると無線で救急車を呼ばれてしまいました。

気がつくと私は自転車ごと夜中の路上で強引に救急車にのせられていました。

おっかない黒人の救急隊のおばさんにこっぴどくしかられながら病院に運びこまれることになりました。

その時もふくめてロンドンで一週間入院したこともあったんですがいつも医療費は薬代の1000円くらいしか取られませんでした。

かの地では学生からは医療費というものをとらないらしいです。

病院の調査員みたいなおねえさんは学生証もなにも確認せずあえてふかく突っ込まないでいてくれたようでした。

ただ日本の両親に「入院代タダだったよ」と国際電話しても、一向に理解できないようでした(そりゃそうだ。) 。

普通、福祉ときくと、善男善女がそろいのスウェット着ていいことしてる退屈そうな絵しか浮かばないかもしれません。

しかし私にとっての「福祉」とは、猛速でバックしてくる夜中のロンドンのパトカーをのことです。

つまり福祉は、強い者から弱い者への「気合」かもしれません。

そうすると社会福祉法の3条の趣旨を十分実現できない国とは、強くあるべき人も弱いままの国なのだと逆引きできる可能性さえあります。

 

 

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